神藤啓介

長野県飯田市 啓榕社=自家焙煎珈琲、絵画や自家製本の制作 鍬と鎌だけの田んぼ

神藤啓介

長野県飯田市 啓榕社=自家焙煎珈琲、絵画や自家製本の制作 鍬と鎌だけの田んぼ

マガジン

  • 夢日記

    いつもじゃないけど、朝起きて少しの間は、見た夢をかなり正確に覚えていられることがあるので、 朝起きる前に見た夢の記録。なるべく見たまま書くと、僕のだけかもしれないが、夢の構造が垣間見えて面白いかもしれない。 夢を記録することに意味があるのかわからない、わからないから試してみることにします。

  • M君との対話

    現代美術をしてるM君の制作物の一つとして、彼の展示・日記をもとに対話をしました。 創造すること、家や土地と「わたし」との結びつき、身体的な感性、そこで問われる問いはあるべき形なのか、などなどの、僕が喋った部分の書き起こし。 少し生きづらさを感じてたり、何かを始めたいと思ってる人、ただ面白い読み物に触れたい人に。

  • 世界と繋がる芸術論

    何をどうしたらアートになるんだろう? ひとつの問いから始まった思索は植物、幽霊、身体、AI・・・ そのとき出てくるがままに分野を横断しながら、次第に自分とは?生きるとは? そんなといに、有機的に繋がっていくことに。 全43回の連載。

最近の記事

日本昔ばなしのおじいさん、おばあさん。

さっき起きて、おしっこして、顔を洗って、お湯をやかんで沸かして珈琲豆を挽いているとき、唐突に 日本昔ばなしに出てくる、お山の上のポツンと一軒家で暮らしているおじいさんとおばあさん。ずっと二人きり、というのは昔では相当珍しかったのかもしれん と思った。 忘れないうちに書き残しておきたくてとこうして書き始めたけど、なんの前触れもなく思ったことが驚きの中核で、内容はあんま大したことでもなさそうに思えてきた。 とここで、昨晩、立派な古民家のことを思いながら、周りの友達がみんな古民

    • 僕の本の読み方、絵の描き方

      『わたしは強ク・歌ウ』だった。昨日読んだ小説のタイトルの正確な文字は。 昨日は途中の、5 から読み進めたので今日は最初から読んでみた。2ページ読んだ。文芸誌に載っているので一冊になったら何ページ分になるのかわからないけれど、文字数は全然多くない。そしてまた飛ばして、途中から読んだ。 登場人物の呼び方が、人によって一人の人でも呼び方があなた、とかパパ、とかお前とか弟、とか36番の方、と変わるように作中で変わるのでどれが誰だかわかりにくく、そこにさらに僕は途中を飛ばしたり、中途か

      • 久しぶりに読み通した。途中からだけど

        久しぶりに、一つを読み通せた。山下澄人『私は強ク・歌う』 タイトルを口に出して言ったらこの通りだけど、文字ではひらがなとカタカナと漢字で書かれていて、どれがどうだったか、さっきまで読んでいたのにもう忘れてしまった。読んでいたのはタイトルじゃなくて中身の方だから、別に物忘れが酷いわけでもないだろうけど、さすがにそれは「読んだ」というけど「読んだ」なのかと不安になった。何しろ、すぐに数行飛ばす。 先が気になって飛ばすのではなく、面白いから何度も読み返す、それもまだ一度も最後まで読

        • 水のこと、自動筆記で

          自動筆記スタイルで。 自動筆記とすると、途端にスピードを速めなきゃという思い込みがあったことに気づいたので、今日は少しスローに、でも頭の思考が割り込めないくらいの速さで。 水 とにかく、水だ! そう思いながら何もしないまま、何でなのかも知らないまま、水のことを。とっかかりがないから、とりあえず出先で湧き水があれば汲んでくる。家の中で、口に入るものはなんでも湧き水で用を足して、トイレは汲み取りぼっとんだから水はいらなくて、お風呂の水も湧き水ならいいな。と思うけど、家の敷地に井

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        • 夢日記
          19本
        • M君との対話
          10本
        • 世界と繋がる芸術論
          9本

        記事

          死を経験する

          車を運転していて、猫を轢いてしまった。 飛び出した姿は見ていなくて、一瞬のそれらしい声と車が何かに乗り上げた感触で 猫 と思い、バックミラーで後ろを見ると猫が倒れていた。 狭い道で、真ん中に倒れていた。 歩いて戻って、猫を見た。まだ生きているみたいに死んでいた。 左手を首の下に、右手をお腹の下にそっと差し入れて、持ち上げて道路の端の草が生えているところに移した。 死んだ猫を持ち上げたのは初めてだった。生きているのと死んでいるのとわからない、柔らかくてひんやりとしていた。 手

          死を経験する

          技術についての覚書

          忘れないうちに、忘れてもいいように記しておく。 つい最近、noteに書いてた、自分で。 考え、は流れ。覚えておくより、浮かぶことそのものが大事 noteに書いてたけど公開はしてなかった。 技術は、練習したら、身につけたら、そのことを忘れる 絵を描いてると、最初の二年くらいは上手く描く、をいかに外そうとしても描いてるとき、いえ描く前からもう上手い絵を描こうとしてしまっていて、それはつまり頭の前側に意識が置かれている状態で、 ようやく最近、描いている自分をふと感覚してみる

          技術についての覚書

          塩梅。問題はまず、量が大事

          美味しいってなんだ?という問いをときどき、さっきも思い出したら 生き物を殺して食べることをどう捉えたらいいのか、人類がまだヒトだった頃のことを想う。 昔々この手で、この口、牙で、直接目の前のイキモノを捕えて食べていた、捕らえると食べるはほぼ同時に起こっていた、イキモノを生きたまま食らっていたヒトであったときの記憶が、もう今のままでは手の届かないくらい深いところだとしても残っているはずだから、それを想う。 するとある時期から、人間は生き物を殺して食べることを特別なことと感じるよ

          塩梅。問題はまず、量が大事

          昨日、涙が出た。

          昨日ね、 ひなみ文庫に喫茶の出張に行ってるんだけど、月に一回くらい三日間のペースで、昨日はほとんどお客さんが来なくて、僕じゃない例えばカイくんとかあさみちゃんとかえりさんとかかおたんとか、具体的な人は僕が近いお店やってる人の顔が今パッと浮かんだ中で、ぴょっと選んだだけだから、もっといっぱい浮かんだし、みんなだったらもっとみんなひなみ文庫に足を運んでくれてたんじゃないかなぁって、本を眺めながらふと思った。 それはきっかけで、そこから自分のうちの方に分け入って、自分のうちを見てた

          昨日、涙が出た。

          稲の声=足を切った

          田んぼを始めて三年目の田んぼで、はじめて足の裏を切った。 田んぼの中じゃなくて、田んぼの中とかくと勝手に脳?僕?が田中と略してしまうけど田中じゃなくて田んぼの中、いや田んぼの中じゃなくて田んぼの外の畔でだと思う。多分刈った草の切り口が硬くて固まって、それを踏み抜きはしなかったけど踏んづけて切った、なんとなく「イタッ」となった瞬間を覚えてるから。「風の草刈り」という草の柔らかいところで風が吹いただけでぽきりと折れる支点のところで切れるように切れない鋸鎌を振り回すようにして、らく

          稲の声=足を切った

          想像のいちばん具体的な方法

          昨日Yちゃんとも話した、 想像ってずっと頭の中で思い描くことのことを言っていた、想像と妄想は違う、妄想と空想はどう違うかちょっとわからないけど妄想は自分に近いところというか自分に起こることで空想はもっと遠い、どちらにしても妄想も空想も想像とは違う。僕にとって想像は、どれだけ世界をリアルに感覚できるか、というのに近い。近いというか、もうそれだと思う。世界には人間も含んでいる。みんな。みんなといえば自分も入れなきゃみんなじゃない。だから僕自身のこともどれだけリアルに思い描けるか。

          想像のいちばん具体的な方法

          考えは、浮かんだことが大事。忘れていい。

          さっき、あ、これは覚えておきたいと思う考えが浮かんできた、考えは大抵浮かんでくるもので、数式なら左から右に数字を書いていってイコールで結んだりしていって答えに辿り着く、山の頂上までのルートはいくつかあるかもしれないし一本道かもしれないがとにかく道を進んでいくと頂上にたどり着く、考えはそんなものではなくて閃きの連続、僕だけか、僕はとにかく頭の中でこれがこうであれがああなるからこれはこう、ていうのがなくて全部一緒にやってくるから言語化しようとすると大変だ、途中を忘れて結論まで辿り

          考えは、浮かんだことが大事。忘れていい。

          個展を終えて

          四月二十六日から五月七日まで二週間、一年ぶりの個展を終えて今回の展示は、ひとつの大きな区切りだったんだ。そんな気がする、あるいは気づいた。その気持ちが個展から時間が経つごとに強くなっていて、どうして急に三月の頭のあの日に個展をやる気になったのか、GWの暇なときがちょうど空いていたのか、その理由探しをしたいだけなのかもしれない。 個展のあいだに起こったこと、だってそれらがあったから「大きな区切り」だと思っているのだ、やそれらの記憶は薄れているし湧いてくる気持ちはどんどん流されて

          個展を終えて

          空間を体感する、嘘をつかないために

          四月二十六日から五月七日までの二週間、アートハウスで個展をやることにした。三月の頭にやろうと決めて京子さんに相談したら、ちょうどゴールデンウィークがぽっかり空いていたので、なんでこんな連休の時にみんなもったいない!と思ったら京子さんは「ゴールデンウィークはお客さん来ないのよ」と言うので、まさかウッソだーと思って、だから僕はこりゃ儲けもんだと即決したわけだが、実際ゴールデンウィークに突入してみると、いつもの個展に比べて驚くほど人が来ない。 SNSでお知らせしようとインスタを開く

          空間を体感する、嘘をつかないために

          個展のあいさつ

          4/26から、言い出しのギャラリー兼喫茶店「アートハウス」で1年ぶりに個展をしている。いつも個展のたびにA4一枚分くらいの挨拶をしたためていて、今回も書いた。結構評判が良くて、だけどいつもそのまま終わるとどこかに行ってしまうばかりなので、いつもといってもまだ数回しかしたことないけど、ここに残しておこうと思う。 展示は5/7までです。 1 piece / 2days. (二日に一枚)               神藤 啓介 一年ぶりの個展、足を運んでいただき忝うございます。

          個展のあいさつ

          勉強の順序

          アマラくんと多分初めて、二人でちょっとじっくり話をした。今、外国語に興味があってSNSで18ヶ国語くらい話せる人、あ!あの人すごいよね、どうやってあんな喋れんだろうね、そうなんですよ。それで今、他の人ので顔の筋肉を鍛えて英語の発音できるようにって、でもなかなか難しくて、わかる僕もアメリカ行ったとき友達が先生やってくれてズーーっと「リフリジレイター」って、冷蔵庫の発音延々とさせられた。だけどさ、一人だとむずいよねだって「あ、それ違う」「そう、それ!」って先生に言われたけど自分じ

          勉強の順序

          あいうえお、の順番

          甕さんと一緒に何かできたらいいね、という話になって、何ができるか考えたいのもあって甕さんの神代文字講座に参加した、その回は仲良い友達だけしか集まらなかったから講座にはならなくて、皆んなで「あかさたなはまやらわ」を発声して、発声したときに生まれる感覚とかみえた色とかを記録してみるとそれぞれに似通った感覚が生じてることに驚き楽しむ、という内容になった。おどろき楽しむ、は内容じゃなくて感想。例えば あ、は方角がなくて境目みたい、点 さ、は横に速さ、流れ、薄く青っぽい白、 は、は暑い

          あいうえお、の順番