ロンドン行ってギャラリーなど見る回@Day01
久々にがっつり休んだので遠出した
最初は「NY行くで!MOMA!グッゲンハイム!」とかおもってたが、なんかだらだらしてるうちに宿が爆上がりしてどうにもなんなくなったのできゅうきょ斜陽の帝国に行先変更した
◆金も時間もない件
尚、ロンドンっていうかイギリスがまったくの初めて
さらに金もねえ(=時間ねえ)のでテーマは以下にしぼった
ほうもんのテーマ
NYのカタキで現代美術関連をみる
⇒ポップアートからニューペインティングにかけてはイギリスもけっこう頑張った(アレン・ジョーンズとかホックニーとか)
⇒その名残でいちおうギリ現代美術の中心地の一つではある(パリに比べればそうだと思う)観光地的なところは行かない(行けねえ…)
⇒とか言ってたが移動中にみた分で十分だった美術館も現代しばり、あとはコマーシャルみる
⇒テート・ブリテンとか真剣にみたら日が暮れちまうのでそこそこにして、なるたけ画廊いってみる
そんな感じっす
尚、文中敬称略
◆地理情報
っていう方針で行ったわけだが、そもそもロンドンの画廊、コマーシャルギャラリーはどの辺にあんのか
だいたいメイフェアにある
日本だと既成画壇(いやな言葉だ・・・)に関連するものは上野に集中してるが、それは上野に藝大があるせい
それと同じくロンドンでも藝大(RA、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ)の近くに現代美術のギャラリーが集まってた
もちろん離れたとこにも(特に尖ったのが)あるが、今回は見切る
ちなみに日本は藝大の近くに画廊が集中してないわけだが、これはつまり、そもそも美術が「官製」であって商売じゃなかったせいだろう(万博出すための西洋画家養成所、、、だったのになんか変なものが爆誕した)
なので画廊は上野じゃなく「商売」の場である銀座、京橋にできる
そう考えると、近代美術館が(最初)京橋に作られたのは象徴的だ
あしは地下鉄一択
主な移動手段は地下鉄
だいたい地下鉄+徒歩でなんとかなる
ちな地下鉄は当然みんなOyster(Suicaみたいなもん)使ってたので、空港の駅で買おうとしたら、職員のおっさんに「7ポンド余計にかかるだけ」「クレカで直で乗れるから買わんでいい」と言われた
説明によると、その7£はデポジットじゃなく払いっぱなし(スイカは返ってくる)。その代わり1日一定額以上は課金されない(6£とかだったが、区域制限ある
これで得するかは運賃によるわけだが、かえってからクレカ請求みたところ、たしかに買わなくて正解だったっぽい
が、あちこち観光地回る人は買った方がいいと思う
なんで改札で毎回クレカむき出しでタッチしてたわけだが、なんかこれはこれでけっこう怖いものがあった
ちなみにグーグルペイもいける模様で、携帯でタッチする人多かった
拠点駅
アールズ・コート駅のちかくに泊まってたのでこの駅が拠点になった
この駅の何がいいって、
くそ安軽食チェーン店のグレッグスが目の前にある!!
日本の物価感で飲み食いできたのは結局ここだけだった
何喰っても(値段的にも味的にも)安心してくえる
こんな店でもさすがに茶はうまいのでコーヒーたのまんでいいかも
そんな感じでグレッグスでなんか食って、宿に荷物も預けたのでいよいよ回り始める
JC Gallery / Michael Pemberton'The Age of Water'
とりあえずメイフェアに行ってだいたい当たりというか土地のスケール感をつかみたかったのでぶらぶら歩いて見つけたのがこの画廊
JCギャラリーというところ
マイケル・ペンバートンという作家の個展をやってた
JCギャラリーについて
こんなとこらしい
ほえー、確かに珍しそう(素直な感想
でもやってた個展は最近のイギリスの作家のだったのでどういうことかと思ったんだが、ギャラリーエキシビジョンとオンラインエクシビジョンっていうのがあり、自分がみたのは後者だった
どっかにコレクションがあってちゃんとした客はそれを見に来たりするのかもしんない
ステートメント
ちゃんとしとるやん・・・
変動する時代も含めて「環境」と捉え、そのことを「水」で象徴して、絵画的にはゴヤなど歴史的な作家から、ホックニーら最近の巨匠らをミックスした作風ということらしい。
昭和世代にとって「水の時代」といえばニューエイジ思想の「水瓶宮の時代(アクエリアン・エイジ)」か、あるいは爆死した「ウォーターワールド」なわけだが、その辺との関係はわからんかった(作家の年齢的には知ってておかしくない
展示風景とか
中ではギャラリーの人が2人ほど忙しそうに仕事してたが、すげえ愛想よかったのでマジ助かる。しかしまあ西洋社会なので愛想悪くてもこっちも「当然の権利」みたいな顔してやりきるしかない
入口横の壁面はこんな感じでステートメントの大事なとこ書いてあった
かんそうなど
けっこうストレートに時代の不安感を描いた作品だと思ったすね
それほどお題目感がなくて、切実さを感じた
ちょうど飛行機のって来るときに、極真の世界大会出てたロシアの選手、その家族とアブダビまで一緒だった
5、6歳のパツキンなアレクセイ君が空港で走り回って、列から離れるたびに親父に呼ばれてもどってくるほほえましい光景がそこにあったが、この人たちも(動員拡大すれば)徴兵される可能性ある(辺境から先にやられてるから空手やってられるんだろうけど)という事実に改めてビビった
ロシアの戦争は平気で10年やったりするから、下手したら親父殿どころか、あのかわいいアリョーシャも戦場に行くかもしんないわけだ
ゴヤの絵の中で子供を食ったサトゥルヌスも、こんどはおっさん自身がなんかでかい口の中にいるようにも見えるし、背後からはつなみのようなタコ足波が迫ってて、もう人食ってる場合じゃねえ!っていうくらい足元がぐらついているが、でもどうしょうもないから食い続ける
たぶんイギリスで絵かいてる中堅くらいの作家さんだと、けっこう戦争当事国にも知り合いがいて、そういう実感を日々感じてるんだろう、ってのがわかる展示ではある
ポストモダン絵画のミックスみたいなことがステートメントにあったが、ホックニーとかより、もうちょっとバッド・ペインティング(シュナーベルとかバスキアとか、世代違いすぎだが)味を感じた
ただ、これも時代だと思うのは、単にロウブロウ感だけじゃなく、キャラクター的というかアニメ的に記号化されたマスコット的物体が混ざりこむなどしてて、この辺がまさに更新されていってることに驚く
ストリート、ギャングスタとアニメ表現との組み合わせは、ちょうどいま(2023年末)にロリ神レクイエムって曲の動画が海外でバズってマッシュアップされてるようにかなりいい(これが最初ってわけじゃなく、ハードコアオタク+ギャングスタの文脈は古い
日本の作家はキャラクター絵画的、キャラクター性を自由に拡張してがんばっててそれはそれでいいと思うが、むしろ遠い方面から融合が始まってるのを見ると、いつのまにか本流に回収されてしまいそうではある
「あんがとな!」っつって帰ろうとしたら「これもってけ」と渡された冊子がめっちゃ豪華! やはり金! シティの金融がすべてを解決する!
THADDEUS ROPAC / Daniel Richter 'Stupor'
くそでか有名画廊その1
ちな日本語ではタデウス・ロパックと書くらしい… 何語??
これドアしまってたら過去イチの入りにくさだったと思うが、ドア半分開けててくれてたので危機回避できた(←でかいギャラリーほど親切
ちなこの画廊はパリ、ザルツブルグ、ソウルにもあり、今回いったのはロンドンのやつなんでそこんとこよろしく
タデウス・ロパックについて
「企業のコレクションにアドバイス」ってあたりにでかみを感じる
以下日本語で読める記事
やってた展示とステートメントなど
ダニエル・リヒターの個展をやっとりました
その途中の部屋とか廊下にいろいろ他のも飾ってあったのでそこもみたで
このクラスになるとキュレーターの説明は動画になる模様
でもこれええやん!
・すげえ短い
・説明がちゃんと順番だっててわかりやすい
・キュレーターがどこがいいと思ってんのかが明確
・ドゥルーズとかガタリとか言ってない
わかってるとしかいいようない
やべえ廊下と突然のバゼリッツ
「ぐどあふたぬーん」などと言いながらドアを突破してカウンターで作品リストもらうわけだが、もう廊下がやべえ
絶対自分くらいの社会階級が来る場所じゃねえってのをビンビンに感じる
昭和世代には「2001年宇宙の旅」の終盤みたいっていえば伝わると思う
そんで奥に行く前に入口のすぐ横にある部屋をとりあえずみてみたんだが、
この上下さかさまの人物像!
「どうみてもバゼリッツやん」とか思ったらバゼリッツだった
70年代にポップアートから(後にそういわれることになる)ニューペインティングへと移り変わろうとするとき、こういう上下がひっくり返ったフィギュラティブな絵を描いた有名な作家だ(かぎりなく浅い理解)
さっきいったシュナーベルとか、イタリアの3C(キア、クッキ、クレメンテ、←当時めちゃくちゃ評判悪い)とかより一個前の人である(はず)
こういう立体もやってたんっすね(←80年代までしかしらん奴)
とか思ったんだけど、後でいったサーペンタイン美術館でまた死ぬほどたくさんみるとはこのときは思ってない(後日書くはず)
他には以下のような作品も展示されていた
ダニエル・リヒター
ちゅうわけでようやく本編
とにかく赤が強烈に感じられる作品が多い
で、よくみると作品ごとに微妙に赤の調子が違って、暗かったり明るかったり、オレンジぽかったりもする
またキュレーターも動画で「具象と抽象の間の緊張」みたいなこと言ってたが、確かに完全に抽象ってわけでもないけど具象とも言い難い感じだ
でもフォルムとしてはかなり肉体的、官能的なものを感じた
余白の赤とあわさって、生命力みたいなのを押し出しているんだろう
なんか見てて思ったのは、「けっこうオートマチックにフォルムを描いて、それをあとから意味づけしてく」みたいな手法なんじゃね?ということ
かなり自由な絵なので、考えて描けるような気がしなかったっすね
あと背景の赤は、実は背景じゃなくて最後に描いてるっぽいこと
と思ってたら公式に書いてあったので合ってるっぽい
具体と抽象、フィギュアと背景の関係など、絵画の根本的なところを突いてく姿勢を保ちつつ、ぱっと見でもすげえ迫力ある絵を描いてるのはすごいっすな
ちなみに2Fにも部屋があってそこも展示の続きがあったっす
Galerie Boulakia / DANIELA BUSARELLO:
"When you feel that the Sky is too Low, just Push It and Breathe."
たまたまあって中が見えたので入った
ギャルリー・ブーラキアについて
もともとパリの人が数年前にはじめたっぽい
どんなところかは公式が動画あげてくれてるのでそっちみたほう早い
やってた展示は動画のと違って見出しのやつ
なお、公式でこの個展の情報がみつけられん・・・
作家について
ギャラリー公式ではみつからんかったので違うところから
「アトランティックフォレスト」とかまたgptのたわごとだと思ってたら「大西洋岸森林」のことで、ブラジルにあるアマゾンとは別の大森林ですって。勉強になるな
展示風景とかんそうなど
基本的に作品、その横に(最近)作家が書いたペーパー(各作品のステートメント的なもの)、という構成になってた
「この紙はぜんぶ最近書いたんすか?」的なことをギャラリーのお姉さんに聞いたら「初めてのレトロスペクティブなんで説明はそう、作品は年代違う」みたいな返事だった(英検5級の英語力)
作家のレトロスペクティブ、というか個展はこれが初めてっぽい
なんでこういうことやってます、というお披露目的な感じなのかもしれん
ちな作品名はぜんぶわからん…
という感じ
キャンバスではなく、なんかもっと柔らかい布的な支持体に、石を砕いてつくった顔料で彩色していく、みたいな作品が多かった
一部の大型作品は支持体がすごく薄く、顔料の壁に落とす影が平面越しに見える、っていう形になってた
樹木の葉っぱとか、そういう本来中空にあるものを実体的に想起させるいいアイデアだと思ったっすね
エコロジー的な時代性と、(たぶん)個人の何かを織り交ぜた作品なんだと思うが、ちゃんとテキスト読めてないので正直わかってない
素朴なんだけど作品としては素朴過ぎない、かつ独自の手法である、みたいなところに実力を感じた
上の写真のやつが「土」のサンプルで、これで絵の色をつけてる(ってギャラリーの人がいってた)
(技法的な段階を解説してる展示もあったんだけど写真忘れた・・・
名実ともにアースカラーになった岩絵の具って感じだ
絵面の印象だと、日本の美大生もやってそうな印象だったが、ディティールとか制作ポリシーとかの実践面が格段にしっかりしてて地に足がついてる
作品の良し悪し別に、「なんで(この形式で)作品作る必要あんの?」っていう疑問をさしはさむ余地があんまないとこはやりおると思った
Richard Saltoun / 'Women's Work is Never Done'
いっこ上のブーラキアの隣にあるギャラリー
グループ展的なものをやっていた
発音わからんのでDeepL君説のソルトゥーンを採用する
リチャード・ソルトゥーンについて
こういうスタンスがはっきりしてるギャラリーはたすかる!
フェミニストアートに焦点当ててるのでこういう展示をしているわけだ
ステートメント
キュレーターのキャサリン・ジーガー(Catherine de Zegher)って人は
美術史家のグリゼルダ・ポロックを交えた講演っていうか対談も上がってた
どんな人かっていうのは以下
1時間以上あるのでやっぱgpt君にまとめてもらうとトピックは以下
それぞれのトピックについて質問したときの答えはこれ
「女性の仕事は決して終わらない」という展示会のタイトル
女性アーティストたちが歴史的に果たしてきた役割と、その継続的な影響を反映しています。このタイトルは、女性アーティストたちの作品とその貢献が、美術史の中で長い間見過ごされてきたことへの言及でもあります。女性アーティストの歴史的貢献の具体例
エヴァ・ヘッセやナンシー・スピロなどのアーティストが挙げられます。彼女たちは、アートの形式や表現に新たな次元をもたらし、美術史における女性の役割を再定義しました。美術史における「反記憶」とは
主流の美術史の中で見落とされたり、無視されたりしてきたアーティストや作品を再評価し、歴史に新たな視点を加えることを指します。これは、従来の歴史の中で隠されたり、忘れ去られたりしたアーティストや作品に焦点を当てることを意味します。美術史における女性の役割と影響
時代を超えてアートの発展に重要な貢献をしてきたことを指します。具体的な作家としては、先に述べたエヴァ・ヘッセやナンシー・スピロの他に、マーサ・ロスラーやジュリー・メレトゥなどが挙げられます。彼女たちは、アートの形式や内容に革新をもたらし、女性アーティストとしての地位を確立しました。
ここで興味深いのは「反記憶」という概念で、これはスクリプトだと「counter memory」となっていた
なので意味としてはカウンターパンチのカウンターに近く、「対抗記憶」とか、そういう訳語の方がいいのかもしんない
美術史においては、いちおう正統的な見方というのが存在するが、特に現代美術の場合、「だれがだれに影響与えた」みたいな関係が非常にみえにくいため、ファクトで構成されるべき正統な美術史観であっても、一番みんな知りたい「実はこの作家の影響受けてる」みたいな話は、インタビューとかするしかないので埋もれがちである
そういう隠された関係を掘り起こそう、とする動きがこの「反」記憶のひとつの機能なのは間違いない
ただ、もう1つ社会運動としての側面もありそうで、そうするとあんまりファクトは重要じゃなく「どう読むか」みたいな話になる
反記憶の考え方はおそらくこっち寄りで、より積極的な未来のための読みを展開していこうとしていてもおかしくはない
なので通常の史学と同じように見ると非常識に見えるかもしんない
また、重要な作家として名前があがってたのはこんな人たち
エヴァ・ヘッセ: Eva Hesse
検索すると69年のドレープ状の立体作品がヒットする
83年の美術手帖でNYの「パフ+ヘス+バター展」の出品作家として記事にされており、この頃はグラスファイバーの彫刻をやっていた
個人的には80年代にカーテンにセメントを塗った作品に取り組んでた三代川和美と通ずるところがある気がしてて気になる
三代川は秋田由利キュレーションの81年、横浜市民ギャラリー「今日の作家<壁>展」に出品してて、展示の名前から作品傾向わかると思う
ナンシー・スピロ: Nancy Spero
70年代からシルクスクリーンのプリント作品とかやっている人
「女性の歴史や文化的な神話を再提示」したらしいがよくわかってない
↓動画はユニクロがスポンサーしてるmomaのやつ
マーサ・ロスラー: Martha Rosler
gpt君が最高にうまくまとめてくれたのでそれで
フォトモンタージュ、広告、身体の商品化あたりがキーワードっぽいが、作品はいまみてもよく感じる
「マーサ・ロスラーは、1960年代から70年代にかけて制作された彼女のフォトモンタージュ作品で知られています。これらの作品は、当時の広告に対する遊び心あふれるフェミニスト分析を通じて、父権制と消費主義の批判を提示しています。彼女の作品「Body Beautiful, or Beauty Knows No Pain」シリーズでは、冷蔵庫に収められた赤い尻や胸など、女性の体の一部を切り取り、再構成しています。これらの作品は、女性の身体を商品化する広告業界の問題点を鋭く指摘し、女性の解体と再構成を通じて、良いこととは何かを問い直しています。」
ジュリー・メレトゥ: Julie Mehretu
同じくgpt4君にまかせたが、上記の人たちに比べると新しい人
一見アクションっぽくみえるが、構成主義、未来派などがこの作家の射程に入っている模様
「ジュリー・メヘレトゥは1970年エチオピア生まれのアーティストで、地図や建築を参照した複雑な絵画・ドローイングで知られています。彼女の作品は、都市の空中図や建築の断片を用い、現実の特定性を超えた表現を行います。透明な層を重ねた技法で、光と空間の質感を表現し、非対象芸術の歴史と現代のユートピア的衝動との関係を探求しています。メヘレトゥはニューヨークで活動しています。」
展示風景とそれぞれのかんそうなど
すげえ前置き長くなっちったのでそろそろ現場の話する
こんな感じ
雑にいうと新宿眼科画廊みたいな雰囲気だった
ちなみに↑の作品の作家であるErin Manningはこの展示でも中心的な人物で、冊子でジーガーとの関係(シドニービエンナーレでの出来事)をつづっていた
そのシドニービエンナーレの様子が上記で、マニングの他、ビクーニャ、グルツィマラなど、今回の展示にも出品している参加が参加している
1970年生
楮紙でつくられた作品。下にみえてるバッグ的なものには値札がついてたが、本気なのか作品の一部なのかわからんくて華麗にスルーした
グルツィマラはかなりごつい作品を作る作家のようで、こんな感じの素朴なのはむしろ珍しいのかもしんない
1918年生(!)ですでに物故
作品リスト筆頭なあたりにリスペクトを感じるが、晩年のだが若々しい筆致で素晴らしい
1942年生
「9セグメント」というもののためのテストピースって書いてあった。造形的だが整いすぎてなく、あとなんか地肌のぶつぶつのせいか生物感ある
セメント製らしい
一番左のは展覧会のポスターので作品じゃない
さっきの立体と同じ作家だが、非常に多様な作品をつくる人
どれもレベル高いと思う
この真ん中上のやつは山口長男を思い出した
こういう基本的な構成は時代や地域が変わっても共通なんかもしんない
素材感があるのでそこは違うがフォルムについて
1954生
コラージュ作品
自分のメモによると1個前のと同じ作家の作品でこっちのが前
上端が切り欠きになったまま額に収まってるのが見どころだと思う
なんかパースが効いてるようにも、上に開けているようにもみえる
1948生
キャプション読むとすごい色んな手法を組み合わせて作られた作品だったが、あんまりそれだけを感じさせない(いやまあ複雑さは感じるが)、情緒性の高い作品。エモい。
単純に「キレイ!」もあるんだけど、それだけじゃ済まさんという気合を感じた
1945生
和紙にアクリルのペイントと、木、スチール、セメントの彫刻を組み合わせた作品
ペイント単品でもかなり味わい深かったが、彫刻、その影と組み合わさって、平面だけより明らかによくなってると思った
なんか、この手の平面と立体の組み合わせって、座標的に交差しない形で展示されてるのが多い(と思う)が、こんな風にどっからみてもだいたい干渉するように置いた方が、より咀嚼しやすいような気がした
これだったら立体がなきゃいけない感じがする、展示のたくみさが光る作品だった
1956生
白い小石で作った作品。これが奥の壁の作品や映像作品を半ばじゃまするように配置されてるのがみそなんだろう
あんまり深読みはしないほうがいいんだろうけど、「突破不可能ではないが十分邪魔な障害」を象徴する作品だと自分は思ったっすね
1960生
なんか不思議な透過感、浮遊感が出ててよかった作品。ちょっとフォークロアというか、ノスタルジックすぎね?って気もしたが、素材と表現にはあってたのでこれでいいのかもしんない
一個前と同じ作家の作品
ぱっと見で「もの派?」とか思ったが、造形性高いので違うだろう
いろいろ意味はあるんだろうが、配置のリズムと棒のパターンだけで十分美しく見えた
1950年生
ハイビスカス、ほんとはそれぞれ名前違うんだけど面倒すぎてまとめてしまった・・・
金箔とドライフラワーで構成した作品
箔が荒っぽく貼られてて地肌にそのパワーが出てた
ふたたびグルツィマラ
ここ、ほかの作家のも展示してあったが、とりあえずこの人のだけ写真に撮ってたのでこれを載せとく
むちゃくちゃ繊細な作品で、まあ単純に気持ちがわかる気がした
作家のふり幅が広くてびびる
同じくグルツィマラ
"embossed drawing"っていのうがどんな手法だかわかんない・・・
1970年生
日本の7、80年代に自然石をひもで縛ったやつを人に勝手に送り付けるという作品をやってた人がいた(作家名忘れてしまったが、横尾忠則のインタビューで横尾が「送られてきた」と言ってた
また最近も寺に置いてあるなんかの石に対して似たようなことをしている作家がいたように思う
この作家は、石ではなく、可塑性のある粘土を縛っているところが大きな違いで、石は束縛に対して自らを変えないが粘土は変わっちまう
象徴的なだけでなく、造形的にも味があってよい
1926年生で物故している。
ステートメントのところで重要な作家として挙げられてる人
すげえストレートな作品だが、シーラ・ナ・ギグとは「女性の外陰部を大げさに表した裸体の彫刻」のことらしい。まあ土偶とかでもよくあるやつだ
実際、wikipediaにある画像を、この作品でも引用している
という感じだった
総じて思ったことは「レベル高けえ!」ってこと(ビエンナーレ出てるような作家ばっかなので当然だが・・・)
こういうグループ展って(特にグループがただなんとなく同期みたいな場合)、どうしてもなんか気の抜けた部分が発生しがちだが、この展示はちゃんとキュレーションされてる上に、実績ある作家がちゃんとツモられてるため、水準がそろってて見てて緊張感があった
JD Marat Gallery / ERIN HOLLY: A TRANS ARRANGEMENT OF THE PAINTED SPACE
インストール中で閉廊してたガゴシアンの前を通ったとき、向かいにみつけて入った
正直、ここが一番コマーシャル感あったんだが、なんでっていうと「店内にBGMが流れてた」から。かなりレアじゃろ
JDマラットギャラリーについて
何か言ってるようでほほ何も言ってない説明乙って感じだ
やっていた展示とステートメント
やってたのはコレ
作品リストのpdfにはより長いステートメントが載っていたので、そちらもgpt君に要点を抽出してもらった
エリン・ホリーの個展:「A Trans Arrangement of The Painted Space」は、2022年から2023年にかけて制作された油絵シリーズを展示する、ホリーの最初のロンドン個展です。
内部空間の探求:展示は、内部環境の深い探求と、空間と包摂の政治、現代の社会的分類、ホリーのアイデンティティと瞑想実践を通じた身体性の理解に焦点を当てています。
個人的な経験の表現:ホリーの絵画は、彼女の個人的な経験を表現するための枠組みとして「内部」を使用し、資本主義が私たちの生活空間を商品化する方法についてコメントしています。
身体と空間のメタファー:彼女の作品は、身体を家として捉え、自己の概念を壁によって制限されない存在として提示し、変化する「自己」に対する共感的な解釈を強調しています。
絵画技法とスタイル:ホリーの作品は、アカデミックリアリズムから表現的なマークメイキングと抽象化への移行を通じて、絵画プロセス自体に焦点を当て、本物の「自己」と周囲の環境との間の相違を指摘しています。
とりあえず、なんとなくわかった・・・って感じだ
展示風景とかんそうなど
象徴的な作品で、影と身体のダブルイメージがそのままテーマと重なってるんだろうと思う
また、浴槽の水が深紅の血のように見えるのも、もちろん意図がありそう
「アカデミックリアリズムから表現的なマークメイキングと抽象化への移行」って話がなんとなくわかるやつ
明確に色面分割っていうかコンポジションっていうか、幾何学的抽象化が行われてるように見える
同様にコンポジション的な処理がみえる作品
左の壁面の影と実際のフレームとのシンメトリーな感じとか
「バスルーム」なのは、やっぱり体と向き合う場所だからなんだろうか
円柱、三角形、4角形が配置された、一番抽象化が進んだ作品に見える
これも同様で三角形や四角で意図的に構成されている
天井の格子模様のパターンに三角形と四角のリズムが出てたりして、ちょっと凝っている感じだ
という感じだった
全体的に自分はトランスアイデンティティのテーマ性をちゃんと理解できてないが、表面的にどの辺が工夫されてるのかはよくわかった
Sadie Coles HQ / Co Westerik 'Centenary'
くそでかギャラリーその2
以前記事にしたアートフェア「東京現代」の立ち上げギャラリーの1つでもある
尚、この日行ったのはメイフェアにあるやつ
本体(Kingly Streetの)は最終日に行くつもりだったが結局忘れて見逃している
セイディ・コールズHQについて
ロンドンにギャラリーを3つ構えてるくそでか画廊である
やってた展示と作家について
ちゅうわけで上段のほうのを見た
というように物故作家で、ニューハーグスクールに属する画家らしい
正直ぜんぜんしらんかった
ステートメント
は、さっきのリンクから見れるので、ここではgpt君の要約を載せる
センテンスごとに箇条書きにしてもらうと以下になる
生誕100周年記念展示: Sadie Coles HQは、オランダのアーティスト、コ・ウェステリク(1924-2018)の生誕100周年を記念して、彼の絵画と関連する紙上作品を展示しています。
作品の時期: 展示される作品は1974年から2016年にかけてのもので、人間の姿を中心に据えています。
内面の探求: ウェステリクは絵画を通じて内面を探る行為と捉え、油絵とテンペラの技法で主題についてゆっくりと明らかにしています。
リアリズムと実験的な表現: 彼の作品はオランダのリアリズムの伝統と、デイビッド・ホックニー、フランシス・ベーコン、フィリップ・ガストンなどの戦後の実験的な人物画家の影響を受けています。
人間の内面の描写: 展示作品は、人間の内面の生活を表現し、自己と遭遇するすべてのものとの関係を通じて読み取り可能にしています。ウェステリクの作品は、自己を検証する方法としての対峙のアイデアを先取りしています。
展示風景 1F
イギリスなんでグランドフロアなんだろうけど、気にせず1階と書く
1Fのメインの箱はこれ
ちなみにこの背後はガラス張りになってて、通りから完全に中が見える
できればギャラリーは全部こうなっててほしい
というところで1階は終わり
安部公房のデンドロカカリア感あるやつがすきだった
なんていうか、基本的に人が真顔で、何かふだん見えないものが見えてる目をしてる
あとは自然、植物などと、人体を相対化させているような見方をしている作家だなとこの段階では思っている
体がモノ化する、モノ的に描かれることで、それを見ている人が不安になるんじゃないかという
展示風景 2F
かっけえ階段をのぼるとこうやって下が見える
2Fの展示スペースはこんな感じ
という感じで2F最初のスペースでは、1Fで見たような絵がどういう発想から出来上がってるのかを見せてくれるような形になってた
やっぱ人間を、植物画、風景画、静物画みたいに(意識的な意味で)平面的に描くという姿勢が感じられた
それは実際すごく誠実な態度だと思うが、そもそも絵画の歴史上「人体は特別」だったルールを破られるせいで、見てる方が不安になる、っていう仕組みなんじゃないか
見る方も書く方も人間に忖度してる「写実」ってのは一体写実なのか?という気はする
展示風景 2Fの奥の部屋
奥の部屋はこうなってて応接室っぽいが、入った瞬間鳥肌が立った
展示されていたのはこの2点の作品だが、そもそもこれがかなり怖い
特に2点目の、女の子がのぞき込んでる鏡の中とかがストレートに怖い
ただそれだけじゃなく、この部屋に入った瞬間にいやな気分になるかっていうと、それにもちゃんと理由があると思った
このイスとテーブルが、絵の中に出てくるイス、テーブルとかなり似てて、っていうか、絵の中の色調、トーンとよく揃っているため、絵の中の世界がこっちまで染み出してるように感じられる、のが原因だと思う
これ意図的にやってるんだとしたらマジでやばいと思った
Day1を完走してのかんそう
つう感じで初日は終了
こうやってまとめてても疲れたので、ほんと初日は疲れてたと思う
が、思った以上に展示がよかったのでやっぱ来てよかった感あったっすね
なお、観光はしないとか言ってたが
ちゃんと見るもんは見てた模様
自然史博物館はよかったけど、特に石と鳥の標本がズバ抜けて素晴らしく、金目の物を集めてたんだな、ってのが伝わって来る
ここは恐竜とかダーウィンセンターとか無視して、とにかく鉱物標本を見た方がいいと思った
震災関連コーナーには謎の日本風文字もちゃんとあったで!
ちなみにホテルは学生向けの寄宿舎に泊まった
朝・夜のメシ付きで、どんなもん食わされるんだとビビってたんだが、意外にもうまかったのでイギリスを見直した
というわけでDay2に続く!!!(たぶん)
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