想像のいちばん具体的な方法

昨日Yちゃんとも話した、
想像ってずっと頭の中で思い描くことのことを言っていた、想像と妄想は違う、妄想と空想はどう違うかちょっとわからないけど妄想は自分に近いところというか自分に起こることで空想はもっと遠い、どちらにしても妄想も空想も想像とは違う。僕にとって想像は、どれだけ世界をリアルに感覚できるか、というのに近い。近いというか、もうそれだと思う。世界には人間も含んでいる。みんな。みんなといえば自分も入れなきゃみんなじゃない。だから僕自身のこともどれだけリアルに思い描けるか。例えば、この肉体の輪郭でさえ、実は感じるのが難しい。目を瞑って、右手の人差し指の先を感じる。それから鼻の頭を感じる。そして目を瞑ったまま指先を感じている鼻の頭に持っていく。ピッタリ合わさるでしょうか?
それを全身でやってみる。頭頂、耳の裏、左の肘、薬指と中指のあいだの水かき、頸椎を一番から順に腰椎の五番まで、尾骶骨、膝の裏、足の甲と足の裏の境目、

身体の中身になったらもっと難しい。内臓はどうだ、肉は、骨は。
思い描いた自分がリアルの自分とピッタリ一致するか。軸や重心をイメージしても、本来の、身体に生じてる軸や重心とずれていたら、つまづいたり、ぶつけたり、自分の軸が取れなければ相手の軸も取れない、つまり繋がれない。

想像は、だから世界を感じること。そしてそれを細やかに丁寧にしていくことが深く想像することだ、と僕はしている。
そうすると頭の中で思い描くことが想像というわけではなくなった。

いちばん具体的で確実な想像は、行動だった。
行動、行動、頭の中だけであれこれする暇を与えない、まずはとにかく動く動く。書くのもそう。書きたいこと、思ったことや考えたことを書くよりも、とにかく手が動く。動かしてればここからどこかに移動する、書くという行動が、何を書くか考えて書くよりも想像させる。想像が働くと、自分で思いがけなかったことを書いている。自分が思いついたこと考えたことを書くよりも、ただ書くことをすると自分が思いつかなかったことを書いている。だから、僕はいつも僕に教わる。僕の中のどこに、そんな僕がいるのだろう。でも、他の誰に教わらなくても、僕の中のどこかがいつも教えてくれる。たった一人でも学ぶことはできるのだ。
想像とは、自分一人で、自分から自分がまだ知らないことを教わることだ。そして想像のいちばん具体的な仕方が行動だ。

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