【リカレント教育】第5報 企業研究員のキャリア選択『社会人ドクター』失敗談
キャリアに迷い、ひとまず今の延長線上である理系の社会人博士課程進学を決意し、大学・研究室選びから、入学試験準備、そして、合格するまでを、全4編で記録した。
その中で書ききれなかった、失敗談を記録する。
大学や研究科独自のルールを熟知できていなかった
本編②の中で、入学前までに準備したこととして、未発表論文について記載した。
論文投稿数ノルマへの対策として、入学までに未発表論文を準備していた。
無事、入学後に雑誌へのAcceptも掲載も完了し、「これでノルマ達成まであと少しだ!」と勢いづいていた。
ところが、1年生の年度末、研究科内の進捗報告会で、これがなんと、ノーカウントであることが判明した。
正確には、"博士論文審査時の参考に留まる"だった。
なぜかというと、執筆者の所属が大学ではない(企業名)、または、共著者に指導教官(受入先の教授)の名前が入っていない、から。
えー!そんなの早く言ってよ!
入学前にも、入学試験の面接でも話したのに!
というのが心の声だが、受入先の教授は、最近、教授会で指摘を受けて、初めて知ったそうだ。
入学時に配られた、分厚い大学規則にも無い、研究科や、研究科長の判断のようだ。
近年、博士課程の学生が減少傾向にあることから、積極的に学生を受け入れている大学は少なくない。
しかし、私のように、社会人で入学し、研究室のテーマではなく、業務内容でやりくりしようとする場合は、しつこいくらい確認する方がいい。
特に、他大学からの編入や入学の場合、教授陣の方針や特徴を知らない、そして、学生同士の繋がりが少ない・無いということが、大きな失敗を生む場合がある。
"アカデミック"の捉え方の違いが理解できてなかった
研究計画書に基づいて、面接資料を作成し、受入先の教授に確認してもらうと、都度言われていたのが、「もう少しアカデミック寄りに書いて」
だった。
私は学生時代、工学系の学部・研究科で有機・高分子を専攻したが、社会人で進学した博士課程は、理学系だった。
すっかり忘れていたが、工学と理学は全く相容れない。
私の出身大学の話だが、教授陣は対立関係にあり、互いに「あんなもの(学問)」というような感情を持っていた。
失礼を承知で記載するが、工学系で言われていたのは、「我々の学問は産業に繋がるが、理学は直接的に繋がらない、趣味みたいな学問だ」だったが、理学系では、「あんな雑な出来で学問?高分子は合成とは言えない、無理がある」というものだった。
従って、合成ひとつとっても、考え方や捉え方は異なる。
合成物の検証は同様だが、工学系では、それがどのような機能を発揮するのかを評価し、理学系では、合成過程やターゲット合成物の正確性を評価する。
上記はあくまでも一例だが、これを失念していた。
そして、入学試験の教授陣面接で「そうじゃないんだよなー」というような、呆れた苦笑いで再び言われたのだ。
「もう少しアカデミック寄りに、ね」
上司の理解が得られないと分かっても何もしなかった
会社員ならば、上司が変わったり、自分が異動したり、なんていうのは日常茶飯事だ。
しかも、今の世の中、突然、会社が買収されたり、それによってルールが変わるなんてのもよくある話だ。
理解ある上司の下で、社会人博士課程をスタートさせることができても、その後、突如として相反する上司の下に着くことだってある。
私は周囲の人たちに相談し、知恵を得たり、助けを得たりして、何度も説明し、進捗を報告したが、本業へのやる気が無い・責任感が無い、と判断され、人事査定を低くつけられた。
根気強く説明すれば分かってもらえる、なんていうことは夢物語だな、と悟った。
そういう時は早めに修了するのが一番だが、それが不可能な場合は、会社に認められるのなら学業休職するとか、理解のあるマネージャーの下へ異動するとか、早め早めに判断し、行動すればよかった。
ましてや、世界規模の感染症が蔓延し、行動制限される前に、早めに手を打っておけばよかった。
もう、今更なのだけど。
迷惑かけてはならないと、人の助けを拒んでしまった
助けを得ることを良くないこと、ダメなことという呪縛を自分にかけてしまっていた。
普段からそうで、仕事もそう、期限や納期は必ず守ってきたが、無理して身体を壊すこともあった。
そうなる前に、手を差し伸ばしてもらったのなら、受け取ってみることも大事だった。
「人の助けは借りて、後で倍にして返せばいい」
但し、人に頼りっぱなしは論外だ。
と、言ってしまう性格、そこに柔軟性を持たせるのが、いまの目標だ。
以上
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