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ロンドン行ってギャラリーなど見る回@Day02テートモダン

渡英したのでその記録である
今回は第2日目で、1日目は以下の投稿を参照



2日目開始

あさ8時半ころに朝飯があるので起きて食堂へ行く
前回書いたように宿は学生向けの下宿なので、ピアノの練習の音などが聞こえてた。朝から熱心なこった・・・

朝飯

やっぱ郷に入ってはなのでポリッジ(早い話が麦粥
食ったのはウォーターポリッジだった(ミルクポリッジもあった)が、見てくれほどまずくはない。つーか、うまいまである
当然のような顔してベークドビーンズも並んでたが、自分はチリビーンズとかチリコンカンを憎んでるので「エクセプトビーンズエブリシング」というプロンプトで以下のプレートを生成した

ちなみに肉類とキノコは激うまなので仮に麦粥がくそでもプラマイで勝つ

Day2行動計画

1日目でならしも終わったのでこっから本気出す日になる
ので本丸のテート・モダンからせめて、有名コマーシャル、ちかくの公立美術館、そんで残り時間はメイフェアに戻って画廊見る、という計画

具体名挙げると

  1. テートモダン

  2. ホワイトキューブ

  3. ホワイトチャペルギャラリー

  4. メイフェア(の画廊)

って順路になる
移動手段は例によって地下鉄と徒歩

ほんとはオートグラフ(Autograph)も見たかったが、移動手段がバスor徒歩だったため断念(ホワイトチャペルから北に行くとある

これで2万歩くらいしか歩かなかった ロンドン狭い説

ちなみに1日目に回ったメイフェアの画廊はこんな配置
むちゃくちゃ密集してて効率いい

それぞれ徒歩2、3分くらいの近さ

テートモダン

その道中

地下鉄Blackfriars駅で降りて、橋わたって、川沿い歩いてくとある
天王洲アイルから寺田倉庫くらいの距離感

こんな感じ

で、これがきねんに撮影したテムズ川だが、水質半端ねえな・・・
(上にあるのはオーバーグラウンドのBlackfriars駅

豪雨後の目黒川と同じドブ色

川沿いの小道みたいなとこを進んでくと対岸に見えてくる
この没落帝国を支える金融街

悪の巣窟

とか何とか言ってるとついに目的地が!
火力発電所をリメイクした美術館なため、でかい煙突があるのだ

いかにもGBな植生の裏にみえる煙突の色すら大英帝国色

現着

看板の指示にしたがってくと、この「タービンホール口」に到着する
まあたぶんタービン室があったとこなんじゃろ
こっから入るのが正規のルートらしい

ついたで!
うおおお 広れえええええ

入口では例によってドネーションを求めてくるが、こちとら通貨が暴落中のアジアからの貧乏旅行者なので遠慮した
(ただ、マップ代2£の寄付はした

案内板

チケットマークあるとこは要チケット(有料)、ないとこは無料
今回は無料だけ回ったが、冷静に考えると(ヤヨイはともかく)フィリップ・ガストンは見といた方よかった気もする・・・

まあ、ヤヨイはソールドアウトなんでどのみちみれなかったんすけどね

こういうので売り切れって初めてみたわ
どういうこっちゃ

マップ的にいうと、赤丸がタダなのでここみてくっちゅう話ですわ。
十分でっしゃろ
さすがにみたもの全部記録すんのはだるいので適当にまびく

ちゅうことで、行くぞっっっ!!

最初の部屋

で、最初の展示室は、わかりやすい現代美術オールスターだった

Bridget Riley, To a Summer's day 2, 1980

ブリジット・ライリー
こういう幻覚的な効果がある作品を当時はやったポップ・アートをもじってオプ・アート(オップ・アート、op art、Optical-Art)と呼んでた60年代を代表する作家
これが面倒なのは、(実際に光る)ライト・アートとは別物ってことだ

56、7年のアンフォルメル旋風から65年に至るまでネオダダ~反芸術の嵐が吹き荒れていた日本では、とにかく「なんか名前のついた新様式、しかも絵画」っていうのが神々しかったようで、ライリーは美術誌でもよく取り上げられてる。そうしてキネティック・アート、ライト・アート、エア・アートなどが走り抜けていく
80年代になるとルウィットなどに代表されるシステム的な絵画も登場したあとなので、むしろそっちの文脈から解釈すべきなのかもしんないが、けっこう同時代の日本の作家にも影響与えてると思う

キャプションはライリーが白黒の抽象画からスタートとして、やがてグレー、そしてカラーへと進展していったこと、あとこの作品のタイトルがウィリアム・シェイクスピアのソネット「Shall I compare thee to a summer's day?」に由来してることを説明していた

近くにはエルズワース・ケリーの64年のリトグラフもあった
このあと66年にベネチアで賞を獲ると考えるといい時期のやつだと思う。ハードエッジ・ペインティングと呼ばれる人だ
ケリーに代表されるハードエッジから、ポップアート>アースワーク、ミニマルアートを経て、バッド・ペインティング>ニューペインティングへと欧米の美術は(ざっくり)遷移していくことになるが、日本の場合はハプニング&反芸術の時代から、もの派爆誕>なんとなくもの派っぽい&ミニマル志向>平面への回帰>ニューペインティングっぽいものになり、横尾忠則が絵画やり始めたりして現在に至る

Sonia Delaunay, Triptych, 1963

ソニア・ドローネー
こうやってみると60年代としてはすでにクラシックな感じだ
当時から旦那のロベールと同じくらい取り上げられてた印象ある

Alexander Calder, Mobile, 1932

カルダーのモビール
キネティック・アートになるんだろう
こうやってライリーの作品と一緒に見られるのは趣深い

この近くにはMaria LalicWinfred Nicholsonの作品があり、どっちも自分は知らんかったんだけどイギリス出身の人で、地元の人を推してく姿勢が感じられた

Yves Klein, IKB 79, 1959

そんで猛烈にわかりやすいイブ・クラインのイブ・クライン・ブルー(IKB)
IKB79っすよ、IKB79
キャッチーすぎる

19歳のときにフランスの空みて「これが俺の初めての作品だ」と思った、みたいなことがキャプションに書いてあったが、好きだった高校の先生に家に連れ込まれその先生がヌードモデルになってくれたのに何も描けなくて白いまま残されたキャンバスを見た先生に「これが小林君の初めての作品ね💛」などと言われた小林正人に匹敵するエピソードだと思った

Farah Al Qasimi

次の部屋はこんな感じのファラ・アル・カシミの展示スペースになってた
映像、写真を組み合わせた展示だが、すげえよかった
↓日本語の記事あったので参考に載せる

うおおおお ええやん!

写真では映像はみれないが、とりあえず展示風景を一通り貼る

2、3本の映像作品がループで流れてた
ヘッドフォン3つくらいあって複数人で同時に視聴できる

ちゅう感じである
とにかく映像がおもろい 音楽も自分で作ってるそうだが、ふつうに見て楽しいもの作ってくれるのはマジで助かる

で、会場での説明もあるが、長いのでgpt4君の要約にしておく

ファラ・アル・カシミは、境界を超えた画像と装飾的なインテリアがアイデンティティ、植民地主義、趣味を語る世界を構築します。
彼女の写真は、鮮やかな色と親密な瞬間で生きているシーンで、顔やジェスチャーがよく隠されており、最初は違和感を覚えるかもしれません。
ニューヨーク市とアブダビで撮影された彼女のクロスカルチャーな生活のイメージは、植民地の歴史、現代のアイデンティティ、消費文化の間の繋がりを探ります。
アル・カシミは、「写真は地理的に混乱する感じで、多くの複雑な場所にいることを示している」と説明し、過去と現在の物語を楽しく重ね合わせます。
ここで展示される作品は、アル・カシミの家族や友人の家庭や職場でのプライベートな瞬間を垣間見せ、ニューヨークとアブダビの地元コミュニティや小規模ビジネスの詳細を描写します。
これらのイメージは、社会における性別役割の実践、およびアラブ首長国連邦における英国とポルトガルの植民地影響の長期的な遺産を探ります。
アル・カシミはまた、鮮やかな色ときらめくテクスチャーを通じてデジタル消費文化の目眩く効果を捉えます。さまざまな形のイメージメーキングが重なり合い、ここでは写真やビデオ作品を活気づけるビニール壁紙にまで及びます。
アル・カシミは、視覚文化、地理的参照、社会規範をぼかすことで、ますます相互に関連し、ハイブリッド化する世界社会における場所や事物に対する認識や理解を問いかけます。

キュレーターはナビラ・アブデル・ナビ、国際アートキュレーター、ビラル・アッコウシュ、アシスタントキュレーター、国際アート。ブライアントギャラリーで開催。

会場キャプションの画像ocrから訳・要約gpt4
改行、太字は記事執筆者

ジェンダーロール、植民地の影響、デジタル消費文化、ハイブリッド化する世界、そして個人的な願望などが織り交ざったものを提示してくれてるので、なんか変な風に極端にならず、味わいが深いものになってるんだろうと感じた
率直によかったのでまた見たい作家だ

次の部屋

いろいろあったが、気になったものは以下だす

Siah Armajani, From Seven Rooms of Hospitality, 2017

3Dプリンタで作られた立体作品
こう書くとバカみたいだが、(しょぼい)3Dプリンタで出力すると、彫刻っていうか、プラモデル的な立体造形物がコピーとして「低解像度化される」ってことに今更気づいておもろかった

で、キャプションは重いことが書いてあるので全部はる

Seven Rooms of Hospitality(7つのもてなしの部屋)は、移民や難民が耐えている状況を3Dプリントした模型のシリーズである。 作品は、難民、亡命者、国外追放者が住むことを余儀なくされる不安定な空間を探求している。
2015年8月、イラク、シリア、アフガニスタンからの亡命を求める71人がオーストリアの高速道路に放置されたローリーの荷台で窒息死した事件を受けて、アルマジャニはこの作品を制作した。
このシリーズは、哲学者ジャック・デリダとアンヌ・デュフールマンテルが1990年代のヨーロッパの移民改革に対して交わした会話「Of Hospitality」にちなんで名付けられた。

画像ocr、DeepL訳

3Dプリンタによる低解像度な出力は「難民、亡命者、国外追放者が住むことを余儀なくされる不安定な空間」を作り出すための手法のようだ

自分的にはこういう話が、結局伝聞やニュース番組というメディアに出力された形でしか受け取れず、すべてぼやけた印象になることを象徴してるのかとも思った

ボイスとホルツァーの部屋

無料ルームではかなりの目玉と思われる部屋

Jenney Holzer, BlUE PRINT TILT, 2007
なんとなく斜めから

ホルツァーはネオ・コンセプチュアルに属するらしい
(紹介は美手帖の以下を読んでくれ

で、この作品のキャプションは以下

ジェニー・ホルツァー 1950年 アメリカ生まれ、アメリカで活動。

BLUE PURPLE TILT 2007年 7つの発光ダイオード列

ホルツァーは1970年代後半からテキストベースの作品を作り始めました。これには数百のスローガンや、多くの異なる視点を表現する一般的な言い回しが含まれています。BLUE PURPLE TILTは彼女の以前の作品からのメッセージを繰り返しています。その他のテキストは、「見つけた」フレーズで、文学や政治のソースから借用されています。ホルツァーは彼女のLEDディスプレイについて次のように述べています:「サインの素晴らしい特徴は、動く能力です。私はそれが話された言葉のようなものだから大好きです。あなたは物事を強調することができ、動かしたり一時停止したりすることができます。これは声の抑揚に相当する運動的なものです。」

ARTIST ROOMS テートとスコットランド国立ギャラリー。 The d’Offay Donationを通じて共同で取得し、 ナショナル・ヘリテージ・メモリアル・ファンドと アート・ファンド2008の支援を受けています。

ocrからgpt4

「1970年代後半からテキストベースの作品を作り始め」たらしいが、当時の日本の美術雑誌で見た記憶がないので、これは(かなり)遅れて紹介されるパターンと見た
当時の美術誌はナムジュン・パイクや久保田成子すらあんまり取り上げてくれないのでメディアアートに関してはきほん冷たい

Jsseph Beuys, Blitzschlag mit Lichtschein auf Hirsch, 1958-5
人とのサイズ比較用

でかいのでヨシ!系の強みを感じるが、キャプションによると複数の作品を組み組み合わせたものらしい
アイロン台の鹿っていのうがボイスっぽい(「タイトルの鹿は、丸太の上にバランスをとるアイロン台で、光沢のあるアルミニウムで鋳造されています」って説明が部屋の説明の方には書いてあった)


この作品は、彫刻の5つの異なるセットから構成されています:「鹿」(元々は1958年に作られた)、「稲妻」、「ブーシア・フェリックス」、「山羊」、そして「原始の動物たち」。これらは、ボイスの1982年のインスタレーション「ワークショップ」に含まれるオブジェクトから鋳造されました。
ボイスによると、鹿は「苦境と危険の時に現れる、導きと保護の印」とされ、「温かく肯定的な生命の要素」をもたらすものです。アルミニウムで鋳造された唯一の部分である「鹿」は、まるで稲妻に照らされているかのように輝きます。
「稲妻」の大きな三角形は、大きな粘土の山から鋳造されました。ボイスにとって、「粘土は地球の物質であり、私たちが立っている基盤であり、恐ろしい殺戮の後に惑星を生命に目覚めさせるものです。」

gpt4訳

いちおうこの部屋全体の説明はこれ↓

ヨーゼフ・ボイスとジェニー・ホルツァーは、異なるメディアとアプローチを使用して、社会的および環境的な現実についての暗号化されたメッセージを伝えています。

ボイスの「稲妻とその眩惑の鹿」は、厳格で石化した環境です。ボイスは、可能な生態系の大惨事をほのめかすシンボルでそれを満たしました。彼は、地球の自然エネルギーを表す大量の粘土から、稲妻が地面を打つことを表す大きなブロンズの塚を鋳造しました。タイトルの鹿は、丸太の上にバランスをとるアイロン台で、光沢のあるアルミニウムで鋳造されています。ドイツ神話では、鹿は困難や危険の時に現れる導きと保護の印です。

目を引くホルツァーの「BLUE PURPLE TILT」は、表面上ははるかに直接的な方法でコミュニケーションをとるように見えますが、それでもなお謎めいています。彼女は私たちに彼女のメッセージを自分たちで読み解くように招待します。点滅するLED文は、私たちが毎日直面する情報過多と対立する視点に対処します。彼女は尋ねます、「これらの視点が存在し、時には喧噪し、時には戦い、時には殺人的であるとき、内外でどのように対処しますか?」

キャリアの初期に、ホルツァーは彼女のメッセージをポスターやTシャツに掲載し、博物館やギャラリーではなく、日常的な文脈で見られるようにしました。LEDサインは、広告や金融市場のディスプレイに使用されるもので、彼女のテキストベースのプロジェクトのための別の手段を提供しました。スクロールする電子テキストは、人々が都市の通りでテキストの断片に出会う方法を反映しています。

キュレーターは、バレンティーナ・ラヴァリア、ディスプレイ&インターナショナルアートキュレーターです。
ARTIST ROOMSは、テートとスコットランド国立ギャラリーが所有する国際アートの巡回コレクションで、アートファンドとヘンリー・ムーア財団の支援を受けて、英国中の展示会で紹介されています。

会場キャプションの画像ocr、gpt4訳

また歴史的なやつ

実は間に映像作品とかもあるが飛ばして有名な人出てくるとこ(あんま知らない人も出てくるが)について

Nelson Leiner, Homage to Fontana Ⅱ, 1967 

フォンタナっぽさとカラーフィールド、ハードエッジなどが共存してる感じのおもろい作品

ネルソン・レイナー 1932-2020 ブラジル生まれ、ブラジルで活動。

フォンターナへのオマージュ II 1967 綿、鋼、アルミニウム

パトリシア・フェルプス・デ・シスネロスによって寄贈され、 ティキ・アテンシオ・デミルジアン2009年の名誉を称えて ラテンアメリカ買収委員会を通じて。 112976

「フォンターナへのオマージュ II」は、キャンバスに穴を開けたり切り込みを入れたりして絵画の表面の向こうに新しい空間を作り出したイタリアのアーティスト、ルチオ・フォンターナへの遊び心あふれるトリビュートです。レイナーの作品は、カットの代わりにジッパーを使用し、異なる色の布のパネルを明らかにしています。元々、レイナーは観客がパネルを開閉して自分たちのリバーシブルな「カット」を作ることを招待していました。彼は「フォンターナへのオマージュ」作品の複数のバージョンを非常に低いコストで製作して販売する計画でした。

レイナーは最初、1963年の第7回サンパウロビエンナーレで展示しました。1969年には、ブラジルの軍事独裁政権の抑圧的な行動に抗議して第10回ビエンナーレをボイコットした数名のアーティストの一人でした。

Zilia Sánchez, Las Amazonas, 1968

ジリア・サンチェス(って読むのかはしらないがgpt君の説だ)の68年の作品
ちょっと誰のだか忘れてしまったが京都近美の「現代の動向」展で似たような作品を見た記憶がある(動向展は63~70年に開催されていた)
これも68年なので、こういう伸縮性のある素材で半立体な作品を作るのは世界的な傾向としてあったのかもしれない

ジリア・サンチェス 1926年生まれ
キューバ生まれ、キューバとスペインで活動、アメリカで作品を作る

ラス・アマゾナス 1968 アマゾン アクリル絵の具のキャンバス

この絵画では、抽象的な女性の体と幾何学的な形が伸ばされたキャンバスから浮かび上がっています。絡み合った形は激しい物理的なつながりを示唆しています。サンチェスの作品は、独特な形をした木製のフレームのためにしばしば「エロティックなトポロジー」と表現されます。タイトルは、古代ギリシャ神話でその激しい独立心で知られる伝説の女性戦士と狩猟者であるアマゾンにちなんでいます。サンチェスはハバナ、キューバに住んでいる間に抽象作品の制作を始め、1959年に第5回サンパウロビエンナーレに出展しました。

Fernand Léger, Leaves and Shell, 1927

特徴的な「パイプ」がばっちり出てるレジェの作品

フェルナン・レジェ 1881-1955
フランス生まれ、フランスとアメリカで活動

葉と貝殻 1927
キャンバスに油絵

レジェの絵画はしばしば機械製の物体や現代の都市生活を祝福します。しかし1920年代後半には、彼は自然の形を作品に取り入れ始めました。絵の左側を下る曲線は、水平および垂直の線の基本的な幾何学的構造を柔らかくしています。それはまた、葉や貝殻の有機的な形へのリンクとしても機能します。これらの自然主義的な要素は、その流線型の形状で、画像の抽象的な部分と密接につながっています。 ​​

Antoine Pevsner, Maquette of a Monument Symbolising the Liberation of the Spirit, 1952

うおおおペヴスナー! 初めてみた!
ロシア構成主義に「構成主義」って名前つけた人!!
やっぱボイスとかとの関係を考えると、シュプレマティズムや構成主義は無視できないってことなんだろう

アントワーヌ・ペヴスナー 1884-1962
ロシア帝国生まれ、ロシア帝国、ロシア ソビエト連邦社会主義共和国およびフランスで活動

精神の解放を象徴する記念碑の模型 1952 ブロンズ

これははるかに大きな作品のための模型であり、 国際彫刻コンペティションへのペヴスナーの応募作品です。'未知の 政治犯'は1952年にロンドンの現代美術研究所が組織した記念碑の 委託によるものでした。ペヴスナーは、完全に直線的な要素から 複雑な有機的形態を構築しました。彼は、あらゆる方向から全体を 見ることができる建築的な存在感と幾何学的なデザインを持つ 抽象的な記念碑を作成しようとしました。繰り返される線は'監禁の象徴'です。 球体の深淵に浮かぶ動機は捕虜のイメージを強調し、それは 細胞の形で具現化されます。

Kazimir Malevich, Dynamic Suprematism, 1915 or 1916

そんで隣に並んでるのは当然シュプレマティズムのマレーヴィチ

カジミール・マレーヴィチ 1879-1935 ウクライナ生まれ、ロシア帝国で活動、後にソビエト連邦で活動

ダイナミック・シュプレマティズム 1915年または1916年
スプレムス キャンバスに油絵

マレーヴィチの抽象絵画は、第一次世界大戦とボリシェヴィキ革命の激動の時期に発展した、芸術実験の激しい時期に属しています。1915年にマレーヴィチは具象形態を捨て、幾何学的抽象という純粋な創造的体験を追求しました。彼の最初のそのような作品は、白いキャンバスに黒い正方形を描いた声明であり、絵画の発展にとって重要な瞬間を示しました。ダイナミック・シュプレマティズムは、白い背景に対して空間で活性化された明確な幾何学的形態を使用して開発した一連の作品に属しています。

Josef Albers, Untitled Abstraction V,  c.1945

アルバースのたぶん45年頃(circaついてまんねん)の作品
時代を考えると相当先取りしてる感じもする
このころの村井正則とか吉原治郎とかがもしアルバースと接触できてれば・・・と思ったりしてしまう

ジョセフ・アルバース 1888-1976
ドイツ生まれ、ドイツとアメリカで活動

タイトル不明 アブストラクション V c.1945
紙にグラファイトとグワッシュ

アルバースは視覚的認識の性質に魅了されました。タイトル不明 アブストラクション V の連動する形は、遠近法のアイデアを使って前景と背景を区別することを困難にします。ドイツでは、アルバースは1923年からバウハウス美術工芸学校で教鞭を執り、1933年にナチス政権によって閉鎖を強いられた後、彼はユートピア的なアイデアを持ってノースカロライナのブラックマウンテンカレッジの新しい教職に移りました。下のショーケースに展示されたネオコンクリート宣言では、アルバースがブラジル運動に重要な影響を与えたと述べています。

Alexander Calder, Stabile, c.1945

カルダーのたぶん45年頃の作品
こうやってみるとめっちゃかっこよいので、当時みんなやられてしまったのがよくわかる
こうやって実作みると、影もすげえいい感じだし、それを見せてくれる照明も素晴らしい

アレクサンダー・カルダー 1898-1976
アメリカ生まれ、フランスとアメリカで活動

スタビレ c.1945
塗装された金属、鋼、ワイヤー

カルダーの彫刻は質量と重さの固体物体として現れるのではなく、それを取り巻く空気の流れと共に動きます。三脚の構造をスタンドとして使用し、この作品は、カルダーの吊り下げられた彫刻「モビール」と彼の静的な作品「スタビレ」の両方の要素を組み合わせています。1953年の第2回サンパウロビエンナーレでは、カルダーに捧げられたセクションがあり、いくつかのモビール-スタビレのハイブリッドが含まれていました。彼の作品は、幾何学的抽象とシュルレアリスムの間のつながりを提供しました。彼のサスペンションと動きの使用は、コンクリティズムやネオコンクリティズムなどのブラジルの芸術運動に強い影響を与えました。

Lucio Fontana, Spatial Concept 'Waiting', 1960

フォンタナ!! 空間主義!!
この作品を64年にテートは買ったらしい えらい

ルチオ・フォンタナ 1899-1968
アルゼンチン生まれ、イタリアとアルゼンチンで活動

空間概念「待ち」1960
キャンバス

「空間概念、待ち」は、切り込みが入った塗装されていないキャンバスで、黒のガーゼが裏打ちされています。これは「タリ(切り込み)」と呼ばれるシリーズの作品の一部で、フォンタナが1958年から1968年の間にミラノで制作しました。キャンバスに切り込みを入れることで、二次元と三次元のアートワークの境界線をぼかします。この切断は、損害を与える暴力的なジェスチャーとして見ることもできます。しかしフォンタナにとって、それは平面の彫刻的な可能性を解き放つことです。「私は破壊したのではなく、構築した」と彼は説明しています。黒のガーゼは虚空のような外観を作り出し、私たちを引き込むか、リスクの感覚を呼び起こすかもしれません。

Maria Helena Vieira da Silva, The Corridor, 1950

ヴィエイラ・ダ・シルヴァの50年の作品
ぜんぜん知らんかったんだけど、河原温の初期作品に似たような傾向があると思った。時代的にも近い
これも53年に買っているらしいが、正直すごい

マリア・ヘレナ・ヴィエイラ・ダ・シルヴァ 1908-1992
ポルトガル生まれ、ポルトガル、フランス、ブラジルで活動

回廊 1950
キャンバスに油絵

ヴィエイラ・ダ・シルヴァは第2回サンパウロ・ビエンナーレに参加し、第6回1961年のメイン賞を受賞しました。彼女は戦後パリにおける表現主義的抽象画の重要人物でした。彼女の作品は常に可視的な世界への言及を保持し、しばしば迷路のような建築形態を複雑な遠近法の線で描いています。この作品は、ヴィエイラ・ダ・シルヴァが育ったポルトガルの家庭の空間に一般的なタイル張りの表面を想起させます。彼女は紫、青、緑、黄色、赤を使って「回廊」を描きました。多くの白い絵の具と混ぜ合わせた彼女の色は、遠くからでは微妙な色合いが見えにくいです。

あとはクリストもあった(作品名メモってない)
他にもゴンチャロワの作品あったりしてよかったんだけど、スルー

まさかのミン・ウォン部屋

なんかみたことあるなと思ったら、ミン・ウォンじゃねーか!っていう部屋があった
すげえ人だったんだな、という気持ちでいっぱいである
(↓以下にそのミン・ウォン「宇宙歌劇」についての記事がある)

Ming Wong, Life of Imitation, 2009

そんで映像作品が上映されていた

このアーティストは、映画とニュースメディアがアイデンティティを形成する上での世界的な影響を探求しています。

ミン・ウォンは、映画の代替歴史を想像するアートワークを作ります。『模倣の人生』では、ウォンはダグラス・サークの1959年のハリウッドメロドラマ『模倣の人生』のタイトルを反転させています。この映画は人種的アイデンティティと「通過する」という概念を検討しています。ウォンのバージョンでは、彼は黒人のメイドと、肌が白く「白人として通過する」ことができる彼女の娘の間の感情的に充電されたシーンを再演します。ウォンは、シンガポールの三大民族グループ、中国人、マレー人、インド人の男性俳優を採用しています。これらの女性の役割で男性をキャスティングすることにより、ウォンはメロドラマの誇張された動きと表現と、ドラッグのそれとの間に関連性を描きながら、同時にシンガポールのアイデンティティの概念を複雑にしています。

*「通過」(passing)とは、自分のものとは異なる人種的アイデンティティの外見を与える行為を説明するために使用される用語で、通常はより特権的な多数派が通常享受する社会的および経済的利益にアクセスするために使用されます。

passingについての()は記事執筆者が追加

ビヨンド・ポップ

っていう説明のある広い空間に来た
が、けっこう混んでたのであんまり写真撮ってない

どっかで見たことあるのが並んでる部屋

ポップを超えて

世界中のアーティストたちは、社会的および政治的問題にコメントするために、大衆メディアから画像を借用してきました。

ポップアートは大量生産されたポピュラーカルチャーのイメージと関わりを持ちます。しばしば北米やイギリスの現象と思われがちですが、実際には様々な文化や国々が1960年代から1970年代にかけてポップムーブメントに貢献しています。

この部屋の多様な作品を結びつけているのは、人物やその他の認識可能な形態の存在です — これは20世紀半ばのアートにおける抽象表現の支配に対する反応です。イメージはしばしば広告や大衆プレスから借用され、多くの作品が商品パッケージやサインの大胆な形や色を模倣しています。

しかし、ここに展示されている作品が示すように、ポピュラーや商業的なソースを描くことがポップアートを消費主義を祝うことにつながるわけではありません。代わりにそれは、クールな皮肉から反体制的な社会批評に至るまで、さまざまな反応を包含することができます。

キュレーション:フラヴィア・フリジェリ

Chryssa, Study for Gates No. 4, 1967

クリッサのライト・アート
日本でもこれやってる人たくさんいたし、いまもいる気がする

R.B. Kitaj,  Isaac Babel Riding with Budyonny, 1962

ホックニーと同じく具象絵画やってポップアートの先駆け的な人になったRBキタイ
まともに見たことなかったので助かった

片山真理からの「具体 Gutai」

ここで日本の作家がどかんと来る
とか言ってるが、実は写真撮ってないだけで、ここまででも小清水漸菅木志雄安齊重男のいろいろな70年代の東京の展示写真、あと工藤哲己のあのちょいグロイ立体作品ががっつり展示されていたので、日本の作家は実はかなりの分量で展示されてる(これについては最後にまた書く)

片山真理作品の展示風景

そんでもって隣の部屋行くと「具体コーナー」が広がる
見たことないのが多くて大興奮!!

「具体美術協会」の解説ボード

長いが素晴らしい解説なので全文引用する

具体美術協会

日常の材料を使用し、具体アーティストたちは芸術制作に新たな自由をもたらしました。遊び心を持って、彼らは絵画、パフォーマンス、インスタレーションといった拡張された形式で実験しました。

具体美術協会は芦屋市を拠点として、吉原治良によって1954年に設立されました。個人の精神は彼らの哲学の中心でした。第二次世界大戦中、日本の全体主義的な政権は統一された国家アイデンティティを推進しましたが、個人の表現は抑制されました。戦後、具体は芸術的実験を追求しました。

「具体」という言葉は、アイデアの物理的な体現を意味します。この用語は「gu」つまり道具や何かをする方法、「tai」つまり身体を意味する言葉から来ています。行動と素材はアーティストにとって同じくらい重要でした。異なるスタイルで作業をしていたとしても、具体のアーティストたちは実験的なアプローチで団結していました。彼らは従来の制作方法を拒否し、裸足で絵を描いたり、ジョウロ、自家製の大砲、さらにはリモートコントロールされたマシンを使いました。彼らのアートワークや「パフォーマンスペインティング」は、それを生み出した行動の記録として残っています。創造の行為は、結果のアートワークと同じくらい重要です。

このグループはさらに、ギャラリーの枠を超えて展示会を行うことで伝統を破りました。彼らは公園や舞台、さらには空に展示会を開催しました。彼らの作品の多くは場所特有であり、儚いもので、「芸術を生きた時間に持ち込む」ことを目指しました。今日、これらの作品は主にドキュメンタリー写真としてのみ存在し、その多くがこの展示に含まれています。

キュレーション:ヘレン・オマリーとキャサリン・ウッド

リアルタイムで具体をみてた日本の批評家は「タピエの通従者」くらいにしか思ってないようだが、(千葉成夫などが指摘している通り)「前期具体」の活動こそ真の具体美術なんだよ!っていうことを言ってくれてる最高の解説
スカイフェスティバル(アドバルーンに作品括りつけて屋上から飛ばした展覧会)まで言及してるのがすばらしい

嶋本昭三, 穴, 1954

本物見れて最高にうれしい嶋本昭三の作品
54年ってことは小原会館に展示したやつなんじゃろうか

それはともかく、「2002年にアーティストによって寄贈」って書いてあってびびった
なんで日本の美術館が収蔵してないん???

大辻清司, 村上三郎、突破する、第2回具体美術展, 1956年、2012年にプリント

有名な村上三郎のパフォーマンスを撮影した大辻の写真作品
これも「2019年アジア太平洋購買委員会の資金提供により購入」とのことなので、最近収蔵されている

大辻清司, 田中敦子、「エレクトリックドレス」、第2回具体美術展 , 1956年、2012年にプリント

田中敦子の電気服パフォーマンス写真
田中の絵画作品の展示には、この写真も並べてほしいというか、何かしら配慮してほしいと思う
でないと平面に閉じ込められ、その先駆性の大部分が死ぬからだ
このテート・モダンに並ぶ50年代のどの作品と比べても、田中のやってることが一番尖ってる

「エレクトリックドレス」は、手塗りの赤、緑、黄、青の点滅する電球で作られた着用可能なアート作品です。田中敦子は、テクノロジーとアートを融合させた実践を行った最初の具体のアーティストの一人でした。彼女は1950年代の新しいネオンで満ちた日本の都市風景にインスパイアされました。この作品は、パフォーマンスを行う間に着用することを意図して設計され、小さな電気ショックを着用者に与えることができ、彼らが光の電球の物質的な特性と直接的に対話することを可能にしました。

田中竜児, 生(9), 1962-3

パンリアル美術協会と具体、どっちにも所属したことがある珍しい人
作品初めてみたが、確かに日本画感ある
62年ということはアンフォルメル以降だが、ほとんど流されてない感じがして強い
解説では白髪一雄への言及があり、白髪のネームバリューがよくわかる

田中隆二は、京都市立絵画専門学校で日本画を学びました。別の具体のアーティストである白髪一雄も彼と一緒に学びました。日本画では、顔料に糊を混ぜて固定剤として使用します。これを筆で塗ります。この作品では、田中は鉱物顔料に小石を加え、羽を使って絵の具を塗ることで、伝統的な日本画のスタイルと技法に挑戦しました。

名坂有子, 無題, 1964

名坂有子の作品、本物初めてみた
「2017年 アート購入基金により購入」とのこと

名坂有子 生まれ 1938年 日本で活動

無題 / 1964年
合成ペイント、プラスターと接着剤を綿に塗り、木製ボードに取り付け

この作品は8枚のプラスターパネルから成り立っています。永島洋子は陶器の車輪を回しながら、プラスターにパレットナイフで模様を彫りました。その後、彼女はプラスターにダークブルーのラッカー塗料を施しました。テクノロジーを駆使した作品を試みた具体アーティストの世代の一人です。彼女の作品は、工業素材を使用し、日本の急速な経済成長を象徴しています。

前川強, 二つの接続点,1962年

麻布にこだわりのある前川強の作品
前川作品も初めて見た

前川強 1936年生 日本で活動

二つの接続点 1962年
キャンバスに油絵の具と麻布

二つの接続点を創るために、前川は麻布の切れ端を配置しました。麻布は元々米袋などに使われる布で、キャンバスに固定し、その上に油絵の具を注ぎ、縫い、捩じり、引っ張ることで、抽象的なテクスチャーを創り出しました。このプロセスは、画面の外側にある物質的なソースを探求することで、絵画とは異なるイメージを生み出します。前川は具体派の重要なメンバーで、彼らの作品は日常的な素材や工業的な方法を採用し、絵画とパフォーマンスの関係性を探求しています。

この他に小野田實の、もう絶対に小野田實以外ありえない作品もあったが、写真がひどかったのでここには載せてない

全般的に収蔵されてる具体の作品は
・前期具体のパフォーマティブな作品
・60年以降、具体第二世代の平面作品

となっててる
こうすることで、そもそも具体が一番輝いてるところのと、アンフォルメル以降の(つまんなくなったといわれる)平面作品が多くなり始めた具体の姿の、両面を見せることができる

たぶんこのキュレーターもそう思ってると思うが、「具体はアンフォルメルに収れんしていってつまんなくなった説」は表面的すぎる

テートモダンの全体的かんそう(いい加減疲れた・・・)

駆け足でみたテートモダンはこんな感じである
もっとバエる展示いっぱいだったが、鑑賞の事情もあってとってない
(リキテンスタインの部屋とかは授業中だったりした

で、とりあえず見た感想を挙げてきたい

  • 自国の作家を頑張って紹介してる!
    まじでこれ。堂々とイブ・クラインの前に飾る
    外国の美術館で展示されないんなら、自国の美術館に置くべき
    どっちかっていうと、日本はこの逆をやってる気がする

  • 部屋ごとに傾向がわかりやすい!
    で、↑を可能にするのがこの「傾向ごとのまとめ」である
    なんか「色彩と形」みたいな部屋なら有名無名問わず、そういう傾向の作品をならべられる。クラインとケリーとしらん人並べる理由ができる
    まあ単純に見る方にとってもわかりやすいというのももちろんある

  • ガキが多い!
    ここだけじゃないが、これはマジでショック
    小学生くらいのガキがマレーヴィチの絵にたかってる
    自分は美術教育すべき派じゃないが、もしたまたま才能ある子がいたら、そいつはものすごいスタートダッシュ決めそう
    斎藤義重がたまたまガキのころロシアの作家の展示見て目覚めた、って話してたと思うがその発生率増やせる

  • 美術館の職員がめっちゃしゃべってる
    客いなくてもがやがやしてる
    日本だと文句出そうだが、さっき書いた通りガキが走り回ってるのでぜんぜん気にならない
    おかげでこっちもふつうに会話できる

  • 日本の作家すげえ取り上げられてる!
    マジで?ってくらい扱い大きいが、その反面いろいろ思うところある

マレーヴィチの作品前で何か熱心にメモをとるガキども

日本代表は「具体」な件

一番大きく取り上げられるのが「もの派」じゃなく「具体」だってこと
これはある意味しょうがないところがあって、具体はちゃんと「具体グループ」が存在するのに対し、もの派は別にグループじゃない
なので美術運動体としての紹介のしやすさは具体だろう

また、単純に活動のレベルとしても50年代にパフォーミング、テクノロジーアートをやった具体は世界的に見て異常な目線の高さにいる
ポロックはアクション・ペインティングやってたかもしんないが、こっちは白髪がセメントの中のたうちまわって、元永はビニールに色水ためて、村上は紙に体当たりし、田中は電気服着て踊ってたんだから、「ペインティング」どころの騒ぎじゃない(まあ、それを当時の批評家は完全にスルーしたんだけど・・・

一方の「もの派」は、ちゃんとリアルタイムで理論化しようとしてた美術運動として画期的なものだったが、世界的なミニマルアート、プライマリー・ストラクチャーの潮流があった中なので、突き抜けて先行してたか?と言われると若干もにょる

なので現代美術の中で、それもWW2直後に起こった美術運動として見ると、「具体」が世界的にみても稀有なものとして評価されるのは正統だろう

もちろん、もの派も無視されてるわけじゃなく、テートモダンでも実質的に語られてはいる
菅木志雄、小清水漸、高松次郎、といった真正もの派からもの派周辺の作家、そんで菅の活動他を写真に収めてきた安斎重男がいれば、十分フォローできてるといえる

で、この具体とかの常設展示が日本(東京)ではない件

まじで困る
なんでって、こういうことが起きる

テート・モダンに世界中から客が来る
 ↓
みんな「Gutai」を見て興奮する
 ↓
本場の日本で「Gutai」をもっと見たくなる
 ↓
札束持って来日する
 ↓
ねえんだな、そんな美術館・・・・

大阪中之島美術館ならまだ少しは常設にあるが、東京は壊滅的だろう
現代美術も浮世絵みたいなことになりそうだ

おえかきコーナー

などと言いつつテートモダンを後にするのだった
ヤヨイに見守られて!!

※くっそ長くなったので2日目のこの後は別記事にするわ!!

やよいのおかげで日本現代美術に対する視線は
だいぶ違ってる気がするのでマジで感謝すべき


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