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父が遺したもの

先月末をもって
実家の明け渡しが完了しました

私がこの世に生を受けてから
半世紀以上にわたり
「ふるさと」であり続けた
かけがえのない大切な場所でした

実家から見上げた空
(Photo by ISSA)

春先に母が亡くなってからも
2〜3週間おきに実家に帰り

両親の遺品整理に追われる
そんな日が続きました

戦後の貧困から立ち上がった
昭和10年代生まれの世代は
とにかく物が捨てられないようで

隙間という隙間には色んなものが
ギッシリと詰め込まれていた

特に、アルバムやプリント写真は
最終的に段ボール5箱分に及んだ

車に詰み込んだ遺品の数々
(Photo by ISSA)

これらは自宅に持ち帰って
一部はデジタル化するなど

そういう意味では
遺品整理は、未だ続いており
この先、まだ半年くらい
かかりそうな勢いです

今回は、その中から見つかった
昔なつかしい写真などを交えながら

私の両親と実家の歴史に
スポットを当てていきたいと思います

そのあと、タイトルにある
「父が遺したもの」について
お話し致します

☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆

父は戦時の世に生まれ
昭和~平成初期にサラリーマンとして
勤め上げた企業戦士だった

企業戦士として歩み始めた父

あるとき、草野球で突き指をした父は
母の実家だった病院を訪れた

草野球チームの一員だった父

父は、その病院に
可愛い娘(母のこと)がいると思って
付き合ってくれるか、同僚と賭けをした

そして父は、見事、母の心を射止め
二人は付き合うことになった

若き日の両親

しかし、当初は
先の大戦で軍医として従軍し
戦後、シベリアに抑留された義父
ずいぶん反対されたという

軍医だった母方の祖父

それでも二人の交際は続き
洋画をたくさん観て
あっちこっち旅行して

時には湖上のデートで
二人を乗せたボートが転覆し
ずぶ濡れで帰ったこともあった

☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆

やがて結婚した二人は
少ない貯金をはたいて
新興住宅地の一角に家を建てた

その家で、私は、両親と父方の祖父母
叔母、そして私の兄弟という
賑やかな大家族の中で育まれた

出来たばかりの実家にて
幼少期の私 ISSA は
とりあえず乗り物に乗せておけば
機嫌が良かったらしい … (^^;

色んな思い出がかけめぐる・・・

両親が動物好きだったこともあり
周りにはいつも色んな生き物がいた

実家で飼われていた生き物たち

小・中学校が近く、縁側は
よく学校帰りの友人の
たまり場になっていた

剣道をサボったことがバレて
母からビンタされたこともあった

剣道少年だった頃の ISSA

父方の祖父は無口な人だったが

手先が器用だった父方の祖父

物心ついた頃から
よく熊本空港
飛行機を見に連れて行ってくれた

それが私の将来を運命づけた

私の原点、私の好きな場所
遠くには阿蘇の山々が見える
(Photo by ISSA)

当初、父は私が選んだ職業に
戸惑いを隠せなかった

海を志し、空を職場とする

それは、もう熊本で暮らすことはない
ということを意味していた

それでも、私が故郷を離れた後は
私が選んだ仕事にずっと理解を示し
誇りに思い、応援し続けてくれた

私が訪れた国と地域に
マッピングしてくれていた父
(Photo by ISSA)

南極大陸に向けて出港するときも

東アフリカに赴任するときも

必ず見送りに来てくれたし
帰郷したときは
いつも、温かく出迎えてくれた

一軒家だった頃の実家
(Photo by ISSA)

長寿だった祖母たちは
とりわけ優しかった

長寿だった祖母たち
安倍総理(当時)から
父方の祖母に届いた祝辞

父方の祖母は
私がこの仕事を始めたとき

命の危機に瀕したときに
身代わりになってくれるという
「身代守札」を持たせてくれた

左:木原不動尊
右下:身代守札
(Photo by ISSA)

父は、定年までサラリーマンを
勤め上げたあと
来たるべき高齢化社会を見据えて

2001年に、この一軒家を
熊本県に認可された
高齢者向け優良賃貸住宅に建て替え
このマンションに
「息子たち」を意味する名を冠した

高優賃に生まれ変わった実家
※ 巻頭のカバー画像は建設前のイメージ図
(Photo by ISSA)

1階部分を自宅、兼大家宅にして
20年にわたり
入居者のお世話に尽力した

父も、祖母譲りで信心深く
大変、優しい人柄で

思えば、私は父から叱られた事は
一度も無かった

困難にあっても
決して朗らかさを失わず
誰にでも壁を作らず
常に相手を思い相手を優先した

昭和のサラリーマンらしく
「利他の心」「一期一会」
とても大事にしていた

左:私が、父の還暦祝いに贈った
「四国霊場八十八か所巡り」の掛け軸
(Photo by ISSA)

そのことは
遺された大量の写真からも窺われた

父の写真が極端に少ない …
 
それは
父が常に他者に尽くす側にいた
ことを意味していた

ひとつひとつの写真には
ファインダー越しに
父が見ていたであろう
被写体への優しい思いが
写り込んでいた

その父が、2020年11月に急死

残された家族に
事業の細部を知る者はおらず
当初はかなり混乱した

一時期、この事業を手放す話も出たが
マンションに「息子たち」の名が
冠されている以上
それを蔑ろにする訳にはいかない

結果、引き続き1階の自宅に母が残り
兄弟が遠方から支えることになった

必然的に、気が利いて几帳面な私が
その大半を引き受けることになった

母と訪れた米塚
(Photo by ISSA)

その母も、2023年の後半に
すい臓がんで余命宣告され
闘病生活の末に
今年3月に亡くなった

私は、母が癌と分かったとき
思い悩んだ末に

母に高額治療を受けさせるために
父が遺したこのマンションを
売り払う覚悟を決めた

父の遺産を、今、母のために遣わずして
いつ遣うのか、という思いが勝った

母と訪れたヒゴタイ公園
(Photo by ISSA)

遠方から母を支えつつ
マンションの売却交渉を進めることは
至難の業だったが

何とか売却の目途がつき
得られたお金を
母の治療費に充当することができた

母と訪れた雪化粧の草千里
(Photo by ISSA)

しかし、その甲斐もなく
母は逝ってしまった

売却済みのマンションは
買い主と新たに賃貸契約を結んで
実家を残し続けてきたのだが

やがて、母の死後手続や
マンション売却の事後処理
準確定申告や遺品整理も終わり

この度、誰も居なくなった実家の
賃貸契約も解消することになった

☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆

さて、前置きが長くなったが
「父が遺したもの」について話そう

私は、2020年に
父が亡くなってからというもの

このマンションこそが
父が生きた証だと思っていた

遺された膨大な資料が
父の並々ならぬ情熱を物語っていた

マンション最上階からみる景色
(Photo by ISSA)

しかし、父が万感の思いを込めて
このマンションに命名したはずの
その「息子たち」

その思いとは裏腹に
病床の母への対応の違いから
対立が決定的となり
私は父に申し訳ない気持ちで
一杯になった

昔のアルバムや写真を通じて
両親や実家のことに
思いを巡らせていると

等身大の両親の姿が見えてきて
今頃になって
ようやく分かったことがある

木原不動尊
(Photo by ISSA)

「父が遺したもの」

それは、このマンションといった
物理的なものではなく

私自身の中に確かに根付いている
父が大切にしてきた
「生き方」や「考え方」だったのだ

☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆

実家を離れる最後の日
私は、親父が生前に足しげく通った
阿蘇神社を訪れた

阿蘇神社本殿
(Photo by ISSA)

2016年に熊本地震が起きたとき
私は福岡空港から
レンタカーで熊本入りした

息子が飛んで来てくれたことに
安堵した様子の二人の顔が
思い出される

一方で、父はずっと大切にしてきた
マンションの一部が被災し
誇りにしてきた熊本城阿蘇神社
壊れたことに、心を痛めていた

熊本地震で倒壊した阿蘇神社

その阿蘇神社の楼門
職人たちの匠の技で
こんなに見事に復旧した

父も、この光景を見たかったことだろう

震災から復興した阿蘇神社の楼門
(Photo by ISSA)

神社の境内で祈りを捧げる

50余年にわたり
我が家を見守ってくださり
ありがとうございました …

これから
あの家で暮らす人たちも
どうか幸せでありますように …

私は、いたずらに嘆き悲しむことなく
この家があったこと、そして
この両親が居てくれたことに感謝し
きちんと前を向いて
生きていこうと思います …

ISSA's pray

私はこれらの思いを
買ったばかりのお守り
しかと刻み込んだ

(Photo by ISSA)

その後、退去点検のため
再び、実家に戻る

がらんとした部屋の中

実家で、退去点検を待つ
(Photo by ISSA)

2001年に
父がマンションに建て替えたとき
これから始まる新しい暮らしに
胸を弾ませながら
希望に満ちた目で
この光景を見ていたことだろう

隣の家との境界にある
独特の形をしたブロック塀
50年の時を経て
すっかり色あせてしまったが
今もなおそのままだった

このブロック塀だけが
家族の50年史の目撃者

私は、その傍らに落ちていた石をひとつ
そっとポケットに忍ばせ
この家に最後の別れを告げた

「魂の成長」という名の旅路において
これからが本当の独り立ち

耳を澄ませば
何度も何度も聞こえてくる
父からのメッセージ

「さあ、次のステージへ向かえ」

私はいま、更なる魂の成長を
促されているのだ

実家の庭で見上げた空
(Photo by ISSA)

この両親のもとに生まれ
熊本と、この家が故郷であったことに
心から誇りに思い
本当に幸せでした

私は、大いなる愛情で
育んでもらったことへの
感謝を忘れずに
生きていこうと思います

父が誇りにしていた阿蘇五岳を望む
(Photo by ISSA)

お父さん …
本当にありがとうございました🍀

次回は、母のことについて
お話しします。