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助けを求める言葉もまた、贈与なのだ。
人の役に立ちたいなぁ、と思う。けっこう思う。
好きで珈琲を焙煎して、好きで絵を描いて、好きで断食したり糖断ちしてみたり、好きで四つ足で歩いたり、好きで文章書いて本にしてみたりしているけれど、作っているときはまだないが、パッケージングするときに「これで何か人の役に立てないか」と思う。
「世のため、人のため」
というくらいだから、人のためだけ考えるのでなく、社会、は僕にとっては自然の中の人間のことだ
集中しない。努力しない。
集中すると他が消える、
そう勘違いしていた。これぞ錯覚、
どこか一点に集中するとき、そこ以外はどうしてるのか、休んでるわけじゃない、むしろ偏りが一点に集中したそこを他のすべてが支えている。
集注すると、そこ以外の全てが支える集中と違って、集注したところが他とつながり一つになりだす。
庭先に伸びていた松から一本葉っぱをとって、初めてその葉っぱをしがんでみたとき、身体の一部分に溜まっていた何か、言葉に
優しさにベクトルを。 承認欲求なんてものは、ない
「昨日、旦那と大喧嘩してさ」
熱を出してる旦那と喧嘩した。私はルーティンを崩したくない、自分のペースで自分の順番で家のことをしたいのに、平日に熱を出して寝てるだけでそれが崩れる。それが許せない、
「どっちを?旦那さん、〇〇さん?」
質問の意味が最初わからなかった、でも言われてみると、確かに私が許せなかったのは、
質問も勝手に出てきた。僕はそれを聞こうとしたわけじゃなかったけど、どうも気になったらし
読む、という行為が指すものは
本を読む読まない、の話が1日のうちで2回も出たのは、珍しいことだった。
僕がやってるのじゃない読書会の話になり、カウンターの隣同士で話していた内容が僕に飛んできた。「神藤さんは、人生で何冊くらい本を読んだ?」
何を聞かれてるのかよくわからない、というのが正直なところで、だから応えようとすると頓珍漢にならざるを得ない、まず
本はなんでも本なら本として聞いているのか、「漫画は?」「んー、抜きで」
なぜ