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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ-昔ばなし

17.  バイカウツギとアオジ、ホオジロ


バイカウツギとアオジのカーヴィング作品

箱根路

ホオジロの小雨の中に鳴く朝に
老いたる母の或る日おもほゆ

今は亡き母の問ひたるその鳥の
遠くに聞こゆる宿にとどまる

幾年(いくとせ)も昔になりぬ箱根路の
湯を喜びし母のおもかげ

In Hakone

A meadow bunting was singing, 
That awakened memories of my mama. 
She liked the song of the bunting. 
I remember a life’s little drama
Unfolded in the spa resort in the mountains. 
It was a long time ago now. 
On a walk in a park beside fountains 
We found a bunting that couldn’t fly anyhow. 
Mama told me to have a vet treat it. 
And I arranged for it somehow. 
A month later, we learnt the vet had freed it, 
For the time to release it was right fit.
Mama was so happy, so was I to hear that:
She is in her grave.  It was a long time ago now. 

東京、調布の神代植物公園は私のお気に入りの散策場所です。 季節ごとに移り変わる美しい花々、樹々をいっぱい楽しめる植物園です。 その、とある目立たない場所でポツンと一本だけ、小さい木でしたが、バイカウツギが満開に咲いているのを見つけました。 その場所は植物園のスター達である豪華な花々が咲いている場所からちょっと離れていて「スター女優とは縁のない映画会社の事務員だけど、中々、魅力的な女性が居ました。」てな感じで私の目に飛び込んできたのです。 その純白で小さい可愛い花に覆われた灌木を見て、私は、なんとはなしに、ちょっとした感動を覚えました。 実は私がその花を見たのはその時が初めてだったのです。 植物園がほとんどの植物に付けている名札からその名を知ったのですが、その時以来この木は私のお気に入りの植物の一つになったのです。 あとで調べたら、この木は我が国に自生する一方、園芸種でもあるようです。 この花の西洋種であるセイヨウバイカウツギ、Philadelphus grandiflorsの一部の種類は、花の芳香の方で有名だそうで、その木が沢山植わっているところに行くとその香りで人は酩酊状態になるそうです。 私が植物園でこの花の近くに行った時はそんな知識は全く持ち合わせていませんでしたし、直接、花の匂いを嗅いでもいませんでしたのでわかりませんが、その時は花の匂いは感じませんでした。 名札にはバイカウツギのみでセイヨウは付いていなかったと思いますから日本固有種なのでしょう。 尤も、そのことは日本固有種に花の香が無いということにはなりません。 芳香があれば、更に素敵かもしれませんが、そうでなくても十分に魅力的な花です。

そういう訳で私はこの花の造花を試みました。 花を作った後で「鳥も作らなきゃ」と思ってこの作品になりました。 
アオジという鳥はその近縁のクロジに比べれば、まだ目立つものの比較的目立たない鳥です。 ホオジロの仲間で囀り声も悪くありません。 ホオジロと言えば、島木赤彦の和歌:

高槻の こずえにありて 頬白の さへづる春と なりにけるかも

が有名ですが、その囀りを「一筆啓上つかまつり候」とか「源平つつじ、白つつじ」と聞きなしています。 「聞きなし」というのは、はじめ、それだけ教えてもらうと「嘘、そんなことあるものか!」と思いますが、実際の鳥の声をそう思って聞けば、そう聞こえてくるから不思議です。 例えば、ツバメの囀りの聞きなしは、「土喰って、虫喰ってジュイ」と言いますが、これも、そう思って聞くとそう聞こえてきます。


ホオジロのカーヴィング作品

聞きなし、オノマトペアについて

聞きなしを作る作業は一定のメロディーとリズムを持つ音楽のピースに歌詞を振り付けることと全く同じことです。 歌詞はメロディーとリズムに適合出来れば良いだけのことですから可能な歌詞は無数に有り、だから、我々は既存の歌の替え歌を作って遊べるわけです。 ところで、歌詞を知っていてもその歌のメロディーとリズムを知らなければ実際にその歌を歌えないのと同様、聞きなしを知っていても一度も実際の鳥の声を聞いたことがなければその声を想像することは不可能です。 二度目以降にその鳥の声を聞いたときに、聞きなしを知っていれば「ああ、そうだった」と思い出して確かめるのにちょっと便利という程度の効用しかありません。 そういう意味ではあまり実用的なツールとは言えず、お遊び以上のものではありません。

鳥の声だけでなく、日本人は虫の声も聞きなしてきました。 例えば、ツヅレサセコオロギの声を「肩刺せ、裾刺せ、寒さが来るぞ」と聞きなしていて、それがこのコオロギの命名由来です。 実際の声はメロディーが無く、最も単調なリズムのみで、一連のビ・ビ・ビ・ビ・ビ----と、途切れなく連続的に聞こえる音なので、どんな聞きなしを作ろうが、そう思って聞けばそう聞けることになります。 ただ、この聞きなしには、昔の貧しかった平均的日本人の生活が沁みだしてくるような感懐を覚えます。 私の世代の人間には、ツヅレサセコオロギの声を聞くと、この聞きなしと共に子供の頃の記憶がよみがえって、一寸切なくなってくるのです。


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