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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ-昔ばなし

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1.前書き

過去1年間に、他のレンタルサーバー経由で公開していたブログを再編して、こちらに移設・継続しています。 長文のエッセイを読んで下さる方は、こちらのサービスを利用されている方に多いのかな? と考えてのことです。 当サイトに御訪問頂けた方の御批評頂きたく、宜しくお願い申し上げます。 猶、当ブログは英語版も用意しています。 下記URLより閲覧頂けますので、こちらも、宜しくお願い致します。
https://muchaku-saoh.blogspot.com/

2.本文ーヒバリ


碧天に黒点となる揚げ雲雀
コロナの春も春は春なり

To The Lark In 2020


The small bird rose in the spring breeze
Beyond the sparkling crowns of trees
Till he dissolved in the azure
Far above the virus-spread land of disease.
 
In singing, he takes great pleasure,
To sorrow, he is a stranger;
"O reach for it, O reach for it-" ,
His song of delight has no closure.
 
He showers his chant jolly bright
Upon the riverbed parched white,
Upon the green field of young wheat,
Everywhere his dominating site.
 
He dives to make a quick retreat,
And stillness replaces his sweet tweet.
Then he wings back to his heaven
Where his muse and zephyr meet and greet.
 
To despair people are driven
By the disease passed on and given,
While he shuttles between the hell and the heaven
For his complete freedom to be proven.

 
日本でコロナ禍が始まったのは、2019年末ですが未だに収束せず、第9波の到来が取り沙汰されているようです。 上記の短歌と英詩は、一昨年の5月に、写真のバードカーヴィング作品を制作した後に、それに対応するものとして、カーヴィング同様に、お遊びで作ったものです。
我々はもう、3年半もCovid-19と付き合っていますが、鳥もコロナに罹るのでしょうか? 鳥インフルの例があるし、その可能性は否定出来ないでしょう。 が、彼らは捕食者を恐れても、多分、病気を恐れることを知らず、罹患すれば、特に人手による治療を受けない限り死んでしまいます。 ですから、その意味で、彼らは病気への恐怖から自由なのだと思います。 それに人間以外の動物が「死」という現象をどれだけ理解・認知しているのかは良く分かりません。 自殺する動物は人間だけですからね。 
ヒバリの数も、悲しいことに、本当に減ってきています。 私が高校生の頃は、当時の家の近くに流れている多摩川の河原に行けば、幾らでも居て、春から夏には、うるさい程、彼らの囀りを聞くことが出来ましたが、今の東京では絶滅危惧種だそうです。
日本にいるヒバリの囀りとヨーロッパのそれとは、どう違うのかと思って、ネットで調べて聞き比べましたが、囀る声も見た目の姿も全然変わりません。 日本のヒバリの後趾は異常に長いのが特徴的ですが、ヨーロッパのヒバリも同じように長い後趾を持っています。 Wikipedia によると、なんのことはなく同一種だそうです。 英名はEurasian skylark、学名Alauda arvensisで、メチャクチャ分布域が広く、英名通りに全ユーラシアの他、北アフリカにも生息していて、更に人の手によって移植され、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイにも居るそうです。 姿の地味なこの鳥が、各地に移植されたのは、その美しく朗らかな囀り声を楽しみたいということが理由なのでしょう。
ヒバリは我が国でも万葉の時代から和歌、俳句と沢山、詠われていますが、特にイギリスでは詩人をインスパイア―する代表的な存在だそうで、シェリーやワーズワースの他にも、ヒバリを詠った詩人・文人は古今、有名・無名を含めて「無数に居る」と言っても差し支えありません。
ところで、我が国ではその鳴き声を楽しむために、色々な野鳥を籠の中で飼い、飼うための技術も発達させてきました。 勿論、現在は野鳥を捕えて飼うことは厳しく制限され、特別の許可が無い限り許されていません。 でも、私が子供の頃、多分、昭和36~7年代頃まではそういう制限は有るには有ったのですが、割りと緩やかで普通の小鳥屋さん(今のペットショップと違って鳥だけを専門に扱うお店でした。)でも、カナリヤ、インコ等の洋鳥の他に、飼育許可証を籠に取り付けて、ウグイス、コマドリ、クロツグミ等を売っており商売になっていました。 ヒバリも籠の中で飛びながら囀らせるために背の高い専用の竹籠に入れて扱っていたものです。 更には、良く啼くように訓練して、それを競う鳥の「のど自慢コンクール」も当時はまだ残っていたようです。
欧米では、野鳥を飼うなどということは、昔も今も、とんでもなく良くないことで、野外にわざわざ、その目的で出かけて行って野鳥の鳴き声を楽しむ文化は有っても、日本におけるように鳴禽類を籠の中で飼う文化は無い、というのが、長い間私の理解するところでありました。 ところが、それは私の勝手な思い込みで間違った認識だったのです。
William H. Hudson (1841-1922) という米国人の有名な作家で、かつ、鳥類学者でもあった人がいます。 オードリー・ヘプバーン主演で、昔々、映画になった「緑の館」という小説の作者でもありますが、その人の書いた ”Birds in London” (1898年出版)という本を、数年前ですが読む機会がありました。 この本は当時の英国のLondon での探鳥ガイドブックとして、又、鳥類保護、環境保護を訴え、その方策を提言した本としてこの分野での著名な古典です。 この本によると、London の East-ender (東端地区に住んでいる人)の中には Chaffinch  [ズアオ(頭青)アトリ] の声を賞美し、この鳥を飼っている人が沢山居るが、ただ飼っているだけだと、段々、啼き声の質が悪くなるので、野生の鳥の声を聞かせて「伴啼き」をさせ、それを習わせたのだそうです。 その目的で、近くの Victoria Park に、当時でもこの公園では野生のこの鳥が少なくなっていたにもかかわらず、大勢の人が飼い鳥の籠を持って出かけた、と言うのです。 あまつさえ、啼き声を競う競技会も有って、囀りの良い鳥を持っている人はレッスン料を取って、他の鳥にそれを聞かせることを商売にしたそうです。 「何のことはない。 日本や中国と同じだったんだ」と合点した次第です。
この同じ本には、やはり、Victoria Park隣接のHackney Marshと呼ばれる区域で起こった話が紹介されています。 そこは、沼、川、原野から成る広大な場所だそうですが、著者によると猟犬を使ったウサギ狩りや各種野鳥の他、通り掛かりの伝書鳩まで撃ち殺すことを、気晴らし/スポーツと心得る品性下劣な(著者が言っています。)集団から成るクラブがその本部を構えていたそうで、著者は彼らの行為を糾弾しています。 例えば、著者がこの地区の住人から聞いた話として、このクラブ員の一人が伝書鳩を撃ち取ったところ、ハトにはカードが付けられていて「母死す」と書いてありました。 が、この不埒な男は見事にハトを撃ち取ったことばかりを自慢していた(伝書鳩が電報に使われていた19世紀の話です。)というのです。 或る時、そのHackney Marsh地区の広場に一羽のヒバリが現れて、空高く舞い、美しい声で長時間啼いていたそうです。 著者は「多分、このヒバリは籠から逃げた元飼い鳥だっただろう」と推察しています。 つまり、日本におけると同様に、ヒバリもその声を楽しむための飼鳥の対象となっていて、ズアオアトリ同様、その鳴き声を人工的に訓練・改良することが行われていたことが想像されます。 このヒバリはこの集団の注目するところとなり、日曜日になると連中がこの鳥を撃ち落とそうと付け回したものの成功せず、ついには季節が終わり、ヒバリは逃げおおせたそうです。 このヒバリを撃とうとしたのはごく一部の善からぬ者達であった、とはいえ、こういう事が英国では、少なくとも19世紀末から20世紀初頭までは公然と許されていたのです。
又、子供が鳥に石を投げて殺したり、巣を壊して雛鳥を奪ったりすることも困ったこととして言及しています。
日本の今の子供達はそんなことをしませんが、私の子供の頃には、野鳥に石を投げたり、追い回したりして、いじめる悪ガキは沢山いて、私もその一人でした。 或る日、小学生の私は校庭で巣立ったばかりで良く飛べない仔雀を見つけて捕まえようとしていたところ、先生が私のその行為を見つけ、止めさせて叱りつけた上で余計なことを付け加えたのです。 曰く「野鳥を捕まえて焼き鳥にして食べたり、飼ったりする日本人は野蛮で非文明的である。 欧米人はそんな酷いことはしない。云々」
その数年前まで、日本は太平洋戦争後のアメリカ軍の統治下にあり、SCAP (the Supreme Commander for the Allied Powers)/GHQ (General Headquarters)は、「日本の学制は軍国主義の温床であった」という独善的認識(私は学制と教育方針は無関係と思います。)の下、戦前の学制を完全にアメリカ式のものに置き換えた事は周知の通りです。 そして、当時のSCAPの教育指導方針はその後も長く日本の教育界を支配し続けました。 この教師のセリフも、多分、SCAPの指導要綱に基づいて我が国に愛鳥精神を広めるべきだ、という方針に従ったものだったかも知れません。 有名なアメリカ人の鳥類学者にOliver L. Austinという人がいて、当時はSCAPの天然資源局のスタッフでもありました。 彼が日本人に愛鳥精神を持つように、強力に勧めたのは事実であって、日本の「愛鳥週間」は彼の提言が基になって創設されたのです。
又、私が高校生だった時の英語の教科書には、(大昔の)アメリカ大統領、セオドア・ルーズヴェルトが英国を訪れた時、グレー卿(第一次世界大戦時の英国外相)と共にロンドン郊外に出かけて野鳥の声を楽しんだ、というエピソードが載っていて、この教科書の記憶と小学校の先生に怒られた事が頭にズーっと残っていて、私は前述のような間違った認識を持ってしまったのでしょう。
それは兎も角、Hudsonの本を読んだ後で「なーんだ、嘘だったじゃないか」と、何十年もたった後で、今更ながら、憤慨したことを思い出した次第です。 勿論、昨今では殊更に愛鳥を喧伝する必要もない程、野鳥を迫害する人は少ないでしょう。 そのこと自体は喜ばしいことですが、野生化した飼い鳥(ソウシチョウ、ガビチョウ等)による在来種の駆逐/営巣による樹木の枯死被害(インコ類、特に、ワカケホンセイインコによる)、同様に、クビアカツヤカミキリ等の外来昆虫による樹木被害等々、昔は無かった種類の問題が大きくなってきています。 勿論、その他の動植物の世界にも、環境悪化/気候変動と外来種の持ち込み/侵入等を原因とする生態系の破壊、増えすぎた日本土着のシカ、イノシシ、サル等の野生動物、及び、キョン、台湾リス、赤毛ザル、アライグマ等の外来動物による食害を含む、その他もろもろ、多種多様な悪影響が発生しており、早急な対応が必要になっています。 ただ、結果としての個々の環境問題を対症療法的に解決することも大切ですが、それ以前に、全ての環境問題の根本的原因である「無制限の経済的利益に対する欲望」や戦争を惹き起こす「他民族に対する支配欲」に打ち勝とうという意思を人類は持っていないように見えます。 多分、これらの直接原因は人間の本能に深く根ざしている、と思うので、そうだとすると、これを除くことは極めて難しく、我々が本当に強い意志を以て対処しない限り、結局、人類は滅亡に向かってまっしぐらに進むことになるのではないでしょうか? 人間は利口で馬鹿な動物です。 巨大隕石の落下で滅亡したと言われる恐竜のケースならいざ知らず、「種としての自殺」を選ぼうとしているようにしか見えない人類とはどういう存在なのでしょう?


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