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イージス・アショア配備撤回の背景

河野防衛大臣は15日、山口・秋田で進めてきた「イージス・アショア」の配備計画を停止すると発表し、その理由としてブースターに係る技術的な問題と改修経費・期間を挙げました。

しかし、核兵器の恐ろしさからすると使用済みブースターの安全性など次元が違い過ぎて、撤回の理由としてはやや違和感を覚えた方も多いと思います。この背景には、もっと本質的な別の問題がありそうです。今回は、そのことについてお話しします。

1 日本を取り巻く現状
北朝鮮は、既に日本全域を射程に収める弾道ミサイル数百発を配備し、核弾頭も搭載できる段階にあります(ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は15日、北朝鮮の核弾頭は今年1月時点で30~40個にまで増強したと警告)。しかも、そのような国は北朝鮮だけではありません。

2 日本の核抑止戦略
これに対し、日本は下記の「懲罰的抑止」「拒否的抑止」の組み合わせによって核攻撃を抑止する力を高めてきました。

(1) 懲罰的抑止
核兵器を持たない日本の場合、米国による拡大抑止(いわゆる「核の傘」)など。日本に核攻撃を加えたら同盟国たる米国が核で報復するぞ、という恫喝によって攻撃を抑止する考え方。

(2) 拒否的抑止
既存のミサイル防衛システム(下図参照)など。日本に向けてミサイルを撃っても、多層的に配備された防御用のミサイルで迎撃できるので、攻撃しても無駄だぞ、という能力誇示によって攻撃を抑止する考え方。

重要なことは、イージス・アショア等のミサイル防衛システムは、単なる装備品に留まらず「核抑止戦略の一部である」と理解することです。その上で、大局的な視点に立たないと本質的な問題点に辿り着くことはできません。

3 歴史的な経緯
このことを踏まえ、先ず2017年末のイージス・アショア導入閣議決定に至るまでの核をめぐる歴史的な経緯から簡単におさらいしたいと思います。
 
米ソ核軍拡競争の幕開け
第二次世界大戦後、米ソ核軍拡競争の時代が幕を開けました。この間、様々な核抑止理論を経たのち、1972年のSALT-1締結による核戦力のパリティと、ABM制限条約による迎撃能力の制限によって、相互確証破壊(MAD)が確立されます。いわゆる「恐怖の均衡」というものが制度化し、この頃から、米国の同盟国は徐々に核の傘に収まっていったのです。
 
戦略防衛構想(SDI)
そしてレーガン政権では、MADからの脱却をはかるべく、1983年から拒否的抑止としての戦略防衛構想(SDI)、いわゆる「スターウォーズ計画」を立ち上げて、宇宙空間に配備したレーザービームでソ連の弾頭ミサイルを撃ち落とす技術が研究されました(その後、実用化には至らず)。
 
米ソ(露)核軍縮へ
その後、1991年のソ連崩壊の年にSTART-1が締結され、米ソ(露)は核軍縮の時代へと向かいます。

Source : Federation of American Scientists (FAS)

ミサイル防衛システム(MD)
1993年に発足したクリントン政権では、テロリストや「ならず者国家(Rogue Nation)」には懲罰的抑止が効かないことへの懸念が浮上し、これらにも対応出来るよう戦略防衛構想(SDI)を終結させて、ミサイル防衛の研究に着手します。

ABM制限条約からの脱退
2001年の9.11同時多発テロ以降、核テロリズムへの警戒感の高まりもあり、米国は2002年にABM制限条約を脱退、ミサイル防衛局(MDA)を創設して本格的に拒否的抑止、つまりミサイル防衛システム(MD)の開発・配備に乗り出します。

ロシアの反発
この動きを、ロシアは快く思いませんでした。「MDは米露間の戦略的な安定性を損なう」として、当初から反発してきました。その後、ロシアは半ば凍結していた核戦力を再び掘り起こし近代化に乗り出します。
 
また、ロシアは米国MDへの対抗措置としてMDを開発するのではなく、逆にMDを突破する能力(多弾頭、囮弾、移動式発射台(TEL)、極超音速滑空体(HGV)等)の獲得という道を選んだのです。
  
幻に終わった「核兵器のない世界」
2009年のオバマ大統領によるプラハ演説、翌年の新START締結、そしてノーベル平和賞。あの時、ひょっとしたら「核兵器のない世界」は実現可能かもしれないと感じた人も少なくないと思いますが、実際はそうはなりませんでした...。

核保有国が乱立する時代へ
そして世界はいつしか米露核二大国体制から、核保有国が乱立する時代へと変貌しました。米英仏露中の五大国(1970年のNPT条約国)の他に、新たにインド・パキスタン・北朝鮮が核保有を表明、更にイスラエルも核保有国とみられており、これに対抗するようにイランが核保有への野心をちらつかせています。

Source : Arms Control Association

このような核保有国の乱立は、核の軍備管理や核拡散防止の枠組み、実効性のある核抑止理論の構築を難しくさせています。
 
特に日本周辺では、北朝鮮や中国が各種のミサイル開発配備を進展させ、日本への脅威は以前にも増して高まるばかりです。
 
唯一の被爆国として、世界で最も核兵器の撤廃を望んでいる国が、世界で最も核兵器の脅威に晒されていると言っても過言ではないでしょう。

4 情勢の変化
このような中、日本のイージス・アショアの導入は、トランプ大統領と安倍首相によるトップダウンで決まり、2017年12月に閣議決定されました(翌2018年の防衛大綱でIAMDの概念が示され、中期防でイージス・アショアの導入を明文化)。
 
イージス・アショアは既に欧州でも導入されている優れた防衛装備品ですが、閣議決定から白紙撤回に至る2年半の間に、一体、何があったのでしょうか。

極超音速兵器の出現
極超音速兵器はマッハ5以上の速度で飛行し、迂回など機動的な動きができることや、終末速度はマッハ20にもなるといわれており、既存のミサイル防衛システムを無力化するといわれています(注:極超音速兵器には、極超音速滑空体(HGV)極超音速巡航ミサイル(HCM)がある)。
 
中国は、2019年1月の建国70周年軍事パレードにおいてHGVを搭載できる「DF-17」を披露、またロシアは同じくHGVを搭載できる「アヴァンガルド」の開発を2018年末に完了し、2019年から実践配備すると発表しました(量産化にも着手)。

Source : U.S. Government Accountability Office 

中距離ミサイルの無秩序化
米国は2019年2月にINF全廃条約から脱退し、いよいよ中距離ミサイルの無秩序化に歯止めが利かなくなりました。
 
元々、INF全廃条約は、1970年代の米欧デカップリングへの懸念と、そのことに端を発して1980年代にかけてINFがひしめき合う欧州における限定核戦争への懸念から、米ソ(露)間で締結されたものです。
 
しかし、ロシアによる条約違反がたびたび指摘されたことや、中国、北朝鮮、イラン等が米露二国間の枠組外で自由に多種多様な中距離ミサイルの開発・配備を進め、いずれも無視できない存在になったという背景もあります。
 
米国が相次いで戦略文書を改訂
トランプ政権発足後、2017年12月の国家安全保障戦略(NSS)の改訂を皮切りに、2018年1月に国家防衛戦略(NDS)、2018年2月に核態勢見直し(NPR)、そして2019年1月にミサイル防衛戦略(MDR)と、次々に戦略文書が改訂され、新たな戦略構想や方針が打ち出されました。
 
核について総じて言えることは、オバマ前政権期の戦略に比して「敵対者」としての中露がより鮮明になり、抑止力維持のため、引き続き、老朽化した米核戦力の近代化更新に取り組む一方、核戦力の役割は縮小から拡大へと方向転換されたのですが、具体的には、新たに低出力核の保有、新たな宇宙配備センサーの配備、ブースト・フェーズでの迎撃などを追求することが明示されました。

米国が2つの宇宙軍を発足
新・旧の宇宙配備センサーの安全確保も視野に、2019年8月にUSSPACECOM、2019年12月にUSSFを発足させました。

米国の新しい技術開発が進展
2018年に米国防高等研究計画局(DARPA)が対HGV兵器としてグライド・ブレイカー計画を立ち上げたほか、先月16日、米海軍が艦艇配備型レーザー砲で小型無人機の無力化に成功しました(米軍は航空機への搭載も検討中)。
 
また、レールガンについては、ズムウォルト級の3番艦に搭載される計画となっています。この他にも、サイバー・電磁空間を利用した攻撃なども検討されていて、こうした技術は、それぞれの利点を活かし、欠点を補い合うことで、イージス・アショアよりも安価で確実に拒否的抑止を高められる可能性があることを示唆します。

また、MDRでも言及されている宇宙配備センサーは、従来、遠方の静止軌道(GEO)上にあったセンサーを、近傍の低軌道(LEO)上に多数配備することで、ブースト・フェーズにある敵のミサイルを迎撃することが可能になり、更にミッドコース・フェーズでの識別能力も上がると言われています。米国は、2020年代半ばから後半の運用開始を目指しています。

対地攻撃能力の進展
2019年12月、ライトニング・キャリアとも呼ばれるアメリカ級強襲揚陸艦が佐世保に配備されました。対地攻撃が可能な海兵隊のステルス戦闘機F-35Bを20機程度搭載可能で、2021年秋までには岩国への配備機数が32機になる計画です。また、MDRで明示された低出力核のSLBMトライデントや巡航ミサイルへの搭載化が進めば、対地攻撃のオプションも広がり抑止力強化につながります。

一方、海上自衛隊は「いずも」へのF-35Bの搭載を可能にする改修に着手しており、2番艦「かが」の改修も計画されています。
 
また、最新型のイージス艦「まや」及び「はぐろ」(来春、就役予定)には、高い経空脅威下での活動を可能にする共同交戦能力(CEC)リモート攻撃(EOR)の能力が付与され、対地攻撃にも転用可能なSM-6が搭載されます。
 
こうした装備品の配備が順調に進めば、日本側も対地攻撃能力の獲得に向けて一歩前進することになります(政府は、敵基地攻撃能力の保有は憲法上許容されているとしている)。
 
米核戦力老朽化の問題
米国の核戦力は近代化においてロシアに遅れを取っており、老朽化の縁に立たされています。核の三本柱(Nuclear Triad)のうち、次世代SSBNについては来年にもコロンビア級1番艦の建造が始まりますが、次世代ICBM及び爆撃機は未だ研究開発の途上にあります。
 
米核戦力の近代化が進まないと、同盟国に「(懲罰的抑止としての)核の傘は果たして大丈夫なのか」との懸念を惹起させることになります。

新型コロナウィルスの世界的流行拡大
そして今般のコロナ禍です。一時的であるにせよ、体力が低下した米国を尻目に核保有国でもある中国、ロシア、北朝鮮は、より敵対的な活動を活発化させ、現状変更の意図を露わにしています。
 
また、日米とも財政事情に深刻な影響を受けており、(大臣は影響ないと語りましたが、)長期的な国防予算緊縮の可能性が懸念されています。
  
方向の定まらないポスト新START
2014年のウクライナ危機で、米露関係は決定的に悪化しましたが、新STARTに基づく米露核戦力の削減は粛々と進められました。
 
だだし、この新STARTは2021年2月に期限切れを迎えます。有効期限を更に5年延長するか、新たな条約を締結するか、或いはこのまま放置して失効させるかの瀬戸際を迎えつつあります。

新STARTについて、プーチン露大統領は早々と「延長する用意がある」との意思表明をしましたが、トランプ米大統領は「中国などを含まない限り更新しない」としています(名指しされた中国は無関係との立場を表明)。

米露二国だけであれば、引き続きパリティを維持しながら核戦力を削減できるかもしれませんが、米国としては米露二大国が核軍縮する中、中国だけが枠組外で核軍拡に走ることへの懸念が払拭できないものとみられ、一筋縄にはいかない複雑な状況を露呈しています。
 
5 今後の予定
安倍首相は18日、首相官邸で記者会見を開き、「安全保障戦略のありようについて今夏に国家安全保障会議(NSC)で徹底的に議論し新しい方向性を打ち出し、すみやかに実行に移していきたい」と言明しました。
 
今月末から9月にかけてNSCで①MDの在り方、②ポストコロナの安保戦略、③経済対策を中心に話し合い、2013年に策定した日本版NSSを練り直して、2020年末には防衛大綱及び中期防を修正する意向です。

まとめ
冒頭で述べた「背景にある、もっと本質的な別の問題」についてまとめますと、次のようになります。
● イージス・アショアの導入を閣議決定した2017年末以降、わずか約2年半で戦略環境が急変
● イージス・アショアなど既存のミサイル防衛システムを無力化する可能性がある極超音速兵器が出現
● 米国は相次いで戦略文書を改訂し、対地攻撃での使用を想起させる低出力核や、ブースト・フェーズでの迎撃構想など、新たな戦略を打ち出す
● 米国はブースト・フェーズでの迎撃を可能にする新たな宇宙配備センサーを配備する計画も打ち出し、それらを守る2つの宇宙軍も創設
● 米国は対地攻撃能力も高めるライトニング・キャリア+F-35Bの前方配備や、レーザー兵器実験の成功等、新装備の配備や開発を進展
● 自衛隊も「いずも」型へのF-35B搭載を可能にする改修に着手、最新型イージス艦の新たな能力と相まって対地攻撃能力獲得へと一歩前進
● 他方、米国の核戦力が老朽化しており、核の傘(懲罰的抑止)の陰りに懸念
● そこへ来て今般のコロナ禍。日米とも相当、経済的なダメージを受け、予算上の観点から、こうした新装備や戦略構想の持続可能性にも懸念
● 世界は中距離ミサイルを何一つ規制できない無秩序状態と化し、ポスト新STARTの動向も全く見えてこない
● 戦略環境は益々複雑化し、シンクタンクや識者からも新たな核抑止理論が聞こえてこない

このように、今般のイージス・アショア配備撤回の背景には、戦略環境が急速に悪化し益々不透明さを増す中、米国の核戦略の変化や新装備の進展、更にはコロナ禍による安保環境・経済動向の変化があり、計画の総合的な見直しに迫られた、ということがあるのではないでしょうか(然るに、今般の撤回の判断は情勢の変化に柔軟に対応したものであり、その点は評価されても良いかと思料)。

むしろ、真の問題は「これからどうするか」です(いつまでも白紙撤回云々にこだわっている場合ではない)。

ひとつは、イージス・アショアの穴埋めをどうするか、という問題があります。当面は既存のイージス艦とPAC-3で対処する方針のようですが、中国海軍の活動が益々活発化する中、イージス艦もミサイル防衛ばかりやっている訳にはいきません。

二つ目は、日本として核抑止戦略をどうするかという大問題です。懲罰的抑止としての米国の核の傘はこれからも本当に機能していくのか、拒否的抑止としての既存のミサイル防衛に加え、レーザー、レールガン、サイバー、ジャマー等の新たな技術動向はどうなのか、ブースト・フェーズでの迎撃や敵地攻撃は本当に必要/可能なのか等、ひとつひとつをしっかり再検討・再評価する必要があります。

日本は今、コロナ禍による緊縮財政が見込まれる中、今一度、白紙的に安保戦略を練り直し、効果的で持続可能な新たな核抑止戦略を打ち立てる重要な時期に差し掛かっているのです。