【超名著】 『嫌われる勇気』を読もう
こんにちは。
皆さん、普段本は読みますか?
むちは結構気まぐれなので、本を読むモードになったら集中的に読むし、読まなくなったらぱったりといった感じです。
今は正直ほとんど読めていないですね。
ジャンルとしては、小説も好きですが、自己啓発系なんかも結構好きで、今まで何冊か読んできました。
その中でも、特に「これは名著だ!」と思った本が、『嫌われる勇気』です。
『嫌われる勇気』は、2013年に発売され、大ベストセラーにもなりましたので、一度くらいはタイトルを聞いたことがあるのではないでしょうか?
すでに読んだことのある方は、その魅力について十二分にご存知であると思いますが、「タイトルは知っているけど、一体どんな本なのかしら?」という方もいらっしゃると思います。
そこで、今回は、むちがとても感銘を受けた超名著『嫌われる勇気』について、ご紹介していきたいと思います。
むちは、最近はKindleの電子書籍で本を読むことが多いのですが、これがまたとても便利で、気に入った箇所に自由にマーカーで線を引くことが出来るんですよね。
よって今回は、むちが気に入ってマーカーした箇所(大量にあります)を章ごとに引用してご紹介しながら、『嫌われる勇気』について、一緒に読み解いていきたいと思います。
と、その前に、『嫌われる勇気』について簡単にご説明しておきます。
この本の正式名称は、『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』といって、岸見一郎と古賀史健の共著による、アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説した書籍となります。
アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を哲学者(哲人)と若者の会話を通して、分かりやすく解説しています。
さて、それでは、むちと一緒に『嫌われる勇気』を読み解いていきましょう。
1. トラウマを否定せよ
<過去に支配されない生き方>
過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるのです。
もしもあなたが原因論の住人になってしまえば、過去に縛られたまま、この先ずっと幸せになることができなくなります。
<あなたは「このまま」でいいのか>
大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである
<人は常に「変わらない」という決心をしている>
あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだ
ライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能
問題は過去ではなく、現在の「ここ」にあります。
これまでどおりのライフスタイルを選び続けることも、新しいライフスタイルを選びなおすことも、すべてはあなたの一存にかかっています。
あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。
つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。
あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。
「過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくる」
とても響く言葉ではないでしょうか。
これはアドラー心理学の根幹をなす考え方ともいえるでしょう。
トラウマを否定するということは、過去の嫌な出来事と現在の状況の関係性を切り離すということだと思います。
わたしたちは得てして、「過去にあの出来事が起きたから、今わたしはこんなにも不幸な目にあっているんだ」と思ってしまいがちです。
※アドラーがいうところの、「原因論」という考え方です。
Aが起きたから、Bという状況に陥ってしまったのだという考え方。
しかし、アドラー心理学では、この原因論の考え方を否定します。
「もしもあなたが原因論の住人になってしまえば、過去に縛られたまま、この先ずっと幸せになることができなくなります。」
というのです。
過去の呪縛から解き放たれなければ、わたしたちは幸せになることはできないのです。
「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
この言葉も、むちの心に深く突き刺さりました。
これもアドラー心理学の根幹をなす考え方といえるでしょう。
この言葉を、常に意識して反芻するだけで、生きるのが少し楽になると思います。
「なにが与えられているか」にばかり注目するのではなく、「与えられたものをどう使うか」に注目するのです。
「あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。」
アドラー心理学は、徹底的に過去のトラウマを否定し、現在である「いまここ」を生きることの重要性を訴えます。
つまり、今あなたが幸せでないのは、過去のせいではなく、ただ「幸せになる勇気」が足りていないだけだというのです。
わたしたちは、無意識のうちに自ら、「変わらないこと=不幸であり続けること」を選んでいる可能性すらあるのです。
目から鱗ですね。
2. すべての悩みは対人関係
<すべての悩みは「対人関係の悩み」である>
個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ、そこにはかならず他者の影が介在しています。
<劣等感は、主観的な思い込み>
われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。
<人生は他者との競争ではない>
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。
「個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ、そこにはかならず他者の影が介在しています。」
たしかに言われてみればそのとおりかもしれませんね。
人は必ず他者と自分を比べて、劣等感を抱き、それが悩みに繋がります。
もしも宇宙にぽつんとあなた一人だけしか存在しないなら、劣等感を抱くこともなく、故に悩みを持つこともないでしょう。
「われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」
われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。」
しかし、他者と一切関わらないということは現実的にはありえません。
多かれ少なかれ、わたしたちは他者と関わり合いながら生きていくのです。
そこでは、他者と自分を比べることにより、劣等感が生まれるでしょう。
ただその劣等感とは、決して「客観的な事実」ではなく、あくまでも「主観的な解釈」であると、アドラーは言うのです。
「客観的な事実を動かすことはできないが、主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。」
つまり、自分の解釈次第で、劣等感を抱かずに済むことができるということです。
とても勇気づけられますね。
※例えば、背が低くて悩んでいる男性がいるとします。
ここで、「大柄で屈強な男性は、それだけで相手を威圧してしまうところがあるのかもしれない。一方、小柄なわたしであれば、相手も警戒心を解いてくれる。小柄であることは自分にとっても周囲の人にとっても、好ましいことなのだ」と自分自身の解釈を変える(価値の転換)をすることによって、背が低いという悩みから解放されることになります。
つまり、身長という客観的事実ではなく、身長に対して自分がどのような意味づけを与えるのかというのが重要なのです。
「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。」
劣等感を抱くこと自体は決して悪いことではありません。
ただ、他者との比較によって劣等感を抱くことは健全ではないとアドラーは言います。
理想の自分と現在の自分を比較して、健全な劣等感を抱き、いまの自分よりも前に進もうとすることは、すなわち自らの成長に繋がります。
まさに、「自分の最大のライバルは、自分自身である」という考え方ですね。
3. 他者の課題を切り捨てる
<「課題の分離」とはなにか>
われわれは 「これは誰の課題なのか ? 」という視点から 、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある
あらゆる対人関係のトラブルは 、他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます 。
課題の分離ができるだけで 、対人関係は激変するでしょう 。
<他者の課題を切り捨てよ>
もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら——その悩みは対人関係なのですから——まずは 、 「ここから先は自分の課題ではない 」という境界線を知りましょう 。そして他者の課題は切り捨てる 。それが人生の荷物を軽くし 、人生をシンプルなものにする第一歩です 。
<対人関係の悩みを一気に解消する方法>
まずは 「これは誰の課題なのか ? 」を考えましょう 。そして課題の分離をしましょう 。どこまでが自分の課題で 、どこからが他者の課題なのか 、冷静に線引きするのです 。
そして他者の課題には介入せず 、自分の課題には誰ひとりとして介入させない 。
<ほんとうの自由とはなにか>
「自由とは 、他者から嫌われることである 」
あなたが誰かに嫌われているということ 。それはあなたが自由を行使し 、自由に生きている証であり 、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです 。
自由を行使したければ 、そこにはコストが伴います 。そして対人関係における自由のコストとは 、他者から嫌われることなのです 。
他者の評価を気にかけず 、他者から嫌われることを怖れず 、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり 、自分の生き方を貫くことはできない 。つまり 、自由になれないのです 。
あなたのことをよく思わない人がいても 、それはあなたの課題ではない 。
そしてまた 、 「自分のことを好きになるべきだ 」 「これだけ尽くしているのだから 、好きにならないのはおかしい 」と考えるのも 、相手の課題に介入した見返り的な発想です 。
「われわれは 「これは誰の課題なのか ? 」という視点から 、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある」
「課題の分離」という考え方も、アドラー心理学の根幹をなす考え方のひとつです。
”自分は自分”、”他人は他人”ときっちり分けて考えることによって、対人関係において余計なトラブルを生まずに済むと言うのです。
「他者の課題は切り捨てる 。それが人生の荷物を軽くし 、人生をシンプルなものにする第一歩です 。」
わたしたちは、無意識のうちに、他者の課題に介入してしまっているのかもしれません。
この他者には、当然、”友人”や”恋人”、”家族”も含みます。
ドライな言い方に聞こえるかもしれませんが、他者の課題を切り捨てることによって、人生がシンプルになるということです。
常に 「これは誰の課題なのか ? 」を考え、課題の分離をしていき、他者の課題には介入しないことによって 、対人関係の悩みから解放されましょう。
「自由とは 、他者から嫌われることである 」
結構衝撃的なワードですよね。
ただ、「課題の分離」という考え方ができるようになれば、「あなたのことをよく思わない人がいても 、それはあなたの課題ではない 。」という言葉が腹落ちするはずです。
この部分が、著書のタイトル『嫌われる勇気』にもつながってくるのです。
そして 、 「自分のことを好きになるべきだ 」 「これだけ尽くしているのだから 、好きにならないのはおかしい 」と考えるのも 、相手の課題に介入した見返り的な発想であると言います。
わたしたちは知らず知らずのうちに、自分本位の考え方になってしまうのかもしれません。
「課題の分離」を実践するのは大変難しいですが、これができるようになればわたしたちはもっと楽に生きやすくなるでしょう。
4. 世界の中心はどこにあるか
<なぜ「わたし」にしか関心がないのか>
「他者からどう見られているか 」ばかりを気にかける生き方こそ 、 「わたし 」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです 。
<叱ってはいけない、ほめてもいけない>
アドラ ー心理学ではあらゆる 「縦の関係 」を否定し 、すべての対人関係を 「横の関係 」とすることを提唱しています 。
劣等感とは 、縦の関係の中から生じてくる意識
あらゆる人に対して 「同じではないけれど対等 」という横の関係を築くことができれば 、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります 。
「「他者からどう見られているか 」ばかりを気にかける生き方こそ 、 「わたし 」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです 。」
他者の目ばかりを気にしているのは、実は自己中心的であるとアドラーは言います。
他者の目を必要以上に気にせず、「嫌われる勇気」を持って生きましょうということですね。
「あらゆる人に対して 「同じではないけれど対等 」という横の関係を築くことができれば 、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります 。」
これも非常に大切な考え方ですよね。
私たちは無意識のうちに、対人関係において上下関係(優劣)を築いてしまうのでしょう。
それは、人種差別や、ひいては戦争などにもつながっていきます。
「人類みな平等」というとても当たり前なことが、いかに当たり前にできていないかということを実感させられます。
『嫌われる勇気』、道徳の教科書にしてもいいのではないでしょうか。
5. 「いま、ここ」を真剣に生きる
<自己肯定ではなく、自己受容>
われわれは 「わたし 」という容れ物を捨てることもできないし 、交換することもできない 。しかし 、大切なのは 「与えられたものをどう使うか 」です 。 「わたし 」に対する見方を変え 、いわば使い方を変えていくことです 。
「変えられるもの 」と 「変えられないもの 」を見極めるのです 。われわれは 「なにが与えられているか 」について 、変えることはできません 。しかし 、 「与えられたものをどう使うか 」については 、自分の力によって変えていくことができます 。だったら 「変えられないもの 」に注目するのではなく 、 「変えられるもの 」に注目するしかないでしょう 。わたしのいう自己受容とは 、そういうことです 。
交換不能なものを受け入れること 。ありのままの 「このわたし 」を受け入れること 。そして変えられるものについては 、変えていく 〝勇気 〟を持つこと 。それが自己受容です 。
神よ 、願わくばわたしに 、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと 、変えることのできる物事を変える勇気と 、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ
「われわれは 「わたし 」という容れ物を捨てることもできないし 、交換することもできない 。しかし 、大切なのは 「与えられたものをどう使うか 」です 。 「わたし 」に対する見方を変え 、いわば使い方を変えていくことです 。」
この考え方は最初の方にも登場したと思いますが、むちが『嫌われる勇気』の中でも一番心に深く刺さった考え方ですね。
人はみな対等であるというのは前にも書いたとおりですが、現実においては、悲しいことに、人はとても不平等なものです。
例えば、生まれた環境、貧富の格差、健康の問題、障害の問題、ルックス等々挙げればキリがありません。
こうしたものは交換不能なものであり、いくら文句を言ったところで、変えることはできません。
与えられたものは、いくら頑張っても変えることはできません。
わたしという容れ物自体を変えることは絶対にできないのです。
でも、与えられたものをどう使うかは、自分次第です。
与えられたわたしという容れ物の中で上手くやりくりをして、それぞれの人生を精一杯に生きていく。
これが、人生における最大にして唯一のライフハックなのではないでしょうか。
むちは強くそう思います。
※むちは、村上春樹が大好きなのですが、村上春樹もこの考え方をとても強く持っているように思います。
村上春樹自身、アドラー心理学を学んで気づいたというよりかは、おそらく人生を生きていく中で自主的にこの考え方を身に付けられたのではないかと、むちは推測しています。
いかがでしたでしょうか。
結構な分量になってしまいましたが、これでも内容的にはかなりの抜粋版となっています。
もしこの記事を読んで少しでも興味を持っていただけたなら、『嫌われる勇気』を是非読んでいただきたいと思います。
自己啓発本は敬遠されがちな側面もあるかと思いますが、『嫌われる勇気』は自己啓発というジャンルを超えて広く読まれるべき名著であると、むちは思います。
『嫌われる勇気』、読めば心がふっと軽くなり、生きる勇気が湧いてくる、そんな素晴らしい本です。
是非ご一読あれ。
むちからは以上になります。
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