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米中は「トゥキディデスの罠」に向かっているのか

先日、コロナ禍によって将来の国際情勢は大きく変わるとお話をしましたが、注目すべきはこれからの米中関係です。
 
「トゥキディデスの罠」とは、米国の政治学者グレアム・アリソン氏の造語で、紀元前400年頃、当時の覇権国アテネと新興国スパルタ間で起きたペロポネソス戦争と同様に、近現代の国家においても既存の国際秩序を維持しようとする覇権国と、その変更を試みようとする新興国の間で陥り得る戦争ことを言います。
 
アリソン氏は著書の中で、過去500年間の覇権闘争16例中12例(つまり75%)は実際に戦争に発展しているとして警鐘を鳴らしています。
 
識者らは、現状を維持しようとする覇権国「米国」と、その変更を試みる新興国「中国」に準えて、両国が「トゥキディデスの罠」、すなわち米中戦争に向かう可能性について盛んに論じてきましたが、ここへ来て突如として出現したコロナ禍が世界に大きな影響を及ぼし、米中両国にも新たな波紋を投じることになったのです。
 
このコロナ禍は、これからの米中関係に一体どのように影響するのでしょうか。今回はそのことについて考察してみました。
 
1 米国にとり国益とは
そもそも、米国は国益をどう定義しているのでしょうか。民主党のオバマ前政権下で策定された2010年と2015年の国家安全保障戦略(以下「NSS」)では、国益として次の4項目を挙げています。
 
〇 米国、米国民及び同盟国・パートナー国の安全
〇 米国経済と米国の繁栄
〇 民主主義に基づく普遍的な価値観
〇 米国のリーダーシップに基づく既存の国際秩序
 
そして、共和党のトランプ現政権下で策定されたNSS 2017では、「アメリカ第一主義」を前面に打ち出した上で、次のように再定義しました。
 
〇 米国、米国民及び生活の防護
〇 米国の繁栄の増進
〇 力による平和の確保
〇 米国の影響力の強化

トランプ政権下ではアメリカ第一主義が打ち出されたことで、1項目から「同盟国・パートナー国の安全」という文言が消え、3~4項目に「力による平和の確保」と「米国の影響力の強化」という文言が前面に押し出された形です。
 
その代わりに2010や2015でみられた「民主主義に基づく普遍的な価値観」や「米国のリーダーシップに基づく既存の国際秩序」という文言が消えましたが、そもそも米国の建国史からすると、自由と平等を掲げフロンティア・スピリットの下に国土や影響力を世界中に拡大してきた訳ですから、前者は米国民のDNAとして受け継がれている根源的な価値観であり、後者も既存の国際秩序の頂点に立つ覇権国家を支える基盤であり続けることは言うまでもありません。
 
いずれにせよ、NSSで国益として掲げられたこれらの項目は、否定するとアメリカがもはやアメリカではなくなるほど「死活的に重要(Vital)」ということです。
 
2 コロナ禍が米国の国益に及ぼした影響
では、今般のコロナ禍は、これら米国の国益にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。
 
(1) 国民への影響
米国では死者数が世界最多の9万5千人を超え、ベトナム戦争と朝鮮戦争での死者数に匹敵する事態となっています(米疾病対策センター(CDC)所長は、6月1日までに10万人を超える可能性があると予測)。
 
(2) 経済への影響
主要都市はロックダウンされ、失業率は戦後最悪の17.2%(リーマン・ショック後の2009年10月でも10.0%)、失業者数は2,500万人を超える事態となっています。
 
GDP(国内総生産)成長率も急落してデフレの恐れが広がっており、トランプ大統領としては11月の大統領選を見据えて早急に経済回復の道筋を示したいところですが、その見通しは立っていません。
 
(3) 軍事への影響
「力による平和」の象徴とも言える11隻の米空母のうち、アジア太平洋地域で活動中だったセオドア・ルーズベルトの艦内で新型コロナウィルスが蔓延し、グアムへの撤退を余儀なくされ、約2か月にわたり地域に「力の空白」が生まれました。
 
この間、最新のF-35Bを搭載したアメリカ級強襲揚陸艦やその他の戦闘艦艇が東シナ海、台湾海峡、南シナ海などに展開し空白を補おうとしましたが、やはり空母の不在により米国の影響力が低下したことは否めません。
 
地域での演習は相次いで取り止め又は延期となり(辛うじてRIMPAC2020だけは規模・期間縮小で実施)、将兵の練度の低下も免れ得ない状況です。

このように、コロナ禍によって米国の国益はことごとく大きなダメージを被ったと言えると思います。
 
3 米国目線で中国はどのように映っているか
米国は、自国益に多大なダメージを被ったことについて何が原因で何が問題と考えいて、今後どのように考え方を変えていくのでしょうか。米国目線で考察してみました。

(1) 原因と問題点
今般のコロナ禍はいわば自然災害であり誰にも止められなかったと言い切れるのであれば、再発防止策を打ってそれで「鞘を納める」ことができます。
 
しかし、トランプ大統領は新型コロナウィルスを武漢の研究所から流出したと疑い、チャイナウィルスと呼んでみたり、パンデミックを抑える努力を怠ったなどと、コロナ禍は中国が招いたとして矛先を中国に向けています。
 
中国に原因があるかどうかは別として、米国にとり問題点は、今般のコロナ禍がきっかけでパワーシフト(後述)が起こり、米国の優位性、すなわち覇権が揺らぐことです。この覇権を失うことへの米国の危機感次第で、ポストコロナの新世界秩序が決まるといっても過言ではないでしょう。
 
(2) 現状変更の姿勢を崩さない中国
他方、中国は一帯一路と関係が深い多くの国々に医療物資や医師団を送るいわゆるマスク外交を展開したり、アジア太平洋地域で撤退を余儀なくされた米空母を尻目に自国の空母を活動させたり、南シナ海では西沙諸島でベトナム漁船を撃沈拿捕し行政区を新設するなど、コロナ禍にあっても外交的影響力の拡大と軍事力による現状変更に余念がありません。
 
更に自国のGDP成長率が低迷しているにもかかわらず、全人代では早くも軍事費増加の方針を打ち出しています。2020年の国防予算も6.6%増と、この先も軍拡を緩める気配は一切みせていません。

トランプ大統領は、18日の記者会見で「中国は全世界に深刻な被害を及ぼした」として「中国とのすべての関係を断つこともできる」と語りました。米国目線では、コロナ禍は中国で発生し世界に拡散したにも係らず、中国はまるで他人事のように何食わぬ顔で傍若無人に振る舞い、コロナ禍を現状変更のチャンスとして利用しようとしている、中国とは「やっぱり価値観が相容れない」といった意識が相当に芽生えているものと考えられます。

4 パワーシフトへの影響
米国の国防予算に目を向けると、米国は未だ世界一の国防予算を費やしている一方で、リーマン・ショックを受けて2011年に成立した予算管理法(BCA)により2012~21会計年度の10年間にわたり制限下にあります。
 
結果、近年では空母などの整備サイクルの遅れや訓練機会の減少、規律の低下などが指摘されています(2017年に相次いで生起した駆逐艦の衝突事故にもつながったとも言われています)。
 
また、米海軍は、中露海軍の動向などを見据えて2030年代までに355隻体制を目指していますが、リーマン越えとも言われる今般のコロナ・ショックを機に、更なる予算制限を余儀なくされるかもしれません。
 
そうなれば、355隻体制はおろか現状維持さえも難しくなり、NSS 2017で掲げた「力による平和の確保」や「米国の影響力の強化」はより一層困難になります。
 
単純に、国防予算や隻数だけでパワーシフトへの影響を評価するのは難しいかもしれませんが、少なくとも、これまでに2030年代半ばとされてきた中国の国防費が米国に追いつく時期は、コロナ禍によって更に早まる可能性が出てきたと言えそうです。

5 米中は「トゥキディデスの罠」に向かっているのか
このように、今般のコロナ禍で国益に大きなダメージを被った米国は、その後の対応も含めて中国に対する不信感や敵対心を募らせ、国力比の展望からも、長期的な覇権の維持において相当危機感を強めたようです。
 
どのような状況下でも現状変更の意思を変えない中国、何が何でも将来の覇権を確保したい米国、両国の溝は益々深まるばかりです。
 
パワーシフト理論では、過去500年間に欧州で起きた200件の戦争を例に、戦争が起きやすい軍事力の差は±20%程度としていますが、近い将来、両国の軍事力の差がこの値に近づいたとき、どちらかが開戦へと誘引される可能性は否定できません。
 
コロナ禍は、少なくとも米中両国を「トゥキディデスの罠」へと更に一歩前進させるモーメンタムとしての役割を果たしたことは確かなようです。