見出し画像

~元ぎゃるお先生,現る~ 第4話

ああ,ファミチキが食べたい!
ライフガードにウィルキンソンの炭酸とウイスキーを入れてキンキンに冷やして一緒に飲めば目の前にはエデンが広がるであろう‥‥

ごきげんよう,ベルです(たびたびすいません)

いやあ,スラムダンクの映画ももうそろそろか‥‥
熱い,熱いぜええ。あ,その前に転スラみな‥‥

ってことで今回から

ギャル男が東京進出してからギャル男を辞めるまで

のお話です。始まり始まり。

本編(ギャル男編 後半)

■ギャル男、大学1年時にバイトの面接で歌広場とカラオケ館とam.pmに落ちる

 か、金がない。

 ギャル男はヘアセットに金がかかる、プリクラ代に金がかかる、クラブ代に金がかかる、服に金がかかる……。

 圧倒的資本主義。

 金がないと遊べない。

 あ~めんどくせええ……仕方ない、バイトするか。

 そんな誰もが当たり前に抱く気持ちを予定調和のように抱いた私はバイトを始めることを決心しました。

 どこでバイトする? 

 渋谷を歩いてれば俺を呼ぶ店があるはず。と考えた私(髪の毛盛り盛り、カラコン(カラーコンタクトの略です)必須だったことから、フツーの店では働けないだろうなあ、渋谷でしかバイトできないんだろうなあと内心思っていたことは秘密)。

 工事前の東急東横線渋谷駅の改札を通り抜けた石橋。

 いつも通り、髪を盛り、カラコンで目を盛り、原色の服を着て、ばっちしお出かけ用の格好。

 すがすがしい。これから、バイト生活が始まるのか。くううううううっ。

 第1戦目。

 千葉ではギャルとギャル男のバイトさんたちばっかりだった歌広場(赤いカラーが目印のカラオケ屋)。ここは必ず俺を欲するに違いない。

 開戦ッ。

 「あの~うちで働きたいならカラコンはとってもらわないといけないんだけど、できる? 」

 「無理です」

 「では、お帰り下さい」

 な、なんだってええええ。カラオケ屋の接客にカラコンは関係ないでしょ……と思ったがゆえに行動。即答。

 つ、次いいいい。

 数日後、第2戦目。

 カラオケ館(青いカラーが目印のカラオケ屋)は大丈夫。なんてったって、渋谷ドンキ横(今は移転しています)という立地の時点でギャル男に有利(意味不明)。ドンキにはギャル男が集まる、だからこそ、ギャル男に優しい店長がいるに違いない。極めつけは、店内のバイトに金髪でバリバリのつけまつけてるギャルがいた記憶。

 しゃああ、開戦ッ。

 ……め、面接が2分くらいで終わっただと。

 しゃああ、これは即採用ふらぐ。

 店長は採用が決まったら電話しますって言ってたけど、焦らしね。焦らしプレーね。時給高いし、がっつりはたらこ。

 ワクワク(1日経過)

 ワクワク(3日経過)

 ワクワク(7日経過)

 おおおおおおおおおおおおおおおい。店長どうした。

 というわけでカラオケ館まで再度足を運ぶ私。

 「あの、この前バイトの面接を受けた石橋ですけど。電話が無かったので来ました」

 「いや、電話がなかったというか、そういうことですので……」

 ……

 でゅええええええええええええええええ。やってくれたな店長ッ! ! 

 いや~まじかよ。

 この時は割と焦ったのを覚えています。

 絶対受かってると思っていたのと、すでに割と金がなくなってから時間が経っていたので、きっついなあって思いました。

 ……だが、それがいい。

 秒で、第3戦目。

 実は、もともと目をつけていたコンビニがありました。

 その名も、道玄坂のampm(今は、FamilyMartになっています)。

 なぜか。

 それは、おへそくらいまで髪が長い多分ビジュアル系を思われる店員さんがいたから。

 あの人が働いてるんだから、俺くらい行けるっしょと思っていたんです。ただ、道玄坂の夜勤とか客層めんどくさそうなイメージしかなかったので、最終手段に考えていました。

 ……開戦ッ。

 ぐはあ。

 まじか、「人生つらっ」てまじで思いました。

 心が砕け散ったギャル男は、「北斗の拳」第一巻の砂漠の荒野をさまようケンシロウのように、渋谷をさまようこととなったのです。

 み、水……

■ギャル男を拾ってくれた焼き肉屋「ジャンジャン」

 だが……希望は死滅していなかった! ! 

 そんなこんなで、バイトにありつけず本当に困っていた私ですが、ふと、当時のドンキの横の小道に入った際、「ジャンジャン」という看板が目に入ったんですね。

 何だ、この店。

 チラシを見ると、バイト募集中。しかも、時給1150円~(けっこう記憶が曖昧ですが、私にとっては高額でした)。

 なんか、ここかもしれない。

 この日はフラフラしていただけなので、履歴書も何にも持っていませんでした。格好ももちろんいつも通り。でも、なんかいけるかもってフィーリングが働いたんです。

 レッツ、お出かけ。

 店内に入り、「バイトの求人見たんですけど」の一言。

 店長現る。

 圧倒的無精髭。目は細い。体も細い。だが、その眼はこれまでの店長とは違う。明らかに、先入観や偏見がない。ちょと話したのち

 「で、いつから入れんの? 」

 はえええ。まじか、圧倒的歓喜。うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。

 というわけで、私は、今はつぶれてしまいましたが「ジャンジャン」という焼肉しゃぶしゃぶ食べ放題のお店でバイトさせていただけるようになりました。いやあ、ほんとに神ってました。今となって考えれば、とにかく誰でもいいから人が欲しかったんだろうなあとか思いつつ(笑)、でも、あの時雇っていただけたことは今でもとても感謝しております。

 結局、店が閉店になるまで働き続けましたし、友達もお店に呼んだり、バイトの先輩も優しく、愛着がわくお店でした。大体ですけど、月に10~13万くらい稼いでいたのかな? 全て飲み代や服代といった交際費に消えてしまうのですが(笑)

 焼き肉屋でバイトしてたというと、けっこう

「司法試験目指す人でも焼き肉屋でバイトするんですね」という意外な目

で見られることが割とあります。たしかに、私の周りは塾講師をやっている人が多かったかな。でも、焼き肉屋は楽しかったですよ。ホールでいろんなお客さんを見ながら、時に会話しながらバイトするのもいいものでした。焼き肉屋以外にも派遣作業の単発バイトも何回もやりましたね。真夏に作業服を着て、倉庫内作業をするんですが、設備が整っている工場の場合は冷房がついていることもあったんですが、ド田舎に派遣で行くと冷房がないんですよ。業務用の大きな扇風機だけなんです。その糞暑い中、ペットボトル飲料におまけをつけて、段ボールに梱包して運び出すという単純作業を8時間。いやあ、かなりきつかったですが、そういった泥臭い経験をしたからこそ、視点が広くなったといいますか、経験値が増えたなあと思っています。

 話をジャンジャンに戻して、そうそう、厨房はみんな中国人留学生だったんですね。私は毎週休日に通し(日中と夜勤いずれも働くこと)で入っていたのですが、夜勤あけに中国人の方々と賄いを食べながら大宴会をしていました(飲む量が尋常じゃなかったです……でも、なんか飲み負けたくないじゃないですか、周りがお代わりするタイミングで僕も必ずお代わりしていました(笑))。そこで留学生ならではの金銭面や勉学、故郷の家族と会えないことの苦悩等を聞かせて頂けたりと、本当にいい勉強になりました。おもしろいのが、営業時間内にたまに焼き肉屋なのに厨房からどう考えても中華のにおいがしてくるんですね。おかしいなあと思って厨房に向かて「〇さんなに作ってんの? 」って聞くと「イシバシサ~ン、キョウノマカナイハトクセイチュウカメンダカラタノシミニシトイテネ~」みたいな(笑)メニューにない料理作ったらお客さんにバレるよなあとか思いつつ、陽気でとても面白かったです。

 また、僕はホールで働いていたのですが、ほぼ全員年上の方で、ホールの回し方であったり、年上の方との話し方であったり、仕事とプラべのメリハリの付け方であったりと、いろいろ教えて頂けたのを覚えています。渋谷という立地もあったのと、1700円、2200円、2500円の食べ放題のセットを売りにしてる店だったこともあって、客層は基本的に若かったです。あ、思い出した。クレーマーってどこの業界にもいるじゃないですか。僕もジャンジャンで体験したことがありまして、白米のお椀を運んでいたんですね。いつも通り普通に運んで行ったらいきなり「なんなのあんたの運び方。あなたの親指が茶碗の内側に入っていました。変えてください」みたいなことを言われました。いや、そんなことないからと思いつつ、「失礼しました。お取替えます」といって新しお椀を下の方で持ちながら持って行ったんですね。そしたら今度は「あなたが運んできたものなんて食べれないわ」とか言い出すんですよ。「はあ? 何言ってるんだこいつ。まじうぜえ」と思ったので、他の人に3杯目を持って行ってもらってその件は終わったのですが、いろんな人がいるんだなあといういい勉強になりました。

 とにもかくにも、「ジャンジャン」には本当にお世話になりました。

 バイトで得た経験も、今の自分の基礎を作っているのかもしれません。

■ギャル男と慶應義塾大学の両立

 後述の通り、大学2年生にギャル男を辞めるまでの約1年数か月はギャル男としてキャンパスライフを送っていたのですが、

慶應となじめた? 何して遊んでいたんですか?

をいただくことがあったので、少しキャンパスライフについて書こうと思います(いたって普通なので恐縮ですが)。

 まず、私はテニスサークルに入っていました。このサークルに入ったきっかけが結構面白くて。というのも、大学って新入生歓迎会(通称、新歓)が入学式シーズンにあるじゃないですか。私も新歓に行ったんですね。ただ、ギャル男全開の私を見て、上級生が全然チラシを渡してくれなかったんですよ。当時は「なんだよこいつら偏見の塊じゃん。うっざ」とか思ってましたからね(笑)でも、学食の前あたりを歩いていた時かな、黒いサークルトレーナーを着た180センチメートルはあるんじゃないかと思うほどの高身長の金髪ロン毛の超イケメンが突然声をかけてきたんですね。

 「君、俺のサークルに入らないか」

 何だこのイケメンは、かっこいいし絶対面白そう! と思った私は速攻で「入ります! 」と言ってそのサークルのたまり場に行きました。それだけでも衝撃的な誘われ方だったんですが、なんと、そのサークルのたまり場に高校の先輩(合宿帰りに僕をボコボコにした人)がいたんですね。

 「え、○○さんなんでここにいるんですか? 」

 「いや、俺、ここの代表だから」

 「まじかwww受けるwwww宜しくお願いします! 」

 みたいな感じでとてもびっくりしたのを覚えています。そのあとはすぐになじめたので、新歓シーズンに僕も新歓の手伝いをして新入生に「ちょっとこのサークルはいらない? 俺も昨日入ったんだよね」みたいな謳い文句で新入生を勧誘していました(笑)

 そんな感じで入ったサークルですが、たしか半年~1年はサークルの飲み会とかに参加していましたね。途中から僕はサークルに行かなくなった(特に何か原因があるわけではなく、自然と行く回数が減っていったって感じです)のですが、そこでの先輩方とは渋谷や恵比寿で飲んだり、夏合宿で海に遊びに至り、多摩川でBBQをしたりととても楽しかったと記憶しています。

 次に、授業については、正直、私は勤勉な大学生ではなかったので、出席しないと単位を落とす授業以外は全然出席をせず、試験直前になって法律系サークルが作成している試験対策ペーパー(通称、シケタイ)をもらって徹夜で試験に臨んで何とかやり過ごすみたいな生活を送っていました。なんだろう、私は大学の授業に当時はそこまで価値を見出せなかったといいますか、興味がわかなかったんですね。逆に、大学3年、4年になり、司法試験対策としても有用な演習系の授業は割とまじめに行っていたのですが、少なくとも大学1年、2年の授業は全然出席しないで遊んでいました。

 ただ、思い起こせば「単位をとる」という点だけにしか着眼していなかったので、それはもったいないなと今は思います。大学ではいろいろな授業が展開されていますから、興味を持つ授業が必ずあるはずなんですよね。今でしたら、心理学とマーケティングあたりは興味がありますし、面白い授業があるならぜひ聴講してみたいと思えます。当時の自分はそこまで思いが至っていなかったのですが、この本を読まれている大学生には、ぜひ、自分の将来に必要な授業は何なんだろうという考え方でもいいですし、今の自分が興味を向けられそうな授業は何なのだろうという考えでもいいですから、ぜひ、大学の授業を楽しんでいただきたいなと思います。

■ギャル男、やめるってよ。

 Men’s eggに出会った衝撃でギャル男になり、大学に入ってからは憧れの渋谷で遊び、Men’s eggのストリートスナップにも少しお邪魔させてもらうなどして謳歌していたギャル男ライフ。

 正確な時期は覚えていませんが、そんな

ギャル男ライフも大学2年の半ばに幕を閉じます。

 え、何があったの? ? なんでやめちゃったの? ? 

 これ、すごく良く聞かれます。でも、結構あっさりやめてしまいました。理由は? と言われてもホントあっさりで、「もういいかな~満足したし、ヘアメイクするのも少しだるくなってきたし、ここいらでイメチェンするか~! 」っていう気持ちが強くなってきたので、即美容室に行って短髪にしてもらったんです。

 ほんと、あっけない幕の閉じ方でした。思い起こせば、あんなにハマっていたギャル男をこんなにもあっさりやめれることに正直びっくりしているほどです。熱がだんだん冷めたというよりは、ある日起きたら瞬間冷却していたみたいな? 少し違う表現をすれば、24時間テレビで完走した達成感みたいな? 感じでしょうか。

 結局、気分屋なんだなあって自分のことをつくづく思います。まあ、やっぱり満足感が満たされてしまったのでしょうね。ギャル男として遊びつくしたし、これ以上はすることもないだろうと考えてしまった瞬間、これ以上満たされないなら既存の形を壊して新しい方向へ向かっていきたくなっちゃう性格なんだと思います。よく、破壊と創造といいますが、まさにそれがぴったり当てはまったのかな(別に、創造はしていませんが(笑))。

 そんなこんなで、あっさりギャル男をやめたわけですが、友達はすごい驚いていました。ええええ、髪の毛めっちゃ短くなってるじゃん、どうしたの? ? みたいな反応ばかりでしたね。あとは服の移行が大変でした。ギャル男ブランドで固めていたので、そこから全部買い替えるまで相当時間がかかったことを覚えています。それ以外は特に支障もなく、ギャル男は、ただの大学生にシフトチェンジしたのでした。終わりって、あっけないものですね。

■ギャル男をやめて気付いたこと

 大学終わりや休日に渋谷に通い、夜な夜な渋谷のクラブに通っていたおかげもあってか、渋谷にはたくさんの知り合いができました。クラブのDJ、居酒屋の定員、ギャル・ギャル男の知り合い。クラブに行けば必ず知り合いがいる状態。

 SNSでも同じです。Mixiでは、マイミクの人数が見る見るうちに増え、自分のコミュニティなんかもできたり。

 そんな環境に身を置いていたからでしょうか、いつしかその人間関係を『人脈』だと思い始めた私は、それこそ、後述するように今の私は「友達の友達は友達」という発想はしょうもないと思っているのですが、当時はというと、全くの逆で、いろいろな知り合いを作ることに夢中でした。常にフットワークを軽い状態にしておき、飲み会に誘われたら基本yesでgo。そこで知り合った人とはそれ以降SNSを通じたりしてちょくちょく連絡を取り合ってつながっておく。そんな人的関係を当時の私は『人脈』だと思っていました。飲み会で出会った人で、特にお互いのことを知らない仲でもつながりは大事と思ってたまにメールを送ったり、特に興味はないけど誰かが主催するイベントには足を運んだり。

 そんなことを続けていた私ですが、今思えば、それは『人脈』などではなかったと思います。

 というのも、ギャル男をやめて付き合いが薄くなって以降、連絡したいと思う相手が全然いなかったのです。その逆もしかり、相手からも連絡が来ることはほぼありませんでした。大したエピソードではないのですが、私にとって印象的だったのが、私がギャル男をやめてからしばらくして渋谷で居酒屋のキャッチの知り合いに会ったんですね。そして、「お~久々~」みたいな他愛もない挨拶をするわけですが、その時に「前みたく店来てくれよ暇でしょ? 」みたいに言われたので断ったんですね。そしたら彼の反応が「なんだノリ悪くなっちゃったな~まあいいや、じゃ」みたいな感じだったんですよ。これ、すごいどうでもいいエピソードかもしれませんが、私的には印象的で、あ、こんな感じか。結局、客とキャッチってだけだし、こうなるよな。みたいになぜか深く考えてしまったんですね(真面目か(笑))。

 虚無感ではないですが、むなしさというか、そんなもんかというか。当時私が『人脈』だと思っていたのは、『人脈』ではなく、ただの知り合いの山でした。多分、知り合いが多いというステータスが欲しかっただけなのでしょう。ステータスに高揚して、将来性のない付き合いを多くしていたのかなって思います。

 もちろん、何も後悔してはいないんです。この経験があるからこそ、少しは人間関係の在り方を学ぶことができました。

 この経験は異業種交流会に行くと名刺が増える現象と似ているなと思います。その場ではいろいろな人と話しますが、そのほとんどは顔も思い出せない名刺なので、結局ごみの山になるだけですよね。私がやっていた知り合い増やしも使わない名刺の山を築くような行為だったのかもしれません。

 人と人の付き合い方は多種多様、千差万別ではありますが、この経験以降、私は意味のありそうな付き合いと意味のなさそうな付き合いを感覚で判断し、後者だと思った場合は基本的に交わらないよう心掛けるようになりました。もちろん、判断基準は直感なので、判断を誤ることはあります。また、時に何も考えずノリで足を運ぶこともないわけではありません。でも、何ら判断・選択をすることなく動くことはやめました。こうすることで、以前に比べると大幅に無駄が減ったと思います。

 今考えるに、

『人脈』というのは、人と人の心がつながっている状態を意味するのではないか

と思います。そして、心と心のつながりは軽い付き合いでは生じません。そうであるがゆえに、『人脈』は作るものではなく、付き合いを深めた結果できあがるものなのかなと思います。

 『人脈』の意味について再考させられる経験でした。

■ギャル男は今に生きている

 世の中からギャルが消えようが、渋谷が変わろうが、少なくともギャル男は私の中で生きています。これからお話しするのは、要は、今の自分は過去が決めるという単純な話なのですが、私の経験に沿って話していきたいと思います。

 私は本当にギャル男をやっていてよかったと思ってます。転職でした。ギャル男は、属性ではなく、職業、いや、性別を超えた何かだったのかもしれません(意味不明)。もし私がアガルートアカデミーから突然契約解除をつきつけられ(全力で争いますが(笑))、職を失ったとします。カイジのように地価で働くのは嫌です。また、ニートでプーし続けることは今の私の貯金額では到底無理でしょう。

 働かなければならない。

 そんな状況下だと就活しなくてはならないわけですが、私が履歴書を書くとしたら、職業履歴に元ギャル男って絶対書きます。それくらいギャル男だった時にいろいろ考えたり、経験したことがあったし、自分を再確認できた部分がありました。

 例えば、私は原色の服を着て、髪もバリバリに盛って、とにかく肌は黒さを追求するタイプだったので、良くも悪くも目立ってしまっていました。

 そうすると、心もとないことを言ってくる人も少なからずいて、ずっと私は「誰にも迷惑をかけていない。ただ、自分の趣味をファッションという形で表現しているだけなのに、なんであいつらは俺にああいうことを言ってくるんだ。偏見とか先入観に支配されて自分の可能性を狭めているかわいそうな人たち。まあ、知らんけど」と思っていました。

 もちろん、そうじゃない人はたくさんいるのはわかっています。大学1年の入学後の英語の授業だったかな? 大学のクラスにギャル男が私一人だけな中(確か、私の代の慶應には私ともう一人しかギャル男がいませんでした)、まだ友達が一人もできていなかったんですね。ですから「出遅れた。このままいったらクラ友できねえなあ。まじかよやべえ」と思っていたんです。

 ところが、授業が終わった後に一人の女の子が「石橋君って、なんでそんなに黒いの? ギャル男って何? ゆっくんって呼んでいい? 」みたいに話しかけてくれたんです。

 個人的には、感激でした。腫物扱いすることなく、俺とギャル男に興味持ってくれた! みたいな(笑)

 今でも覚えているとか、よっぽど嬉しかったんですね。

 話は長くなりましたが、ギャル男だった時に自分が得ることができたものの中で今一番役立っていると思うのは、

偏見や先入観を持たずにまず何でも興味を持って自分で経験してみるという考え方

です。チャレンジ精神というものですかね。

 世の中ってむっちゃ広くて、自分の知らないことはハイパーファンタスティック級に多くあると思います。だからこそ、チャレンジの対象は無限広がっていますし、チャレンジ自体が本当に楽しいんですよ。偏見や先入観で凝り固まっている方は、それができない。それって、超もったいない。しかも、ファッションや性格等に対する偏見は時に人を傷つける。

 私は予備校講師です。そして、今は自分を慕ってついてきてくれる方々と切磋琢磨して、合格を勝ち取って、その後も活躍して欲しいと思っているので、当分は司法試験予備校の講師をやり続けると思います。まだまだ、この業界にも可能性はあると思いますし、予備校の在り方、指導の在り方、会社を大きくする在り方をたくさん学ばなければなりません。そのためには時間がかかると思うので、本気で予備校の講師を突き詰めたいと思っています。

 でも、それ以外にもいろいろとチャレンジしたいこと自体はあって、飲食業、美容業等が頭の中にぼんやりと選択肢として挙がっていますが、これから生きていっていろいろな人やモノに出会うことで、またチャレンジしたいことは増え続けていくでしょう。だから、私は講師という枠だけにとらわれることなく、いろいろなことにチャレンジしていきたいと思っています。偏見も先入観もありません。食わず嫌いとか言ってる暇があったらとりあえず食っとけって感じです。

 ぜひ、みなさんも

これまでなんとなく避けてきたことや、調べなかったこと、体験しなかったことについてはチャレンジすることで、自分の無限の可能性を開拓してみて欲しい

と思います。

今回はここまで
次回からは司法試験受験生時代のリアルと葛藤になります。
お楽しみに!

よろしければサポートお願いします!サポートしていただいた費用はyoutubeのサムネや教材費等々に充て、さらなるバックアップを行えるようにいたします!