光治(みつおさむ)

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    甘野充プロデュースの共同運営マガジン「エンターテイナー・ストリート」です。  共同運営マガジンは、みんなで作るマガジンです。  小説、詩、エッセイ、絵、音楽、動画など、想像力と創造力あふれるアートやエンターテイメント作品をnoteで公開している人たちが集まって、作品を披露する場となります。  参加すると、自分の記事を共同運営マガジンに追加することができるようになります。  たくさんの人に自分の作品を読んでもらえるチャンスです。  参加費は無料です。  参加希望の方はトップ記事へコメントお願いします。 ルールは以下です。 ・投稿は自分の記事だけにしてください。 ・投稿は当日投稿の記事のみにしてください。  (過去記事は投稿しないでください) ・タイトル、タイトル画像、説明文は変更しないでください。 ※ 創作と関係のない記事は削除しますのでご了承のほどお願いします。 甘野充

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愛の行方1

僕は東京都目黒区に産まれた。所謂お金持ちのボンボンである。 親は優しく、学校には友達がいるし、テストでは満点を連発。 テストで満点を取るとお父さんが報酬としてお金をくれた。 高校に上がると、欲しいものは一通り手に入った。 少し慢心。 テストの点数で初めて赤点をとった。 父さんは私を殴った、初めてだった。 「どうだ、悔しかったらやり返してみろ」 父さんは笑っていた。 次の日学校に行くと、隣の席の武志がその顔どうした、と心配してくれたが赤点取ったから父親に殴られたなんて言

    • 哲学を学んでみて思ったことや、今後にどう活かしていくのか

      16作品というか 16日連続で哲学について書いてきました。 全て読んでくださった方はいらっしゃいますでしょうか? ありがとうございます。 まず、学んでみてどう思ったか。 1、持論の語りは最高だ。 哲学は「自由」や「幸福」「真理」「愛」「理性」「社会」などかなりたくさんの価値観が正解か不正解かではなく、どう肯定するのかということを突き詰めているように感じを受けました。 どうでしょう。 皆さんは持論はありますでしょうか? 「野菜を食べないやつは不健康だ!」 とか 「趣

      • 多くの人が楽しく生きる社会というのは、多数決なのではないか?

        ジョンロールズ 1921〜2002年 多くの人が楽しければそれでいいの? 「みんなが楽しいほう」という時の「みんな」誰のこと? 真面目な人が空気を読まずに真面目なことを言って 楽しい空気をシラケさせると、せっかく楽しいのに迷惑だと思う。 それは確かに真面目な人の勝手な思い込みが暴走する時はある。 しかし、真面目な人がうるさく思うのは、薄す気づいていた自分たちの身勝手さを突かれたからという場合が多い。 これは「正義」という真面目な問題に当てはまる。 功利主義…多くの人が楽

        • 神がいるという考えは科学ではない。しかしこれは神がいないといないとわかったからではない。

          カールポパー 1902〜1994年どうして迷信に騙されてしまうのか。 「神がいる」という考えは科学ではない。 しかし、これは神がいないとわかったからではありません。 もしかしたら神はいるかもしれません。 それは科学的知識ではない。 科学とは、反対もあり得るのに「今のところ有効が出ていないこと」 しかし、これは神がいないとわかったからではありません。 反対にも言えるため、科学ではない。 血液型診断や新興宗教の迷信。 ジャンポール・サルトル 1905〜1980年 計画

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          人は家族関係の中で「無意識」と「自分」を形成する。

          https://note.com/mtosm315/n/nd9b8ffbda8fe?sub_rt=share_pw ジクムント・フロイト 1856〜1939年 だいぶ近代的になってきた。 なぜ、家族に縛られるのか 人は家族関係の中で「無意識」と「自分」を形成する。 母親と一体化していた「無意識」 父親が入ると「欲望」があると知り ↓ 父親の命令の範囲内の「自由」と「自分」 ↓ 範囲外の「不自由」は残っている。 (これが無意識の中核) 家族が縛られることが避けられない

          人は家族関係の中で「無意識」と「自分」を形成する。

          「私が私である」ということ

          ヘーゲルは欲望によって個人が再び「人類」という全体に変えると考えましたが、キェルケゴールは人は誰でもその人でしかないと考えた。 どんなに変わっても「私が私である」 カール・マルクス 1818〜1883年お金が欲しいのはどうして? 社会の仕組みが「もの」の姿になって現れたのがお金 お金という「神」は社会の矛盾が顕になると力を失ってしまう。 社会の矛盾とは、最初に土地や財を奪った人だけが得をするという不公平のこと。 つまり社会の仕組みはそもそも「人類全体のものではない。」

          「私が私である」ということ

          不安とは自由のめまいであり、その不安が誘惑を呼ぶ。

          もし、自分らしさが一番大切だと考えるのなら 生きるという本来の目的を失っていると言える。 生物の止まることのない変化には、生きることへの貪欲さがよく示されています。 私たちは人間にしても「私らしさ」にこだわって、今を生きにくくなるくらいなら、そんなものにはこだわらず、その時代に合わせて、どんどん変化していく生き方の方が、生物としてはるかに、健康なのではないでしょうか? とダーヴィンは言う。 セーレン・キェルケゴール 1813〜1855年誘惑されてしまうのはなぜ? キェル

          不安とは自由のめまいであり、その不安が誘惑を呼ぶ。

          個人の自由はどこまで認めるべきか

          スチュアート・ミル 1806〜1873年 お酒もタバコも私の勝手でしょ? 個人の自由はどこまで認めるべきか カントは自分の欲望を自分でも抑えられるのが本当の自分だと説きましたが 人が何かをするとき、それが欲望なのか義務なのか 周りには伝わりません。 欲望か 自分が決めた義務か その区別は社会の中で個人の自由をどこまで 認めるかを考える際に役立たない この問題を考え抜いたのがミルです。 どのような場合に社会が個人の言動を規制するべきなのか 「人によって異なる好み」とい

          個人の自由はどこまで認めるべきか

          個人が自分の欲望のために働くことが結果的に全体のためになる

          G・Wフリードリヒ・ヘーゲル 1770〜1831年 なぜいろいろ目移りしてしてしまうのか 私たちの欲望に際限がないのは悪いこと? 個人が自分の欲望のために働くことが結果的に全体のためになる。 所有と労働と競争(ヘーゲル) 競争が公正でさえあれば、自分が儲けることを目的に商品をよりよく、安価にする。 そのため 欲望があるのは正しい。 際限のない欲望は社会の中で個人が作られ それから自分という名前を自ら作り 個人(他人から見た自分)(社会の中の自分)が存在することにより

          個人が自分の欲望のために働くことが結果的に全体のためになる

          好きなように生きれたら自由ってこと?

          イマヌエル・カント 1724〜1804年 好きなように生きれたら自由ってこと? 腹が空いたら飯を食う 嫌な上司を殴る! ゴミをどこでも捨てる! … なんか違う! 人間は時にひどく暴力的になるし、咄嗟に何をするか、わからなくなる時がある。 そんな嫌な自分は本来の自分ではない。 理性が勝っている時が本来の自分だとカントは言う。 真の自由とは、自分で自分の正しさを決めることだ。 自分でルールを作り、それに従うことこそ自由だ。 欲望の自分 (自分自身でも困ってる) VS

          好きなように生きれたら自由ってこと?

          人は誰でも、自分以外のなかとの関わりで自分になる

          マルティン・ルター 1483〜1546年人は誰でも自分以外のなかとの関わりで自分になる。 私たちは家族か友人など身近な人との関係で自分になる。 関係がギクシャクすると不安になり「私」とは何かと、問うようになる。 不安になるとは キリスト教では「罪」 キリスト教としての「罪」とは理想の自分になっていないこと。 自分が自分であることは「罪」ではない。 自分が作ったものに従う自分→神の作ったものに従う自分。 ここで 自分自身であろうとする自分と神に従うべき自分が分裂して 自

          人は誰でも、自分以外のなかとの関わりで自分になる

          『信じる』は『知る』に至る道筋である。

          アウグスティヌス 340〜430年 「信じること」を考察 信じることは危険がつきまとうが、危険を冒さない限り私たちはいつまでも進歩しない。 もし、私たちが何も知る必要がないのなら 何も信じる必要はなくなる しかし、私たちが生きるためには、色々なことを知らなければなりません。 とすると、「信じることを出発点にするしかない」 信じると言う暗闇の中を通り抜けない限り、知るという眺めを得ることができない。 こらが私たちの知性だ。 トマス・アクィナス 1225〜1274年 「決

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          『信じる』は『知る』に至る道筋である。

          幸福とは他人から見て意味ある人生を送ることではない。

          エピクロス 紀元前341〜270年 仕事→お金が増える(面倒が増える)→しあわあせ 褒めてくる→あなたを利用してくる→無視しろ (隠れて生きよ) 幸福とは他人から見て意味ある人生を送ることではない。 自分自身の心地よさのことだ。 自分の心地よさが何より大事というエピクロスの哲学は快楽主義と呼ばれ、又の名をエピュキリアンと言われているがそれは誤解で 美食や過度の性的快楽はつまらない。 エピクロスは心の平安のことを快楽と言う。 庭園の中の小さな幸せこそ、求めるべき快楽

          幸福とは他人から見て意味ある人生を送ることではない。

          その犬は自分の友達の生まれ変わりだから蹴るな!

          可愛らしいタイトルですが ピタゴラス 紀元前570年はそう言ったらしいです。 彼はこの世界の美しい秩序を人間が知ることで同じように美くしくなる。そして数学を学べば、精神の浄化と解放される。 それは耳には聞こえない音楽が聞こえるが如く。 めっちゃロマンチストやなあって思った。 すき家。 ソクラテス 紀元前469〜399年 死刑を宣告されても平然としていたらしい。 彼曰く 哲学とは 自分自身を知って「よく生きること」を求め続ける生き方の別名。 「知らないこと」は知ら

          その犬は自分の友達の生まれ変わりだから蹴るな!

          知性を愚行に親しませようとする執拗な傾向

          続きは書いていきます。 ジャンポールサルトル面白いよおお タイトルに文言はなぜ私がメモをしたのかよく覚えてませんが、くすぐられた文章だ。 「己の矛盾」「自分自身の限界」「方向転換」「削除」「透明性」「力学」を洗いざらい、曝け出しながら、それでも最後に彼は 「生きている作家というのは、姿を隠すものだ」 「人はものを書くとき、自分の本性を隠すものだ」と述べていたらしい。 記憶とは 要するに真実の虚構であるとする断定。 冒険とは 幻想であるとの発見 さらにとりわけ 過度の明

          知性を愚行に親しませようとする執拗な傾向

          哲学はとても簡単なものだった。

          3月いっぱい ずっと哲学を勉強してみた。 最初は20歳くらいの頃にニーチェの本を人にプレゼントされて、ビビビっときてしまい、その頃は言葉の力がとんでもなく助けになりました。 そう。言葉っていうのは生まれてから今に至るまでに使ってきた一番身近なツールです。 それからというもの、それ以上でも以下でもなく、哲学って心を軽くしてくれるものかなあくらいに軽く思っていたのですが、難しそうなイメージのあるものほど、実は簡単なものだったりするような気が致します。 まず最初に知り合いから哲

          哲学はとても簡単なものだった。