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神がいるという考えは科学ではない。しかしこれは神がいないといないとわかったからではない。

カールポパー 1902〜1994年

どうして迷信に騙されてしまうのか。

「神がいる」という考えは科学ではない。
しかし、これは神がいないとわかったからではありません。
もしかしたら神はいるかもしれません。
それは科学的知識ではない。

科学とは、反対もあり得るのに「今のところ有効が出ていないこと」
しかし、これは神がいないとわかったからではありません。

反対にも言えるため、科学ではない。

血液型診断や新興宗教の迷信。

ジャンポール・サルトル 1905〜1980年


計画的に生きることなんて、できるのか。
常に予想外のことが起きtれ計画が狂ってしまうのは自分が悪い?

あるものは〇〇であると決まっている時
〇〇をそのもの本質と言う。
三角形は3つの直線が交わったもの、それが三角形の本質。

では、人間の本質はなんでしょう。
理性的?
道具を作る?
など答えがない。
サルトルは問題を考えた。

本質ではなく現にある個々のものを実存と言い
彼は「人間は実存が本質に先立つべきだ」と考えた。

人間の本質は人間自身が作る。
それが自由ということだ。

人間は神が作ったわけではない。
人間の自由のために神はいないと思うべきである。

人間ほ本質は死滅するまでわからない。

わからなさこそが、自分自身の人生を生きるということ。

「自分の人生、自分の本質はこうだ」と前もって決めても、いろいろな可能性を潰してしまう。

それよりも、その都度、対処していくことで自分の本質ができてくると考える方が

自分の人生を作る甲斐がある。

エマニェル・レヴィナス 1906〜1995年

男と女はなぜ話が通じないのか

男女が向き合うことの意味は?

他者とはなんなのか、自分ではないもの。
では机をも自分ではないし、どれほど気が知れた友人も自分ではない。

何か見たり、考えたりするとき、その何かが私の心に浮かぶ
机を見れば机が、遠くの故郷を考えたら、その故郷が心に浮かぶ

それらは私の心にあるという点で私にとって他者ではありません。
私の食べたものが身体の一部であるように、それらは私の中の何物かなのです。

他者とは、それらと違って、私の中で「何々である」と言い尽くせない。

他者は「あなたが私をどう扱うのか」と問いかけてくる。
机を机だと思って思って見ている時、そうすることでその人は机を支配しています。
上司が部下を部下としか見ないことで、部下を支配するのと同じ。
相手が何者であると決めることは、それ以外の可能性を相手から奪うことです。

しかし、それができない時こそ、そこに初めて他者が現れる。
それはお互いに向き合う時。
向き合ってしまうと、人は自分の思惑を相手に押し付けたくなる。
上司や部下といったお互いの立場を超えた何かが現れるため。
そこで相手は、私の思惑を外れて「私をどう扱うか」と問いかけてくる。

そうなると他者を否定することは難しくなる。
男女の間でも、話が通じなくて困るのは2人で向き合った時です。
男性集団の中で女性の悪口を言う時、あるいは反対のとき
その集団は結束も高まりますから、途方に暮れることはない。
しかし、1対1で向き合う時、相手が他者であるからこそ、逃げたくなる。

そんな時はいっそうの配慮に努めるより他はない。

向き合う時は他者を「顔」と思い
向き合わなければ「もの」と思う。

「顔」は徹底的に弱いため、自分を縛り付ける。

男女関係で言えば、振られるより、振る方が辛いと考えればわかるだろう。

他者理解は「他者の眼差し」を私の自由の生涯だが、いずれにせよ
私たちは自分自身が問われる。

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