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個人が自分の欲望のために働くことが結果的に全体のためになる

G・Wフリードリヒ・ヘーゲル 1770〜1831年

なぜいろいろ目移りしてしてしまうのか
私たちの欲望に際限がないのは悪いこと?

個人が自分の欲望のために働くことが結果的に全体のためになる。

所有と労働と競争(ヘーゲル)

競争が公正でさえあれば、自分が儲けることを目的に商品をよりよく、安価にする。
そのため
欲望があるのは正しい。

際限のない欲望は社会の中で個人が作られ
それから自分という名前を自ら作り
個人(他人から見た自分)(社会の中の自分)が存在することにより、欲望が生まれる。

他人が存在する限り、欲望は際限がない。

社会の中で位置付けられることで、初めて他の人とは区別された個人になる。
個人として限定される。

男であれば、女ではない
日本人なら、アメリカ人ではない

前田さんなら
木村さんではない

個人になるとは、このような限定を引き受けること。
しかし、心の奥底には、限定がなかった頃のことが残っていて
なんの限定もない全知全能を目指してしまうことが無限の欲望に繋がっている。

欲望は「無限」と「永遠」を目指す。

ヘーゲルは歴史というものは神がこの地上に実際に現れてくる過程であると考えた。

何故なら
人間は無限の欲望を持つ神の一部だからだと考えた。

人よりも大きな家に住みたいと思ったり
最新のファッションで自慢したいといった一見俗っぽい欲望も
その本質は、私たちは「神」だと確信するための情熱なのだと考えた。

「自由」とは自由気ままに振る舞うことだとすると
「共同」とは正反対です。

ヘーゲルは「共同」こそ「自由」だと考えた。

個人は欲望を通じて全体に繋がり
最後には社会全体と一致することこそ本当の自由である。

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