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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ-昔ばなし

15.ノスリ


ノスリのカーヴィング作品

長歌:知床

地の果つる 北の荒磯(あらそ)に
降る雪は 乾きて軽く
吹きまどひ 昇り落ちつつ
舞ひて散る 荒磯に積もる
その雪に 凍え(こごえ)すくむは
野擦り鷹(のすりだか) 翼つぼめて
眼(まなこ)閉じ 耐えて忍びて
え啼かずも ただ流木(ながれぎ)に
留(とまり)おり 春を夢むも
長冬(ながふゆ)は いまだ初めの
師走かな 彼(か)を待つ運命(さだめ)
誰や知る また戻りたる
冬将軍 迎え撃つほか
なかれども 飢えと寒さの
生き地獄 再び三度 繰り返す
北の荒磯(あらそ)に立ちすくむ我

反歌

さいはての雪降る海に見つくるは
飢え凍えたる鷹ひとつのみ

Amy

Across a wood from end to end,
The snow fell in a whirl.
I was skiing with my girlfriend,
Frozen in the snow swirl.
Though having kept skating motion,
It didn't warm my body.
Feared but hiding my emotion,
I cheered her up softly.
At last, we reached the old cottage,
Halfway point of the tour.
At supper we shared boiled pottage.
Next day we went on the tour.
In sharp contrast to the day before,
We saw a hawk soaring in the blue sky,
And a rabbit crossing snowy brook floor.
ーAmy, you have ceased to be and are no more;
Oh, Amy!  My heart is intolerably sore.
Standing before your grave, oh! I cry.
The memories of you make me cry.

ーThe ski touring has left such haunting memories of the joyful days with you.ー


むかしむかし、鷹狩りが大好きなお殿様がいました。 お殿様は立派なオオタカを何羽も持っていて、家来の鷹匠にあずけています。 そして鷹狩り場になっている村ではキジやツルがふだんから放し飼いになっており、お殿様がいつ鷹狩りに来ても獲物に困らないようにしています。 村の林や畑や田んぼにはそういう鳥たちが沢山遊んでいますが、野ネズミやヘビも一緒に住んでいます。 ノスリも一緒です。 ノスリはタカの仲間ですが、オオタカのように大きなキジやツルを捕まえて食べることはありません。 小鳥を捕まえることもありますが、むしろ、ネズミやヘビを食べるのが大好きなのです。 
お殿様は勇ましいことが大好きです。 飼っているオオタカがキジやツルを捕まえると手をたたいて大喜びします。 でも、ノスリは大嫌いです。 ノスリはオオタカと同じ位大きいタカなのに、野ネズミや小さなヘビしか捕らないので「臆病者」として軽蔑していたのです。 ですから、鷹狩り場でノスリを見かけると「あれは目障りじゃ追い払え」と命令します。 そして村の代官にもノスリの巣を壊して、その数を減らすように命じたのです。 
お代官様も村の衆もお殿様の命令には逆らえません。 可哀そうなノスリ達は巣を壊され、ノスリの姿が村からほとんど消えてしまったのです。 すると、どうでしょう。 野ネズミの数がメチャクチャに増えました。 野ネズミを食べるヘビも餌が増えたので、同じようにドンドン増えたのです。 野ネズミは田畑を荒らし、村の人々の家の中にまで野ネズミが入り込み、家の食物まで食べ、それを追ってヘビ達も家の中にまで入ってくるようになったのです。 農作物の収穫が減り、村の衆も満足に食べられなくなり、年貢も納められなくなったのに、お代官様は無理やりに年貢を取り立てようとしました。 それに耐え切れなくなった村の衆はクワやカマを手にして、代官所を襲ったのです。 お殿様は怒り狂い、家来たちに村の衆を打ち負かすように命じたのです。 結局、お代官様は切腹させられ、村の衆の多くも戦いと刑罰で命を落としたのでした。 しかし、お殿様の気まぐれな命令がその大きな悲劇をひき起こしたことは、うやむやにされたのです。 その後、その村の人々の数もノスリの数も少しずつ増えていきましたが、元に戻るには何世代も、何世代もの長い長い時間が必要だったのです。
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ノスリは日本では人気のない鷹です。 その食べ物は上記のお話にあるように、野ネズミや蛇が主体です。 ノスリを漢字で書くと「野掏り」あるいは「野擦り」で、地面すれすれに飛んで来て地上にいる獲物をかっさらうのでその名が付いたようです。 キジなどの価値のある鳥を狩らないことから鷹狩には使えず、古来より「糞トビ」などと呼ばれてきたそうです。 なんでも食べるスカベンジャーでもあることから、これ又蔑まれてきた正真正銘のトビの名に、更に「糞」まで付けられるという酷い扱いを受けて来たのです。 鷹狩の主役であるオオタカと比べると、その品格において月とスッポンです。 なんとも可哀そうな話ではないですか。 当のノスリは人間がどう見ようが気にしないでしょうが、そんな偏見を捨ててこの鷹を見ると体も大きく立派な鷹です。 それに、なによりも沢山の野ネズミを捕食してくれるので農家にとっては、とても有難い鳥なのです。 同じ鷹ならカッコイイ勇壮なオオタカを作りたがる人が多いでしょうけれども、ヘソ曲がりの私は敢えて可哀そうなノスリを選んで作ってみました。
我が国には日本バードカービング協会(JBCA)という団体があって、バードカービングのオーソリティーです。 毎年コンクールを開催しますが、そのコンクールにはルールがあって、作品の大きさが実物大か、もしくはミニチュア作品は実物大の1/2以下であることが求められます。 この規定に従わない中途半端な大きさの作品は審査対象から外されます。 私がバードカービングを始めて間もない頃、その規定を知らず正に中途半端な大きさの作品を出品してしまい、その事を指摘されたことがあります。 それがこの作品のノスリです。 私は所詮、お遊びのアートにそんな七面倒なルールを作る必要が何処にあるか、と反撥してこのコンクールに作品を出すことを止めました。
実はバードカービングは鳥猟で獲物をおびき寄せる囮(=デコイ) として欧米で作られたのが起源で、初めは専ら猟の対象となるカモ、ガン等だけを作っていました。 デコイですから、鳥を騙すために本物そっくりである必要があり従って、実物大でなくてはいけないことになります。 又、最近は博物館等でも剥製の鳥を陳列することには、鳥類保護の観点から気が引けるので代わりに木製模型を使うことが多くなっています。 そして、この目的のためには、やはり実物大が要求されます。 又、実物の1/2以下なら大概の場合、縮小版と分かるから実際の大きさを誤解されることも余り無いでしょう。 多分、そういった事が理由なのだと思います。 要するに、木彫で何処まで忠実に実物を再現出来るか?を競う場としてのコンクールだから、リアリズムの極致でなくてはいけないし、鳥の生態上あり得ない風景や組み合わせも許さない、という思想を以てこの協会は運営されていると考えて宜しい。 私はそういう協会の立ち位置は理解出来ますが、カービング作品の全てが博物館に並べるためでも、デコイとして使うわけでもないでしょう。 昨今では、実際にそういう目的で作られるケースはむしろ稀でしょう。 単なるアート、ましてや、趣味・お遊びとしてのカービングでそんなに片意地を張る必要も無かろう、と私は考えています。 ですから、記事5.スズメとセミ で書いたように、勝手に事実を捻じ曲げた作品を作ることにも殊更に抵抗も感じませんし、コンクールに出す気もないから自由に遊んでいます。
又、或る JBCA の先生が「鳥の留まっている木の端を鋸で切ったようにスッパリ直角に切って残すのは宜しくない。 自然の状態ではそんなことはあり得ない。もう一工夫すべき」と述べられたことがあります。 これには私も「成る程そうかもしれない」と思って、その後の作品はなるべく自然に折れた風に作るようにしています。 とは言え、松の木は庭木でもあって、植木屋さんは枝を刈り込んで鋸で切ったままにするではないか? むしろ、太い健康な枝が途中で自然に折れる確率は小さく、かえって不自然ではないか、などと、屁理屈を捏ねたい気になったのも事実です。 しかし、その辺は美的感覚を以てどちらが良いか決めるべきで、多分大概の場合は自然に折れた形の方が良いのでしょう。 機械製図でパイプ、丸棒、板等の一部を描く時、その先も連続していることを示す記号があります。 バード・カーヴィングでも、木の枝の先がまだ連続することを示す記号として、端をギザギザにしとけ、という訳でしょうね。 しかし、直角に切ろうが、ギザギザにしようが、木の先が連続していることはこの場合自明です。 機械製図とは違うのですから、これまた殊更に拘る理由もないでしょうに。


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