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ショートショート#14 「代償」

「ようこそお越しくださいました、ユアスタンダードホテルへ。当リゾートホテルでは、一人ひとりのお客様に合わせた世界最高級のサービスを提供いたします。申し込みは一人30泊以上の長期宿泊プランから。料金に関しましては、特に金額の規定はございません。サービスを体感した充実度に合わせ、お客様ご自身で料金を設定していただく『お客様料金委託制度』を採用しております。制度における条件やその他注意事項につきましてはこちらの契約書をご覧ください。」

客として訪れた男は、受付のコンシェルジュからそう告げられると契約書を渡された。男は黙ってその紙切れに目を通す。

この度はユアスタンダードホテルのご利用ありがとうございます。「お客様料金委託制度」とは、弊社のサービスをご体感して頂いたのち、ご精算時にお客様ご自身で料金を設定できる制度です。下記の注意事項をよくお読みになり、同意する場合は下記欄にサインをお願いいたします。

1.当ホテルは無償での宿泊はできません。また、物品等の金銭以外での支払いも受け付けておりません。

2.当ホテルへの宿泊は、お客様一回限りのご利用となります。

3.金額設定はお客様に委ねられますが、弊社からお客様に提供するサービス原価を大きく下回る場合には、以下a〜cの代償労働が発生します。

a.原価の0.7%〜1%のお支払い:約1週間、当ホテルでのコールセンター対応の短期就労

b.原価の0.3〜0.6%のお支払い:約1ヶ月、当ホテルでの重労働作業の短期就労

c.原価の0.3%未満のお支払い:当ホテル支配人による判断通達

その条件を見て男はニヤリと笑った。
コールセンター?重労働作業?そんなものは彼にとって朝飯前に過ぎない。何せ男は過去に重犯罪を犯し、たった昨日まで刑務所で拷問とも言える数十年を耐え抜いてきたのだから。

もちろん男は再犯をするつもりなど毛頭ない。しかしこの「お客様料金委託制度」という、まるで金持ちのオークションのようなふざけた制度を思う存分享受してやろうと、一番安い硬貨を一枚だけ握りしめ、この高級リゾートへとやってきたのだった。

「それでは、12ヶ月宿泊プランでお願いしよう」

さすがの高級リゾートホテルでも年間宿泊する客は珍しいらしい。宿泊数が多いだけサービス原価も高くつく。それでもなお契約する者は億万長者か何かかと思っているのだろう。品のあるコンシェルジュも少し驚いた顔をしたのち、かしこまって説明を続けた。

「長期宿泊、誠にありがとうございます。それでは、早速お部屋にご案内したのち、サービスプランを説明いたします」

宿泊施設へ案内されると、まるでひとつの城のような建築物に辿り着いた。

「ここに一人で住めるのか?」

「はい。厳密にはお客様だけではなく、家事代行スタッフ、一流シェフ、マッサージ師、そして万が一に備え医者も常駐しております。もちろん別室で過ごしておりますので、普通に生活する上では人目を気にする必要は全くございません。」

「そうか。それでは早速マッサージをお願いしよう。ここにくるまで大分疲れも溜まってきたからな」

「承知いたしました。手配いたしますので、お客様はお部屋にてお待ちください」

案内された部屋は、豪華絢爛というよりかは、エレガントでスタイリッシュな空間だった。家具や飾られている絵画はシンプルながらも相当値のつくビンテージ品で、とても品があり趣味が良い。また、この圧倒的な開放感は部屋の広さもさることながら、天井の高さや窓から見える大自然の景色も効いているのだろう。

男が感心しているとノックの音がし、すぐにマッサージ師が訪れた。
腕は相当なもので、施術がはじまるとすぐに身体の疲れがすぐに取れた。数十年の拷問の日々がたった1時間程度で忘れ去られるような心地よさだ。

「最高に良い気分だ。そうだ、久々に酒を飲もう。ありったけの高級酒を用意してくれ」

今度はアルコールを思う存分飲んだ暮れる。世界的に有名な一流シェフたちによる料理も並べられた。たらふくに食べて、飲んで、眠気がきたら隣の寝室にある高級ベッドに身体を沈めて泥のように寝ればいい。
寝ている間は清掃員たちによって部屋が綺麗に片付けられ、男はいつだって気持ちの良い生活を送ることができる。

施設の外に出ると、高級車が何台か停まっており、男は好きな車を存分に走らせた。
何日もすれば一人でドライブすることにも飽き、ホテルのスタッフたちに声をかけてドライブすることもあった。月日が経つに連れてスタッフたちとも仲睦まじくなり、天気の良い日には全員を誘いパーティーなども開催した。

起きたい時間に起き、着たい服を着る。食べたいものを食べ、聴きたい音楽を聴く。体を動かしたいときは好きなスポーツをやり、寝たいときには寝ることができる。お金も、時間も、人間関係も、何一つ不自由のない生活・・・。

幸せな日々というのは、あっという間に過ぎ去るものだ。
気がつけばホテルの利用期間は丸一年が経過し、チェックアウトの日を迎えた。

「お客様、当ホテルのご利用ありがとうございました。ご満足いただけましたでしょうか。それではご精算のお手続きをいたします。当初のご契約の通り、金額設定はお客様のご判断に委ねます。サービス原価はこの通りとなっており、契約書に書かれていた通り、原価を大きく下回る場合は労働代償が発生いたしますのでご注意ください。」

コンシェルジュが提示したサービス原価は、高級車を何十台も買えるような金額であった。1年間のホテルの利用料、提供サービスの金額、スタッフの人件費、etc...挙げればキリのないような金額を、きっちり最後の一桁まで算出している。

もちろん男は、チェックインした日から今日まで硬貨1枚だけしか持ち合わせていない。
重犯罪を犯したとはいえ、あの刑務所での拷問を耐え抜いたご褒美じゃないか。
そう自分を正当化しながら男はその1枚の硬貨をスタッフへ差し出した。

「俺はこれしか持っていない。もちろんこの1年は最高な毎日だったよ。ただ、金額を自由に決められるならばこれでも別にいいんだろう?規定通り、労働代償とやらをさせていただくよ。」

「かしこまりました。それでは契約書に記載された『c.サービス原価の0.3%未満のお支払い』ということで、支配人による通達をお待ちくださいませ。」

1年間ここに泊まって見ていた限り、どんな労働だろうと俺にとっちゃ大したことはない。男は心の中でそう呟いた。しかし、どんなペナルティーがくるのだろうな。

「大変お待たせいたしました。この度、お客様に支配人からの命じられた通達は『代償労働なし』とのことでした。よって、お客様は本日限りでチェックアウトとなります。ご利用、誠にありがとうございました。」

男は呆気に取られた。何もしなくていいのか?と何度かスタッフに訪ねたが、問題ございませんの一言しか返ってこない。

まあいい。たった硬貨1枚でこんなにも最高の暮らしを送れたんだ。
それに特にペナルティーもなし。人生1度きりの利用だったが、最高の体験だったな。

悦に浸りながら帰路につく。気分も良いので、どうせならばコース料理を食べて帰ろうと街のレストランの店頭でメニューを見る。

「おいおい、ずっと刑務所とホテルにいたから忘れていたが、コース料理ってのはこんなにも高いのか」

男はレストランでの食事を諦め、ファストフード店に入った。が、その金額にさえも恐ろしく高く感じてしまう。

「待ってくれ、これは詐欺のような値段じゃないか?俺は1年間、硬貨1枚でコース料理を食べることができたんだぞ。それがこんなパンくずみたいな料理ひとつで・・・」

不審げな目で男を見つめる店員たちの圧に押され、男は暴言を吐きながらも店の外へ逃げるように出て行く。

目に見えるもの、すべてが高級ブランド品のような金額に感じてしまう。
レストラン、ドラッグストア、電車賃、飲み物ひとつさえも・・・。

「こんな世の中で一生暮らしていくならばあのホテルで労働していた方が・・・いや、刑務所の拷問を受けていた方がまだ希望はあったかもしれない」



支配人の通達がどんな代償よりも重いものだと気づいたときには、男はただホテルのある方角を見つめることしかできなかった。






「幸福の代償」 了




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