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安全保障3文書の改定が意味するもの

年末に向けて、安全保障3文書改定に係る議論が加速しています。
 
本稿では、その中核となる「反撃能力」を中心に背景・経緯、意義及び課題等を述べ、これらの改定が意味するものについて総括したいと思います。
 
1 安全保障3文書とは

安全保障3文書は、いずれも国家安全保障会議(NSC)と閣議で決定される戦略文書で、その体系は下表のとおりです。

安全保障3文書の体系(Created by ISSA)

(1) 国家安全保障戦略
国家安全保障戦略(NSS)は、概ね10年後までを念頭に外交・防衛の基本方針として、2013年12月、第2次安倍政権下で初めて策定されました(1957年に岸信介内閣で閣議決定された国防の基本方針は廃止)。
 
その後、2018年に改定が検討されましたが、「安全保障環境は、2013年の戦略で示された枠内」として改定は見送られたので、NSSとしては今回が初めての改定となります。
 
(2) 国家防衛戦略
国家防衛戦略(防衛計画の大綱)は、同じく10年後までを念頭に日本の防衛力の規模を定める指針です。
 
1976年に防衛大綱を創設後、1995年、2004年、2010年、2013年に改定され、2018年の改定では統合機動防衛力の整備方針が打ち出されました。
 
(3) 防衛力整備計画
防衛力整備計画は(中期防衛力整備計画)は、国家防衛戦略に基づき策定される防衛力の整備・運用に関する計画です。
 
1985年に創設後、1990年、1995年、2000年、2004年、2010年、2013年及び2018年に改定されました。
 
2 改定に至った経緯
本年4月、岸田政権は「NSS策定から8年が経過し、世界のパワーバランスは大きく変化した」として、年内に安全保障3文書を改定する方針を打ち出しました。
 
背景には、破竹の勢いで増大する中国の存在と、そのパワーバランスが、もはや憲法が定める自衛のための必要最小限度の防衛力をも揺るがし兼ねないとの危機感があります。
 
3 中国の何が脅威なのか 
(1) 米国の脅威認識
11月29 日、米国防省は、中国の軍事活動に関する年次報告書を公表しました。

中国の軍事活動に関する年次報告書(米国防省)

その中で、中国の戦略目標について、次のように述べています。
① 2027年までに軍の統合的発展を加速
② 2035年までに基本的近代化を完了
③ 2049年までに世界一流の軍隊を実現
 
また、中国軍について、次のように述べています。
● 艦艇280隻・航空機340機を保有
● その保有数は世界第3位
(2025年に400隻となり米艦艇数を凌駕)
● 宇宙・サイバーなど次世代の戦法を追求
● 2035年までに約1,500発の核弾頭を保有
● 殆どのミサイルは国際的先進水準と同等
● 多種多様なミサイルを大量に配備
HGV等の先進分野で目覚ましく発展
● 軍創建100周年の2027年までに台湾統一
(注:習近平3期目の期限も2027年まで)
 
(2) 台湾について
中国が核心的利益と位置付ける台湾について、デービッドソン前・米インド太平洋軍司令官は、2021年3月の上院軍事委員会で「6年以内(2027年まで)に中国が台湾を侵攻する可能性がある」と証言しました。
 
退官後、同年12月の共同通信インタビューでも「台湾有事は中国軍の侵攻に限らず、ミサイルの集中砲火海峡封鎖等もあり得る」と指摘しています。

デービッドソン前・米インド太平洋軍司令官
(ABC News)

(3) 米中の戦力比
下図は、1999年と2025年の米中戦力比を表したものです。一概にこの比較だけで優劣を決めることは出来ませんが、パワーシフト理論によれば戦力差が±20%程度だと、最も戦争が起こりやすいとされています。

台湾危機は2027年までに起きるのか?(NHK)

また、米国の政治学者グレアム・アリソン氏が唱えるトゥキデイデスの罠によれば、過去500年間の覇権闘争16例中12例(75%)は実際に戦争に発展しているとして警鐘を鳴らしています。

(4) 意図と能力
パワーポリティックスが支配するこの世界では、「能力」を整え、それを使う「意図」を誇示し、時に曖昧にしながら戦略的バランスが保たれてきた冷徹な現実があります。
 
一般に、覇権国家に挑戦する国の発展形態は、下表のとおりです。

Created by ISSA

(5) 中国による軍事演習
中国は第2~3段階にあり、近い将来には第4段階に到ると思われます。本年8月、ペロシ米下院議長訪台後の中国の軍事演習で、台湾侵攻のシナリオが明らかになりました。

先ず、大量のミサイルを打ち込み、台湾の軍事インフラを破壊。その前後で台湾近海に航行警報を設定し、艦船を派遣するなどして台湾を封鎖します。
 
また、中国の空母が東・南シナ海や西太平洋に出て援軍を阻止し、航空機や潜水艦も活動する中、地上軍が海を渡って台湾に上陸します(副次的に、日本の南西諸島、EEZ、シーレーン及び航空路なども脅かされる)。
 
(6) その時、米国は
そうなったとき、果たして本当に米軍が介入するのでしょうか。米国では1979年の台湾関係法で、台湾防衛の軍事行動が大統領に認められていますが、これは安保条約ではありません(台湾防衛の義務は負わない)。
 
また、バイデン大統領は、中国が台湾に侵攻した場合、軍事介入するかと問われ、しばしば「イエス」と答えていますが、台湾への曖昧戦略や、一つの中国を認める対中政策は何も変わっていません。
 
2013年にオバマ大統領(当時)が「世界の警察官から降りる」と宣言し、米国は北朝鮮の核・ミサイル開発も、中国の南シナ海岩礁埋立・軍事拠点化も、ロシアのウクライナ侵攻も、何ひとつ止められずにいます。
 
つまり、米国主導の国際秩序は既に瓦解し始めており、米国は台湾に武器は提供するが、軍事介入は行わないという、ウクライナ方式のオプションも取り得るということです。
 
2021年8月、米国はアフガニスタンから撤退しタリバンの復権を許しましたが、在日米軍も、いつまでも現状維持できる保証はどこにもありません。
 
中国は既に在日米軍・自衛隊の迎撃能力を凌駕するミサイルを実戦配備しており、在日米軍も、いつ射程外に撤退するかもしれない。
 
嘉手納からF-15戦闘機の撤退が始まっていますが、米国のシンクタンク、ランド研究所は、撤退するF-15に代わって無人機を配備すべきだと提言しています。

(7) 台湾併合、その先にあるものは
もし、中国が核心的利益たる台湾を併合したら、中国の野望はそれで終わるでしょうか。
 
2007年、キーティング米太平洋軍司令官(当時)が、中国軍の高官から「米中で太平洋を分割しないか」ともちかけられたという話があります。
 
中国には「常に世界の中心で栄華を誇ってきた」という大国としてのプライドがあります。しかし、19世紀のアヘン戦争後、欧米や日本に反植民地化され、一時的に貧しい国に成り下がってしまった。
 
「二度と、そのような屈辱を味わってはならない」という執念が、今の中国を失地回復・拡大へと向かわせています。
 
日本の皇国史観は戦前・戦後でぶつ切りにされてしまいましたが、中国はこのような4,000年の大中華思想の中で将来を見据えている。
 
つまり、中国の言う世界一流の軍隊とは、米軍に匹敵する軍隊のことであり、中国の言う中華民族の偉大なる復興とは、西太平洋から米国の力を後退させ、アジアの中心で栄華を誇ってきた覇権国家に返り咲くことを意味しています。
 
今、私たちが懸念している台湾や尖閣諸島に関する問題は一過性のものでしかないと認識をあらたにする必要があります。

(8) 今こそ、過去の賢人に学ぶとき
そして、米軍撤退後の西太平洋に待ち受けているのは現代版の冊封体制です。すなわち、中国に朝貢をして皇帝にひれ伏し、日本の国家元首が倭(卑しくて小さい)国王と呼ばれる世界です。
 
倭奴国王が後漢の光武帝に朝貢した西暦57年から、479年に宋が滅亡するまでの間、日本は中国の冊封に取り込まれました。
 
589年に隋が中国を統一すると、推古天皇は聖徳太子を摂政とし、600年に遣隋使の派遣を開始。604年に十七条の憲法を制定し律令国家の基礎を造ると、今度は対中関係の改革に乗り出します。
 
607年、推古天皇は小野妹子を代表とする遣隋使を通じて、隋の皇帝であった煬帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」と記した国書を渡し、冊封から脱却します。
 
また、608年の遣隋使では「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」と記し、初めて「天皇」という言葉を使い、645年に孝徳天皇は日本初の元号を定め大化元年としました。
 
更に、天武天皇は日本創世記たる古事記・日本書記の編纂を命じ、新都・藤原宮の建造に着手。
 
文武天皇は、702年の遣唐使を通じて中国に「倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」と伝え、国名を「日本」に定めたことを通告しました。
 
このように、歴代天皇は中国皇帝と対等な立場を示し、独立国としての基盤を整え、冊封から脱却し、毅然とした自尊心を貫いた。
 
これにより、その後の日本は真の独立国家であり続けることができたのです。
 
仮に、日本が再び中国の冊封に組み込まれ、その意に従えば生命・財産までは脅かされることはないかもしれない。
 
しかし、国民の自由や普遍的価値、心からの笑顔は消えてしまう(ウクライナがロシアに降参しないのは、「自由や普遍的価値というものは、身命を賭して守る価値がある」ことを如実に物語っている)。

5 日本はどう対処するのか
だから、日本は台湾や尖閣諸島に目を奪われることなく、その先に彼らが思い描く大いなる野望を見据えた上で大局的に戦略を練る必要があり、その中で日本がとるべき対策は、とにかく実効性のある抑止力を高めることに尽きると思います。
 
(1) 抑止力を高める必要性
中国が第4段階に至る前に早く手を打たなければなりません。外交を通じた話し合いは、いかなる状況でも必要ですが、話し合いだけでこのような相手を食い止めることが出来るでしょうか。
 
力によるメッセージには、力をもって反応しなければ、「守る気がない」と誤ったメッセージを送ることになる。
 
自衛隊の能力を高めることは、軍事的な摩擦を益々冗長させるように見えますが、パワーポリティックスが支配するこの世界では、むしろ健全なメッセージであり、対話を維持しつつ、パワーバランスを整えることによって抑止力を高めることが出来るのです。
 
(2) 抑止力とは何なのか
では、抑止力とは一体何なのでしょうか。
 
現代戦では、ウクライナでも見て分かるように、脅威の最終形態は「ミサイル」か「砲弾」のいずれかです(自爆型ドローンもミサイルの一種)。
 
幸い日本は海に囲まれているので、敵のプラットフォーム(艦艇や航空機などの発射母体や上陸部隊)を遠ざけておけば、砲弾はさほど脅威にはなりません。
 
しかし、ミサイルは海を渡って、或いは宇宙を介して遥か彼方から飛来します。
 
専守防衛を堅持する日本は、これまで敵の軍事力行使を抑止するために専ら拒否的抑止に依存してきました。
 
「反撃能力を持つ」ということは、新たに懲罰的抑止を持つということでもあります。

拒否的抑止と懲罰的抑止(Created by ISSA)

中国が多様なミサイルを大量に配備した今、既存の迎撃システムの対処能力が相対的に低下し、拒否的抑止が揺らいでいる。
 
しかも、迎撃能力を上げることは技術的にかなり難しくなってきている。

他方、中国側は迎撃システムが脆弱なので、反撃能力を持つことで懲罰的抑止が高まり、抑止力全体のバランスを立て直すことが出来るのです。
 
(3) 具体的な反撃能力とは
政府は小野寺元防衛相を座長とする国家安全保障戦略など3文書改定に向けた検討ワーキングチームや、国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議を設置し、それぞれ3文書に盛り込むべき新たな防衛力のあり方を検討しました。
 
有識者会議では、下表の7項目について提言していますが、この中でスタンド・オフ防衛能力の一部と、それを担保する各種支援能力が、反撃能力を成します。

提言された7項目(nikkei.com)

具体的には、米国製トマホーク・ミサイルの購入、12式地対艦誘導弾の射程を1,000km超に延伸、潜水艦発射型・巡航ミサイルの導入などが挙げられています。
 
(4) 武力行使の基準
ただ、反撃能力の行使には、いくつかの要件をクリアする必要があります。
 
先ず、憲法や国際人道法上、軍事目標以外への攻撃先制攻撃は許されていません。
 
そして、軍事目標に反撃する場合も、第2次安倍内閣が2014年7月に閣議決定した武力行使の3要件を満たす必要があります。

武力行使の3要件

6 解決すべき課題は
反撃能力を持つことについて、国民の過半数が賛成しているようですが、それを支える財源と、技術的な実現性が大きな課題となっています。
 
(1) 財源をどう確保するか

岸田総理は11月28日の国会で、2027年度までにGDP比2%(11兆円規模)に達する予算措置を講じるよう指示しました。

来年から5年間で43兆円が必要になりますが、それを支えるには安定財源の確保が必要です。

防衛費増額分に対する税制措置(東京新聞)

しかし、数年後から不足分を増税で賄う案が浮上しているようですが、先ずは全省庁を上げて徹底的に無駄遣いをなくすことが先決です(2010年に行われた「事業仕分け」のようなものを復活させてはどうでしょう?)。
 
また、余剰金は当年度内に使い切るといったバカげた考え方は、もういい加減、止めるべきだと思います。
 
(2) 技術的な実現性は
次に、技術的な実現の可能性です。財源を確保できても肝心の技術が伴わなければ意味がありません。
 
防衛省は、人工知能(AI)や無人機などの先端技術を向上させるため、2020年度から研究開発の強化に乗り出していますが、未だ国防費に占める研究開発費の割合は、国際的にも低水準に留まっています。

国防費に占める研究開発費の割合(nikkei.com)

政府は、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)が、全省庁を束ねる司令塔となって新技術の研究開発についてNSCと意見を交わす仕組みを検討しています。
 
一方、防衛省は2024年度にも日本版DARPAとも言うべき新たな研究機関を防衛装備庁に新設する方針です。
 
既存の迎撃システムをHGVなどに対応させ、反撃能力の要となる巡航ミサイルや敵の艦艇・航空機及びミサイルを機能不全に陥らせる電子・サイバー能力を開発し、指揮通信情報システムと人工知能(AI)を連接させるなど、技術的な課題は山積しています。
 
また、開発以前の問題として、先ずは防衛技術協力に根強い抵抗感を示す学会側を説き伏せ、緩慢な防衛産業を活性化する必要があると思います。
 
おわりに
日本は、中国を頂点とする現代版の冊封体制(パクス・チャイナ)へのパワーシフトを看過するのか、それとも、次世代にわたり自由と普遍的価値を基調とする国際秩序を守り抜くのかーーー。
 
今般の改定・安全保障3文書は、従前からの問いに対する回答であり、日本として、引き続き、後者を守り抜いていく決意を示したものと言えます。
  
国防の備えには、10年単位の歳月が必要です。次世代の安寧を考えると、今はある程度、耐え忍ぶことは避けられないのではないかと思います(ただ、国民に痛みを強いるのであれば、3文書に盛り込まれる防衛力の抜本改革は、真に実効性のあるものでなければならない)。
  
他方で、私たちは中国から「コスト強要戦略」を仕掛けられているという側面にも注意しなければなりません。
 
コスト強要戦略は、かつてソ連が崩壊にしたように、お金がかかる軍拡競争を仕掛けることで相手にコストを強要し、著しい国力低下へと仕向ける戦略です。
 
したがって、そのような観点からも日本は何が何でも米軍を日本に引き留め、他のパートナー国との連携を深めることが、これまで以上に重要になってくるのです。
 
そんな中国にも弱点はあります。それは、彼らの眼下にある中国人民です。歴代の中国王朝は、幾度となく人民によって倒されてきた経緯がある。
 
先日も、ゼロコロナ政策への反発の声が上がった途端、いとも簡単に懐柔策へと舵を切りました。その背景に、中国人民の「自由」に対する欲求の高まりが見え隠れしました。
 
顧みれば、日本はソフトパワー大国でもあります。反撃能力というハードパワーのみならず、ソフトパワーも巧みに使って中国人民の心を自由と普遍的価値に導く。
 
硬軟織り交ぜた戦略的アプローチこそが、自由と普遍的価値を守り続けるための鍵なのかもしれません。