記事一覧
世界と繋がる芸術論18 + 19
世界と繋がる芸術論 18
前回、創造における達成とは何かを考える一つのきっかけとして、作品として完成させることは達成ではない(並列はありうる)、と書いた。
そこから一ヶ月、全然考えが進まないので(だいたい、書きながら考えるほうが進むし)、時間稼ぎに前回の続きをもう少し考えてみることにします。勿論、そうしているうちになにかうまい事が浮かんでくるかも、という魂胆が見え隠れしている。それどころか
世界と繋がる芸術論 16+17
世界と繋がる芸術論 16
第15回の原稿を入稿したあと、届いていた坂口恭平の『cook』という、料理本なのかエッセイかのか写真集なのか…を平安堂で受け取ってパラパラめくってみると、友達にあげるように買ったのに開けてみてしまうのもどうかと思うけど、初日の料理の最後にアンリ・ベルクソンの引用が書いてあって、そこには
生物の役割は創造することであります。他のすべてのものが決定されている世界
世界と繋がる芸術論 14+15
世界と繋がる芸術論 14
僕は実家の庭に三畳の広さの焙煎小屋を建てて、そこでコーヒーを焙煎している。手廻しの焙煎器が置かれた目の前の壁には家が取り壊しになる寸前に貰ってきた窓がはめてあり、焙煎しているあいだ、そこから季節によっては勢いよく伸びる草や色とりどりの花や、そこに集まる蝶や蜂や蜘蛛、それを食べに降りてくる雀や燕や鶺鴒、通り抜けていく猫が目に入る。何もないときでも、いつでも土は見え
世界と繋がる芸術論12+13
世界と繋がる芸術論 12
人は必ず死なない。
考えるときは、今こうして書いている文章のように順序良く考えてなんかおらず、雲のように漠然とした塊や間接照明みたいに輪郭が曖昧なものとしてあったり、あるいははっきりした形だけども途中をすっとばして結論だけがごろんと投げ出されたりする。考えるという行為を支えているのは論理よりも飛躍や連想のほうで、論理が働くのは言語という形を与える段になってからではな
世界と繋がる芸術論 9+10
世界と繋がる芸術論 9
前回の最後の段落で、
「僕は植物のような知性を持ちたい、そのためには、想像力が大きな助けになるはずだという確信はあるんだ。」
と書いたときは気恥ずかしいことでもバシッと言いきる格好良さみたいなのに満足もあったのだけど、日を追うごとにただ勢いで書いたという印象が強くなっていって、そこがわだかまりのようになってしまい、一ヶ月何も進まないまま過ぎてしまった。
他者や世界と
世界と繋がる芸術論1+2
どうしたらアートになるか問題 1
(以下の文章は2017年8月から2021年9月の間に書かれたものです)
七年くらい前だと思う、東京の森美術館へコルビュジェ展に行ったとき、別室では障害児施設「ねむの木学園」の子たちの絵画展も開かれていた。建築家ル・コルビュジェが描く絵は、ピカソと聞いて思い浮かべる絵を想像すると大体そんな絵を描いていたので、その時もピカソの絵が数点、飾られていた。ピカソの
世界と繋がる芸術論3+4
アートになるには問題 3
想像力とは、いったいどんな能力のことなのだろう。
ゴリラは二、三〇頭の群れで暮らしていて、仲間の結束は非常に強いが寝るときは一匹に一つのベッドを毎日作るくらいには自己と他者が分かれているらしい、仲間の死を悼む光景が見られるなど自我や死の認識も備わっているとも言われている。しかし、一度群れから離れた個体はよそ者とみなされてしまい、二度と同じ仲間として群れに
世界と繋がる芸術論 5+6
世界と繋がる芸術論 5
芸術とは単なる自己表現のためのツールなどではなく、自己の内面を通して世界を描き表そうとする試みのことだ。それを可能にするのは、精神科医・中井久夫の言葉を借りれば
「イマジネーション(想像力)の自覚的表現」
である。たとえ自己表現であったとしても、それが自分のなかに既にある材料を取り出して繋ぎあわせるようなものじゃなく、意識的にであれ無意識的にであれ自分という枠の中で
世界と繋がる芸術論 7+8
世界と繋がる芸術論 7
ある作品なり時間が芸術になるために必須の要素である想像力とは、自分のなかで閉じたまま完結する妄想や空想ではなく、外の世界=現在だけにとどまらない過去や、もしかしたら未来の人間、動物、さらに植物など生物全般、はては石や土といった無機物まで、文字通りこの世界を構成するあらゆるもの=と繋がるために駆使される能力のことだ。
ただ世界と繋がるといっても、人間同士ならまぁ当然、動