【リカレント教育】第3報 企業研究員のキャリア選択『社会人ドクター』

前編では、理系の社会人博士課程について知り、どのスタイルでいくか作戦を立て、大学・研究室を選定するに至るまでを紹介した。
(【リカレント教育】第2報 企業研究員のキャリア選択『社会人ドクター』)

本編では、教授面談に際して、事前に準備したものや知的財産の管理について軽く触れつつ、面談当日、そして、入学試験に至るまで、私が辿った道のりを紹介する。


研究室訪問の準備と当日について

準備(プレゼンと知的財産の管理)

教授に面談希望の旨をメールで連絡したところ、すぐに返事をいただいた。

日時を設定し、経歴や業績をまとめた書類と学士号と修士号を取得した際の論文、サブで、投稿済論文を準備した。

私は、業務に関係する内容で研究計画を立てたいという希望があったため、知的財産の管理について上司に相談した。

後日、上司から、会社の管理部門と、社内の社会人博士課程経験者から、知的財産の管理や、大学側との書面締結に関する情報を仕入れたという連絡を受けた。

早速、関係者らへ連絡し、直接、指示やアドバイスを受けることができた。

会社、大学によって規則や考え方は異なるため、一概にこれといえるものはない。

私の場合は、会社側としては、書面締結の必要はなく、通常の社外発表と同様の手続きを経れば、打ち合わせ等も含めて実施してよいという返事を得た。

一方、大学側にそれらが必要かどうか等、確認しなければならない項目がいくつかあったため、それをまとめた書類を作成した。

当日(教授面談と研究室見学)

夏の終わりに訪問した。

私は少し遅かった方で、周りは新年度のアレコレが落ち着くGW明けから初夏にかけて訪問を済ませ、未発表論文の仕込みに着手していた。

教授面談とはつまり、"研究室の学生として受け入れてもらえるか"に関わる面談であるため、入学試験以上に重要な局面と捉えて臨んだ。

身なり、姿勢を整え、地元の銘菓を手に、扉をノックした。

ところが、意外にも拍子抜けする展開であった。

実は、私の恩師の紹介でもあったため、恩師から教授に電話があったらしく、学生時代の私の業績はもちろん、負けず嫌いな性格まで筒抜けであったのだ。

事前に準備した書類を一つ一つ確認いただき、研究内容の概要を伝えたところ、その場で、受け入れ可能という返事をいただくことができた。

あとは、入学試験に向けて研究計画書等を作成し、教授とすり合わせていくことで合意した。

その後、研究室のメンバーを紹介いただき、設備を確認させていただいた。

多国籍なメンバーは皆人懐っこく、なんとかやっていけそうな気がした。

設備は充分に揃っており、会社で実験する時間が確保できない場合は、休暇を使って大学の設備を利用することでカバーできそうだった。

このとき、教授から、「もしも手が回らない場合は、学生をサポートに付ける」という提案をいただいたが、恐縮してしまい、自力で頑張ると言い切ってしまった。

その後、歴史的な感染症問題で、身動きが取れなくなることなど、全く想像していなかったのだ。


願書の作成

願書には、複数の添付書類が必要だった。

  • 履歴書

  • 業績書

  • 推薦状

  • 研究計画書

  • 大学・大学院の単位取得証明書

  • 大学・大学院の卒業証明書

他にも細かい書類が多々あり、帰宅後や週末にヘトヘトの身体を自宅のPCに向かわせていた。 

特に、研究計画書は3年間の研究内容と論文投稿、学会発表予定を綿密に記す必要があり、また、この内容を入学試験当日のプレゼンでも使用するため、神経を使った。

その様子を見て、博士号を持つ先輩社員から、「こんなことで疲れるようではダメだ」と、叱咤激励され、週末、先輩に添削していただいたこともあった。

推薦状は、学生時代、研究成果を競う学内コンテストにエントリーした際、恩師と作成したものをアレンジし、上司に社内での様子を一筆入れていただいて作成した。

これらを、なんとか形にして、教授へ提出し、面談を重ねた末、これなら大丈夫とのお墨付きが出た。

期日ギリギリになってしまったが、どうにか必要書類の提出が完了した。

以上

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