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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ-昔ばなし

9. モズ


モズのカーヴィング作品

もず


もず一羽遠きにありても汝(な)を聞けば
弱き我身も強くおぼゆれ

Shrike


I heard a familiar harsh trill,
And looked up the sky towards the shrill.
I found a shrike that looked small in the distance,
Sitting on top of a utility pole on the hill.

After repeating the trills with persistence. 
He left for hunting outdistance.
My first and only encounter with a shrike this fall!
Thinned their numbers, they are struggling for existence.

Their voice is certainly their alarm call.
What have we done for them?  So little that I feel so small.
I hear their cry, “Help us!  We are dying out!”
For ecosystem protection, we have no cure-all.

This problem is our own without any doubt.
The climate change has already brought us flood and drought,
The jail of famine from which we must bail ourselves out,
That might cause our own dying out!


私が今住んでいる横浜市北部の青葉区でも、モズの数はめっきり減りました。 毎年あの甲高いキーキー声が聞こえ、声のする方を見上げると高い木の梢やビルの屋上のテレビのアンテナの上で、長い尾の鳥が啼いているのが見つかり「ああ、秋が来たな」と思うのです。 しかし、去年私が家の近所でモズの声を聞いたのは僅か2回だけ。 寂しい限りです。

私は東京、大田区の池上で少年期の前半を過ごしました。 昭和20年代後半~30年代前半のことです。 太平洋戦争が終わり、東京が焼け野原になってから10年足らずしか経っておらず、焦土と化した国土の自然も漸く十分に復活する一方、産業の復興はまだその端緒についたばかりの時期でした。 その頃の池上は、池上本門寺(日蓮宗の大きなお寺)の広大な寺域を中心にして自然に溢れた町だったのです。 毎年繰り返される動植物の動きに四季を感じる一方、商店には季節のものしか無くスーパーマーケットで1年中何でも買える今とは季節感の強さにおいて比べものになりませんでした。 そして、子供達は戸外で遊ぶのが当たり前でしたし、男の子は大概、虫取りをしたり、魚を釣ったり、鳥を追いかけたりするのが大好きだったものです。 何しろ、テレビも電気冷蔵庫も無く、日常の娯楽はラジオ番組だけで、お母さんは買い物かごを下げてその日の食事の材料を近所の魚屋さんや八百屋さんに歩いて買いに出かけるのが日課だった時代です。 夏になれば、腕白小僧が上半身裸、時には裸足で真っ黒になって近所を駆け回って遊んでいても、大人はびっくりしてそれを咎めたりせず「元気だな」と笑っていたものです。 そういう時代でした。

私は子供の頃から、とりわけ鳥獣虫魚が好きで、その頃はまだ近所に残っていた田んぼや小さな溜池でアメリカザリガニ(エビガニと呼んでいました。)の大きな真っ赤な奴を捕まえたり、モツゴ(クチボソと呼んでいました。)やメダカを釣ったり(タモ網ですくうのではなく、極小の釣り針で糸ミミズを餌にして竹箒の先から抜き取った竹を釣り竿にして釣るのです。)キャベツ畑から青虫を拾ってきたり、セミやトンボやクワガタムシを取ったりして遊んでばかりの、勉強は「からっきしダメ」の小学生でした。

それは兎も角、その頃は秋になれば池上ではモズは毎日うるさく啼いていたものです。 それだけ沢山のモズが居たので彼らの「はやにえ」(モズの習性で、獲物の虫やカエルを木の棘や、鉄条網に刺して、そのまま、置き去りにしてしまう。)もあちこちに見つけることが出来て、物好きにも私はその干からびたイナゴやアマガエルを集めたりもしたのです。

その頃、私は母にねだって買ってもらった小学館出版の「日本鳥類図鑑」(確か、内田清之助博士の監修)を熱心に繰り返し見ていたもので、そこいらに居る鳥の名前も覚えて、すっかり「鳥博士」になっていました。

日本に居る又は来るモズは普通のモズの他に、アカモズ、チゴモズ、オオモズが挙げられます。 オオモズは、僅かな数が冬に日本に渡って来るだけの鳥だそうですが私は実物を見たことは有りません。 写真で見るとカナダに居るNorthern shrike にそっくりです。 それでこの鳥に関する記事を比べてみたのですが、Wikipedia を見るとオオモズについては下記URL:

https://ja.wikipedia.org/wiki/オオモズ

https://en.wikipedia.org/wiki/Great_grey_shrike

英名: Great grey shrike, 学名:Lanius excubitor とあります。 ところが、私の手許に有る”National Audubon Society -Field Guide To North American Birds-Eastern Region”: Alfred A. Knopf, NewYork; 2003年13版 では、Northern shrikeの学名としてオオモズ、即ちGreat grey shrikeのものと同じ Lanius excubitor とあります。 「へ?どうなってるの?」 と思いNorthern shrikeのWikipedia:

https://en.wikipedia.org/wiki/Northern_shrike#References

を見ると、こちらではNorthern shrikeの学名として Lanius borealis とあり、オオモズとの関連として「長らく、オオモズの亜種とされて来たが、2017年に別種と認定された」と書いてありました。 「ホー、まだ、認定変更して5年しか経っていないんだ」と納得した次第です。

話を元に戻すと、その昭和30年代にはアカモズはチョクチョク見かけました。 又、チゴモズについては私には奇妙な経験があります。

小学生の私は、或る夏の日に遊び場である本門寺に出かけてセミ取りをしていました。 周りには人影は無く、ただ木々から降るセミの声だけがうるさく、周囲の墓石を震わせているような暑い昼下がりのことです。
五重塔へ向かって本堂への参道からは逸れていく道の脇、五重塔の正面に向かって左側は、当時、地面が掘れて参道より数段低くなっていて、今は無くなっていますが、当時は勝海舟と西郷隆盛の会見の様子を彫った小さい石像が近くにあった場所です。 そこに背の低い何の木かわからないが小さい木が生えていまして、その一番低い枝にそいつは留まっていたのです。 小学生の私と目が合う位低い所です。 その鳥を見たのは生まれて初めてだったのですが「鳥博士」の私は、すぐにそれがチゴモズであることが分かりました。 何しろ目の前に綺麗な鳥が居て、おまけに私はセミ取り用の捕虫網を持っていたのです。 本能に駆られた私は、手にした網でその鳥を取ってやろうという気を起こして鳥を見ました。 ところがです。 そいつは私を見返したのです。 間違いなく人間の目で。 その目はこう言っていました。 「小僧、お前は俺を捕まえる気か? やれるものならやってみな。 が、その前にお前の目をくり抜いてやる」 私は足のつま先から頭のテッペンまで寒気が走り、ゾーとして網を放りだして後をも見ずに逃げ出したのです。 今でも「あの目は人間の目だった」と確信しています。 ひょっとすると、場所がお寺だったから仏様がモズを通じて私の殺生を戒めたのかも知れません。 なにしろ私はそんな子供の頃から、随分と小さな生き物たちを殺して来ていたのですから。

チゴモズは小さいモズですが、モズはやはりモズで猛々しい鳥です。 しかし、今はアカモズも、そのチゴモズも絶滅危惧種なのです。 どうして、こんなにも多くの鳥類が絶滅危惧種になってしまうのでしょうか? 悲しいことです。

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