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ロンドン行ってギャラリーなど見る回@Day02ホワイトキューブ&ホワイトチャペルギャラリー

渡英したのでその記録である
今回はDay2の第2回目、なのでトータルとしては第3回になる(ややこしい)
以前の記事みたいひといたら以下



次の目的地ホワイトキューブへ

前回テートモダンを見て、そっから次の目的地のホワイトキューブへの移動である

どうやって行くか

さすがに疲れたので茶でものもうと思ったが、1F(GF)のカフェは「高いのでやめとけ」とおっさんに言われ、10Fをすすめられた
なので10Fで作戦を立てた(写真はないが、実際マシだった)

移動距離はこんなもんである

が、電車使うにはもどるのが面倒だし、歩いて行くには微妙に遠い
みたいな絶妙な距離感で困った

レンタル自転車を街でよく見かけてたため、カフェの店員に聞いたところ近くにあることが判明したが、値段が激高(15分3000円とかだった)
なんで結局歩くことにした

道中と昼飯

そんなに治安悪い地区でもなく特に何事もなかったが、旅行なわけだし何枚か写真は撮った

そろそろ飯時だったため、何か食えるものはないか探したときにロンドンブリッジ駅付近で見つけた店
激混み&激高だったので速攻でやめた

スシorラーメン

そのまま駅の高架をくぐり、Bermondsey通りって道を南下していったわけだが、途中「Fashion and Textile Museum」っていうのがあった
よさげだったのでまた来ることがあればいってみたい

えらいヒップな建物

などと言ってるうちに本当に腹が減って来たので、パン屋でパンを買って食ったが、クレカオンリー。いまだ両替した£紙幣に出番がねえ・・・

中国人のテニスをみながら公園でシナモンロールを食らう

到着!!!

無事、目的地のホワイトキューブに到着
途中めし食ったりしたけど、たぶん20分くらいだった

かっけー

White Cubeについて

gpt4君による要約は以下

ホワイトキューブは世界有数の現代美術ギャラリーで、60名以上の国際的なアーティストやアーティストの遺産を代表しています。1993年ロンドンでジェイ・ジョプリングによって設立され、世界中の主要都市に拠点を置き、オンライン展示も含む幅広いプログラムを提供しています。芸術運動の隆盛に貢献し、多様なアーティストをサポートしていることで知られています。

ちゅうことらしいです
ロンドンには2つあって、この日いったのは左の本丸の方で、メイソンズヤードの方は後日いった

左が本体、右が後日いった方
けっこうあちこち展示してるから気をつけろ、
子供は手つないどけ、という注意

なんか期待感のある注意書きを見つつ入った

ホワイトキューブ

Antony Gormley ‘Body Politic’

やっていた展示はこれ
つーか、サイトの説明が完璧なのでもうこれ読んでくれ!って感じ

入ったらこんな風に廊下みえてて、こっからもう展示はじまってる
見切れてる右手にカウンターがあり、ごっついガードマンもいたと思う(ドア開けたりはしてくれない

いきなりだが作品がある
並んでいるのは Retreat シリーズ

なんか入って思ったのは、寺田倉庫(寺田アートコンプレックス)とか、こういう風にしたかったんやねってことだ

作家についてとステートメント

アントニー・ゴームリーの「ボディ・ポリティック」展は、ホワイトキューブ・バーモンジーで2023年11月22日から2024年1月28日まで開催されています。
この展覧会では、人類が産業的に作り上げた環境との関係性を探る五つの独立した作品群が展示されています。ゴームリーは、避難の必要性と移動の基本的な本能との間の緊張関係にある現代において、この問題を緊急に捉えています。

具体的な作品としては、一人用の「バンカー」として考えられた「リトリート」シリーズのコンクリート彫刻や、陶土ブロックで形作られた「レスティング・プレイス」などがあり、これらはそれぞれ、休息する身体を地形のように描いています。また、「ウィーブ・ワークス」と題されたシリーズでは、錆びた鉄の棒を使い、身体の容積を表現しています。

ゴームリーの作品は公共空間に存在し、日常生活の一部となることで知られており、彼の代表作には「ノーザン・エンジェル」や「アナザー・プレイス」などがあります。彼は1994年にターナー賞を受賞し、その後も多数の賞を受賞しています。1997年には大英帝国勲章(OBE)を受章し、2014年にはナイトに叙されました。

アントニー・ゴームリーは彫刻、インスタレーション、公共のアートワークを通じて人間の体と空間の関係を探求する作品で広く認知されており、彼の作品はしばしば集団的な労働と関連があります。彼のアプローチは物質性、空間、スケールに根ざしており、日常のドローイングは彫刻のアイデアが進化する「実験室」のような役割を果たしています

公式より 要約gpt4

なるほど…
ちなみに作家のHPによると、70年代には日本でいえば「もの派」っぽい、ドナルド・ジャッド、カール・アンドレなどの時代性を感じる作品を作ってて、そこからいまの人型の作風にたどり着いたっぽいことがわかる
プライマリー・ストラクチャーっぽさはあまりなく、一貫して土とか石の実体のあるものに注意を向けていたのかもしんない

もらった地図に従って展示をみてく
さっきの廊下の写真みるとわかるが、壁にぼこっと切ってある穴の先に、それぞれ展示室がある

ドアがないので、こんな風に入るまえからちょっと怖ええ

やばい

NORTH GALLERY

Test シリーズ(2021)
それぞれSubmit、Contract、Buttress、Lean、Butt、Brace

ほげー

この絶望感!!!! やめろ!

ノース・ギャラリーでは、6つの「Weave Works」シリーズが人体の容積をマッピングしている。直交する格子状の鋳鉄棒から鋳造され、風雨にさらされたこれらの錆びた彫刻は、空間と光を通し、密度が変化する錯覚を生み出し、彫刻空間と建築空間を橋渡しする。自立した彫刻の規範とは対照的に、《テスト》(2021-23)の作品のうち3点はギャラリーの壁に立て掛けられ、残りの3点は壁に触れている。

「この錆すげえリアルだな」とか思ってたが、ガチのさびらしい
サビてて、壁によっかかってる、スカスカな人体を見せられたら、誰だって絶望的な気分になるからこれは反則だろう

SOUTH GALLERY I

Bind (2023)

偶然だが横ビームがすげえいい感じに水平に撮れてた1枚
足元のあれは廊下まで突き抜けていく

サウス・ギャラリーIでは、3本の太いリボン状の圧延された黒い鋼鉄が床、天井、壁から伸びており、部屋の中央で収束して、直交する線がもつれたボディゾーンを作り出している。《テスト》と同様、《バインド》(2023年)は、建築物を活性化させ、また建築物によって活性化される。鑑賞者は、この強力な三次元のドローイングの周囲で、身を潜めたり、飛び込んだりするように誘われる。

え、これ「三次元のドローイング」なんだ。なんで?(わかってない)
この「周囲で、身を潜めたり、飛び込んだりするように誘われる」ってのは本当で・・・と思ったが、いやさすがに「飛び込んだり」はしねえわ
ただ、立体は別角度から見たくなるから回り込みはする
で、そうしようとすると、この作品の場合、飛び出てる棒がじゃまで、しゃがんだりまたいだりが強制的に発生する

その結果、なんか作品のボディゾーンに配慮してこっちが行動してる感じになり、うそみたいな話だが、まるで「そこにいる誰かに気を使ってその周りを歩いてるような気分」に本当になった

9x9x9

Stand(2023)

サイズ比較のために立ってくれたおじさん(嘘)

9x9x9のギャラリーに設置された最後の作品「Stand」(2023年)は、ジェンガのように積み重ねられたコールテン鋼の梁で作られ、高さは5メートル近くにもなる。この彫刻は、それ自身の構造のエントロピーと、すべての人工的な創造物に内在する脆弱性を認め、恐怖と同時に希望の焦点となる彫刻の能力を讃えている。

どういう順番でみることを想定されてんのかわからんけど、自分にとっては最後じゃなかった件
「すべての人工的な創造物に内在する脆弱性」という話だが、スカスカ&足元細いんだからそりゃそうだろ、という感じだ

あと、いまさらだがこのギャラリー天井もかっけえな!と気づく

SOUTH GALLERY II

Resting Place (2023)

あーあ やってらんねー

これ最高だろ
人が休むことを一般化して表現しようとするとき、一番かんたんな方法は、そのすべての形態を作ってみればよいわけで、それをやってる
「キュビズム的総当たりを立体でやる」みたいな感じだ

あとは彫刻の中に分け入って見るのも単純に楽しい
そうやってるうちに自然と彫刻の体を踏まないようにするから、(Bindと同じく)本当に人が寝てるとこを気を付けて歩いてる気になってくる

ゴームリーの《Resting Place》(2023年)は、サウス・ギャラリーIIの広大な空間に、密集した都市の風景を想起させる「地面」を提示し、「退却」(Retreat)のように接地している。焼成された粘土のブロックが、迷路のような地形として244の身体形態を具現化している。私たちは、この迷路の中を、横たわったり、寝返りを打ったり、うつ伏せになったり、私たちが通るのに十分な間隔を空けて休んだりする身体で通り抜けるように誘われる。それらは、浜辺に捨てられた死体から、紛争、気候変動、資源不足などの危機によって強制的に避難させられた人々の苦境まで、さまざまな状況を想起させる。テレサ・キットラーは、この展覧会に関する近刊のエッセイの中で、「Resting Placeはまた、各国政府が移民に対するその権利を管理したり否定したりするのと同時に、新しいテクノロジーによって加速された現象である、お金、商品、アイデア、旅行者の旅行に対する権利の、より広範な文化的受容をも物語っている」と書いている。

ちょっと冒頭の訳がわけわからんが、Retreat(廊下にあった作品)と同じように地面に接触してる、ってことが言いたいんだと思う

ホワイトキューブかんそう

「めちゃよい」
これからはここ基準でこの言葉を使うようにしたいと思う

若干不便な位置にあるが、テートモダンみたついでに来れるので、マジで来た方がいい

次の目的地ホワイトチャペルギャラリーへ

今回は移動手段とか考えない。最初から徒歩って決まってたから

たぶんバス乗るべきなんだが、自分的には日本でもしらんバス乗るのはハードル高いので、異国でそれはやりたくねえという

まさかの観光名所通過

歩いてたら、どっかでみたことある場所に来た

アレやん

そう、アレだ、アレ
ただの混んでる橋なので特にどうということはなかった

ふたたび到着

さっきよりは遠かったが、たぶん25分くらいで到着
重厚なたたずまいだが、けっこう小さい

入口
階段にあるなんか由来的なもの

ホワイトチャペルギャラリーについて

正直ぜんぜん調べてなかったのでいま知った

ホワイトチャペル・ギャラリーは、ロンドン東部の多様で創造的な地域に位置し、1901年に東ロンドンの文化的価値を高めるために設立されました。この歴史的建物には、9つの展示スペース、完備された講堂、様々なスタジオと学習スペース、専門の書店と評価の高いレストランがあります。世界中のアーティストの作品を展示し、地元コミュニティとの関わりも重視しています。入場は無料で、展示会やイベントを提供しています。

要約gpt4

「評価の高いレストラン」があるらしいのでふところに余裕のある人はいってみるといいのでは
確かに横の出口のとこになんかカフェ的なものあったかもしんない

ホワイトチャペルギャラリー

ここ入館無料なんだけど、けっこう小さくて無料コーナーは、1Fで上映してた映像作品、2Fに2つの展示室、くらいですぐ見終わった

なので万能の必殺技「Can I have 〇×(ここに欲しい物を入れる)?」を繰り出してチケット買い、有料展示もみた

これは豆知識だが、NYでもロンドンでも、何か欲しい物がある場合すべてキャナイハブ〇×で解決する(した) 飯屋の注文もこれでゴリ押せる
なんで中学の最初の授業でこれを教えてくれないのかは謎

Nicole Eisenman: What Happened

ニコール・アイゼンマンの展覧会をやっていた
一番ノーマルなチケットで(ギフトエイドなしで)£12.50
日本円では考えないことにする

ニコール・アイゼンマンの展覧会「What Happened」は、彼女の30年に渡るキャリアの中から100点以上の作品を集めたものです。彼女の作品は、大規模な絵画、彫刻、モノプリント、アニメーション、ドローイングに及ぶ幅広い表現を特徴としています。この展覧会では、性別、アイデンティティ、性的政治、アメリカの市民的・政治的混乱、抗議活動、テクノロジーの影響など、現代の重要な社会政治的問題に対する彼女の批判的でユーモラスなアプローチが浮き彫りにされています

要約gpt4

正直(いま取り上げられる多くの作家と同じく)すげえ政治的な作家という印象だったが、結論からいうと大変よかったのでチケット代の価値はあったように思う

構成としては年代別にみてく感じだった

1990s

入るといきなりこんな感じの壁が立っている

1990年代初頭、アイゼンマンはニューヨークでアーティストや映画製作者たちと共に生活しながら展示活動を開始。ユーモアを交えたインスタレーションや壁画で、父権制や性別観を風刺。彼女の作品はコミックやポルノ、ルネサンス戦闘シーン、1930年代社会リアリズムの影響を受け、初期の絵画は青色で北方ルネサンスのスタイルを採用。国際的な展示会や1995年のホイットニー・ビエンナーレに出品し、ライアン・マクナマラとのコラボレーションで失われた壁画をアニメーション化したビデオも制作。

冊子より 要約gpt4
Hanging Birth, 1994
Spring Flinge, 1996

「コミック、ポルノ、イタリア・ルネサンスの戦闘シーン、1930年代の社会リアリズム」という説明がなっとくできる画風
初期の作品だが、すでにじゅうぶん興味深い

From Success To Obscurity:

1990年代、アイゼンマンは新進アーティストとしての挑戦に直面し、初期の成功後に批評家の支持を失い、展示機会が減少。2000年代の作品では、この地位の変化と自己審査に焦点を当て、分厚い皮膚のモンスター「Obscurity」や成功の手紙を受け取る「Success」などを描く。彼女の絵画スタイルは進化し、キャンバスに立体的なテクスチャを加え、彫刻的なアプローチを採用。これは狼男に変身するアーティストを描いた作品で象徴されている。

個人的にはここが一番おもろかった
なんで創作すんの?みたいな問題をネタにして創作する、っていう自己言及だが、そういう作家の個人的な問題だけにとどまらず、画商との関係とか様式の問題もネタにしてるのが健全な感じだ

From Success To Obscurity, 2004

「成功から無名へ」って感じのタイトル
デビューして売れたと思ってたら、なんか売れ筋から外れたのか、急に呼ばれなくなった、みたいな話なんだろう(作家でないとわからんのだろうが

Commerce Feeds Creativity , 2004

「商業が創造性を養う」
どうみても戦時中にスツーカ乗ってそうな人(ボイス)になんか食わされて吐いてる像

Fishing, 2000

(たぶん)作家をいけにえに何か吊り上げようとして、ヒットすんのを待ってる漁師たちの図
生餌にも人生がある

Were Artist, 2007

ワー・アーティスト
「立体的なテクスチャを作り出すために絵の具を盛り上げて彫刻のように扱い始め」たことを「狼男に変身し、創り出した画面と同じくらい異形の身体を持つシーンに寓意」したらしい
そんだけ違和感あったというか、平面から逸脱してるみたいな抵抗感があった、ってことなんだろうか

キャンバスもりもりのところは断面図的に描かれてる

この4点の絵の向かいに、わちゃっとした以下の壁が立ってた

クローズアップ
ええやん
わろた

こういうほぼアシスタントに作ってもらって作家がうわまえはねる、みたいな作法はどこであるのかもしんない(学生に展示の手伝いさせるとか

(展示順序あやしいが)以下の作品もあった

Untitled (Studio Assistants), 1993

アイゼンマンはこの写真を1993年に自身のスタジオで撮影し、その年のロサンゼルスのショシャナ・ウェイン・ギャラリーでの個展のポスターに初めて使用した。5人のアシスタントが彼女のイーゼルを取り囲み、絵の具を絞り、警備を管理している。おそらく、20世紀半ばに男性写真家が女性画家を撮影する際、女性らしさの決まり文句を強化したことを振り返り、このイメージはまた、過剰にサービスされた1980年代のアート・スターを嘲笑したのだろう。アイゼンマンにはその後何年もアシスタントがいなかった。

DeepL訳 太字記事執筆者

あと何にも説明なかったんだけど、柱にもなんか書いてあった

Coping

2004年のジョージ・W・ブッシュの再選、継続する「テロとの戦い」、2008年の経済危機、気候危機への意識の高まりを背景に、アイゼンマンは作品の焦点を自身から外界に移しました。彼女は、20世紀初頭のフィギュレーションと表現主義、特にウィーンで過去に祖父母が暮らしたスタイルを取り入れ、過去への憧れを描いています。父が精神科医である彼女は、「The Session」で自分を父のソファに描き、「Seder」では家族の過越祭の食事を描いたそうです。

The Session, 2008

むっちゃコミック調だが、カウンセリングの絵をみるとThis is America!って感じがする

Beer Garden with Ulrike and Celeste, 2009
Beer Garden with AK, 2009

アイゼンマンは2008年から2009年にかけて「ビアガーデン」の絵を4枚描き、そのうちの2枚がここにあります。これらの絵には、この部屋の反対側にある絵に登場するアーティストのウルリケ・ミュラーや、右端に帽子をかぶり、一人で飲むアイゼンマン自身が描かれています。

という感じに2枚セットの絵
「私たちが社交をし、世界のめちゃくちゃさや、幸福への文化的執着について同情する場所」としてこの舞台設定にしたとコメントされてた
この「幸福への文化的執着」ってのはわからんではない

幸福強迫症っていうか、なんかそういうものが、特にアメリカにはある気がする

The Triumph of Poverty, 2009

解説によると、いろんな要素の入ってる絵だ

  • 「貧困の勝利」というタイトル
    1533–34年にロンドン市内の商人の建物(ギャラリーから1.5キロほどの場所)を飾るために作られ、現在は失われたドイツ・スイスの画家ハンス・ホルバインの版画から借用

  • 右下の連中
    フランドルの画家ピーテル・ブリューゲル(父)のThe Blind Leading the Blind(1568)から

  • 空のボウルを持つ子供
    チャールズ・ディケンズの小説「オリバー・ツイスト」(1838)のイメージ?(らしい まあ服装とかそうかも)

って参照をしたうえで、全体としては2008年のサブプライムショックでひどいことになった「現代アメリカ中西部の家」を舞台にした、ってことだと

Jewellery Tree

ここまでみると階段で上へ誘導される

んで、その途中にあったのがこれ

Jewellery Tree の マケット

2012年、アイゼンマンはロンドンのStudio Voltaireで展示するために招待され、石膏と様々な見つけたオブジェクトを使用して、象徴的彫刻のインスタレーションを作成しました。展示された作品の多くは壊れやすく、生き残ることを困難にしていましたが、彫刻への重要なシフトを示しました。その結果、2020年にはトラファルガー広場の第四台座のための作品提案に招かれました。Nelsonのメダルや潰れたビール缶など、絵画から彫刻へのアイゼンマンのアプローチの進化が見て取れます。

って解説なんだけど、これ最終的には依頼されなかったそうで、マケットでしかないとのこと

「続くで」のくそでか表示が助かる!! 

Art Class


Untitled (Portrait of a Man, Wolfie), 2007

解説によると「自画像の胸像を考え込むアーティスト」を描いたものらしい
引き続き創作それ自体への疑問とか、考えが作家の中にあるっぽい

アイゼンマンはアーティストであることの心理を探究する作品と共に、アートが作られる場所を描いています。これらの作品はしばしば一つの媒体を通じて別の媒体を表現しています。たとえば、「Untitled (Portrait of a Man, Wolfie)」では、自画像の胸像を考え込むアーティストを描いています。「The Drawing Class」では、アイゼンマンの他の作品のキャラクターが生徒として登場し、それぞれ異なるスタイルで描かれ、描いています。「Achilles Heel」は、アイゼンマンが初めて石膏彫刻を試みた後に描かれ、灰色の石膏のような泥がバーを覆い、客がそれをほとんど形作れない様子を想像しています。これらの作品は、アーティストが材料に対するコントロールを保持し、失う様子を示し、成功にはおそらく必要な微妙なバランスを描いています。

The Drawing Class, 2007

これも笑った
「アイゼンマンの他の作品のキャラクターが生徒として登場し、それぞれ異なるスタイルで描かれ」るっていう作品らしいが、なんかフォーヴ(?)っぽい絵のモデルが、そもそも最初から変な見た目してんのが受ける

Achilles Heel, 2014

作家が初めて石膏彫刻をやってみた後で描いた作品とのこと
なんか解説の意味がよくわからんかったんだけど、タイトルから察するに、作家なんだけど造形技術ない、みたいなやるせなさを示してるんじゃないかと思った

Achilles Heel was painted after a period when Eisenman had experimented with her first plaster sculptures. It imagines grey, plaster-like muck covering a bar whose customers can barely shape it.

解説はこれ

そんでまた「まだ続くで!」の表示

大事

Screens, Sex, and Solitude

過去15年間で、アイゼンマンは多くの主題と絵画スタイルを探究してきました。ここに集められた作品は一緒に展示されたことはありませんが、彼女の興味の一つ、すなわちスクリーンとインターネットが現代の行動や関係に与える影響を明らかにしています。1990年代の彼女の作品に見られる集団シーンとは異なり、これらの作品は主にロマンスに焦点を当てています。描かれているフラットなスクリーンとは対照的に、これらの絵画は重厚な質感を持っています。

Weeks on the Train, 2015

まさかの単眼&列車に「やべえ、中村宏オマージュかよ!」とビビったが、まあ偶然でっしゃろ

Selfie, 2014

そのものずばりの皮肉だが、ひげそってない中年ののび太みたいできもい

Morning Studio, 2016

タイトルから「うわぁ」といろいろ想像しちまうな、これ!
昨今の美術界を考えるとこれはシャレになってない
どうでもいいが、Macのデスクトップがやたらリアルなのはなんなんだ

Heads

ここは立体のセクションっていうか、顔のセクションになっていた

正面の絵は Econ Prof, 2019
困ったら顔を描け、と作家は言ってるらしい
なまえわからん

噴水しこまれてて、水がちょろちょろ出ていた

Econ Prof, 2019

絵画と同名のブロンズ像
質感なくて発泡スチロールかなんかだとおもってた
「経済学の教授」って意味な気がするが、戦隊ものの悪の科学者風だ

The Darkward Trail

オバマとかトランプとかティーパーティーとかに関係した絵が出てきて、いよいよ展示も大詰めだ

2011年、オバマ政権下での右翼過激主義の増加に警鐘を鳴らし、2016年トランプの選挙を前に「Tea Party」を描いたアイゼンマンは、自身の作品を通じて政治状況を寓話化する方法を明確にしました。「Dark Light」では、トランプ運動の赤い野球帽をかぶった男性を含む3人がピックアップトラックに乗り、大気を汚染する「ローリング・コール」という手法を故意に使用しています。また、「The Darkward Trail」では、ドローンで監視される荒涼とした砂漠の風景で、不気味な姿のパトロールを描いています。彼女の最も悪名高い作品は、2019年のホイットニー・ビエンナーレに展示された巨大彫刻作品「Procession」で、非英雄的な落ちこぼれた集団を表現しています。


解説にある「プロセッション」っていうのはコレ


The Darkward Trail, 2018
Tails End, 2021

「暗闇への道」だとgpt君は言ってる
それとその終わりを描いた1対の絵ってことになる
「ドローンで監視される荒涼とした砂漠の風景で、不気味な姿のパトロールを描いています」らしい

Dark Light, 2017

というところまでで、有料展示は終わり
すげーボリュームで腹いっぱいだ

Maker’s Muck

ここは無料展示セクションにある同作家の展示
こうやって無料でちら見せして有料に誘い込もうって魂胆は嫌いじゃない

しかもけっこうな大作が展示してあった

Maker’s Muck, 2022

彫刻はアイゼンマンの実践においてますます中心的な役割を果たしており、「Maker’s Muck」(2022)は彼女のこれまでで最も野心的な屋内作品です。中心にある彫刻家は生産性の証拠に囲まれていますが、彼らが成し遂げていることは手を物質に触れる以上のことには見えません。この作品は、自画像のようなものであり、継続的な生産と消費の世界でアートを制作することの寓意とも見なせます。「The Abolitionists in the Park」は、2020年にアイゼンマンが友人たちとニューヨークのシティ・ホール・パークで「警察予算の削減」を求めて抗議した実際の出来事に基づく現代史の絵画です。

最終的に創作って「土いじり」なのかもな、みたいなことを思った
原始的なのでいうと石器もそうだが、自由度考えると最初のアートっぽいものって陶芸なのかもしんない(まあ、あとは洞窟絵画だろうが)

端的に作ることの苦しさが描かれてて好感のもてる作品
けっこう動いてて、あと音も出ててるのがいい

象徴的なパーツ
たくさんの道しるべがあり、どこへ行ったらいいかわからんのに、地盤沈下して自分が沈んでいってるっていう、マジで現代美術そのものの象徴

The Abolitionists in the Park, 2020

かんそうなど

単純に面白い絵も多いが、いろんなこと考えさせてくれる
いい意味でも悪い意味でも

▼いいと思ったところ

  • 業界への視線
    開き直りとか貴族感とかがないのは好印象

  • 創作への隠しきれない不安
    超つらそうだが、その中でなんとか客を楽しませる&現代的に意義あることしようともがいてる感がある

  • おもろいしスタイル多様
    いろんなスタイルでやってて固定化されてない
    コミカルな絵柄も、ベースはアメリカンで辺にアニメっぽくなくていい
    アジアのキャラクター絵画と明確に分離できてる

▼ここはどうなん?と思ったところ
この展示見た範囲での意見なので間違ってるかもしれない

  • そこを描くのか
    一番気になったのこれ。サブプライムの絵では無茶なローン組んだ人が、ティーパーティーではそれに参加した人が、どっちも画題になってた
    が、末端の人を描いてもどうしょうもねえんじゃね?という
    真にアレなのは(赤い帽子被ってる人じゃなくて)金融街、マスコミ、政治的セレブじゃねーかっていう気持ちに自分はなってしまう
    でもまさに「そういう人たち」がこの作家の絵を買ってそう

  • アメリカ人っていうか西洋文化圏でないとわからん
    しゃあないんだけど、現代美術をあんだけ脱構築して文化相対主義でリベラル化したのに結局これか・・・という気持ち
    さっきも書いたが、この作家の絵を買うのはその文化圏の人たちだからそうなるのは当然なんだが

という感じである

そのほか:Anna Mendelsonn

っていう詩人の展示をやっていた

すばらしい展示室
なんか気になって写真とったと思うんだが忘れた

そのほか:It All Starts With a Thread

ロンドンサウスバンク大学、キュレーティング・アート修士課程の学生によってキュレーションされた展示とのこと

修士は1年だが、キュレーティング専攻あるのはすごいっすね(そんだけ就職口あるってことだろう

展示されてたのは繊維で作られた作品だった

ぜんぜん終わらん!!

まだぜんぜん2日目が終わってないのに1万字超えたので次回へ
次こそは2日目終わらせたい!!!
が、3、4軒ギャラリー回ったと思うので、本当におわるのかは謎

そんじゃ!!!


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