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リベラルの死11周年記念、完全なる死。差別と排除を容認した統一教会追及

データや証言を積み重ねてきたから、今日は私が思うままに書こう。リベラルは完全な死を迎えた。

構成・タイトル写真
加藤文

2011年3月11日14時46分からの崩壊

 私は小説を書いて発表し、写真作品を制作して発表する表現者なので、社会の規律や習慣、権威などにとらわれない活動をするという意味でリベラルであったろうし、だからこそ自分の自由だけでなく他者の自由を尊重することからもリベラルであったはずだ。政治的にも穏健な革新を望んでいた。

 だが、こうした認識を改めざるを得なくなったのが2010年代であり、より厳密に言えば2011年の東日本大震災による原発事故が発端だった。

 原発事故によって反原発運動が盛り上がるのはべつに不思議ではない。この運動を担ったのが左派またはリベラル勢であったのも特に奇妙ではない。だが彼らは科学的な事実を無視するだけでなく、真実を伝える人々を吊し上げ、暴力で口を封じるに及んだ。そして自主避難者の帰還を手助けしていた私も、誹謗中傷され暴力を振るわれた。

 どの程度のできごとだったかは、心身ともに疲れはて痛めつけられて二度も入院し、一度目は救急搬送だったと言えばわかってもらえるだろう。

 さらに左派とリベラル勢は被災地を穢れた土地であると被害を誇張したり捏造しながら、被災地と被災者を差別した。厳格に検査された福島県の米や野菜や果物、魚介類にさえ放射線で汚染されていると言い、検査済みの産品を出荷することさえ殺人行為、生産者は人殺しと言われた。被曝の影響は被災者の健康のみならず、これから生まれる子、さらに数代先まで続くので、福島県の女性は子供を産んではならないと言う者まで現れた。

 こんなことを吹聴し、被災地と被災者に寄り添うとお為ごかしの親切を装い原発反対を唱えたのである。大阪と東京では、福島の子供たちが続々と死ぬのを予想して心配したという「葬列」デモが行われ、棺を担ぎながら喪服でデモが行われた。あれもこれも主催は左派またはリベラル勢であり、これの背後に左派またはリベラル政党がいて、左派またはリベラルを自認するメディアは批判すらしなかった。

 むしろ報道は大衆を駆り立てたのだ。

 リベラルは知的であり穏健な革新を望んでいるなんて嘘っぱちだった。科学を否定するのみならず、非科学的な妄想をもとに現実を暴力によって変更しようとする愚か者だった。他者を尊重するのではなく差別し、穢れを押し付けて排除し、他の人々との間に溝を穿ち分断を図った。寛容さなんて微塵もない。

 左派は知らないが、リベラルは死んだのである。

 私は彼らからさまざまな暴力を受けたのもあるが、こんな連中と同じ箱に入ってはいられないとリベラルであることを再考せざるを得なくなった。これは絶望と言ってよい体験だった。

 私は搬送先の救急治療室で、そう思ったのだった。


差別し、排除し、分断を図るリベラルの誕生

 差別し、排除し、分断を図る、不寛容なリベラルはどこからやってきたのかわかりやすい例を示そう。坂本龍一の「たかが電気」演説だ。

“みなさんこんにちは。いまもこちらに辿り着くのが非常に困難で、それほどの人波です。(──聞き取り不能──)ちょうど思い起こせば42年前に私はまだ18歳でここにいました。そのときは日米安保反対ということで。そのときは学生と労働者の集まりだったのですが、今日はやはり毎週金曜日の首相官邸前の抗議と同じように多くの普通の市民の方がきてらっしゃると思います。
僕も日本人、いち市民としてここにきました。ほんとに40年以上ぶりに日本の市民が声をあげてるということは、とても私も感無量です。それほど原発に対する恐怖や、日本政府の原発政策に対する怒りというものが、日本国民に充満しているのだと思います。”

 こうして、あの悪名高い演説ははじまった。

 彼が期待したものは70年安保闘争の再来だったのである。

 しかも電力完全自由化や再エネの拡大を狙う資本家からレクチャーされた内容が、そのまま演説で主張されたのだから滑稽きわまりない。原発を停止させ既存10電力会社の力を削ぎ、電力市場の完全自由化や再エネ利権獲得をめざす連中に踊らされるがまま「たかが電気」発言をしたのだ。

 特定業界の掌の上で調子づいて踊った反原発運動は、成果として原発停止を勝ち取る。また坂本龍一が挨拶で触れているように、左派は70年安保闘争の過激化で失った市民層の支持も獲得できた。これが反原発リベラル層を拡大させただけでなく、政治的な機運の盛り上がりにともなって反原発との距離を問わずリベラルを自称する人を増やしたのである。

 安保闘争の残党が後生大事に抱え込んできた党派性に、原発事故に動揺した人々が接木されたのだ。60年安保世代と70年安保世代にとっては衰退した左派運動の再興と国へのリベンジをかけた反原発運動であり、目的は政治なのだから被災者は運動の人質でしかなかった。真実を伝える者は政敵でしかなかった。差別し、排除し、分断を図ったのも政治だったからで、ここに素人衆までも加わった。

 金銭的にも精神的にも追い詰められていた自主避難者の帰還を助けると、なぜ誹謗中傷のみならず暴行されなければならなかったのか。家族や正常な情報から切り離されて孤立した避難者は、政治運動の駒であり被害者の標本だったからだ。この構図はリベラルを標榜する集団や政党、ジャーナリストたちによって反原発運動に限らず使いまわされていくのだった。


屋台を出したあと誰も後片付けをしない祭り

 夏祭りにならぶ無数の屋台を脳裏に思い浮かべてもらいたい。

 屋台が商売繁盛ののち、ゴミを残して立ち去って行く。ゴミは次の祭りの季節までに片付く量ではない。これが反原発運動だった。ここにまた屋台がならぶ。イカサマなくじ引き、ピカピカ光るのは一晩だけのインチキなおもちゃを売るだけ売って、また香具師たちはゴミを残して立ち去るのだった。ゴミが積み重なるだけでなく、屋台に寄り集まってきた人々が居座りはじめる。

 そして彼らは、ゴミを片付けようとする者に向かって罵詈雑言を吐き、掃除を邪魔するだけでなく社会の敵は出て行けと元からいる住人を追い出す。これが反原発運動から連綿と続くリベラルを称する運動だった。記憶にあるだけでもSEALDs、モリカケ桜、反差別、フェミニズム、ジェンダー。素人兵と詐欺師が参戦する代理戦争は碌でもないものになる。

 これが統一教会追及までリベラルの名の下で途切れなく続いた。

 被害者を人質にして、標本にして、相対する者を差別し、排除し、分断を図ったのが統一教会追及という政治運動で、ことの発端にあった被害当事者を救済する話はどこかへいってしまった。イカサマなくじ引きやピカピカ光るのは一晩だけのインチキなおもちゃを売りにきた香具師に、今回もまた新たな客が寄ってきた。

 報道は大衆を駆り立てるばかりで、事態を回収する気なんてなかった。

 取材で出会った統一教会二世や他のカルトを脱会した人々は、リベラルの祭礼に集まった素人兵と詐欺師が人権意識をかなぐり捨てたさまに恐れおののいている。本来なら彼らが抱えた人生の荷を軽くしてくれるはずの教団追及だが、この祭りがさっさと終わってくれるのを身を縮めながら祈るありさまだ。

 このように、60年安保闘争時の岸信介を疫病神にしてから60年間も続き、転じて岸の孫の安倍晋三を悪魔化したうえで、悪魔アベ封じの祭礼が繰り返されたのである。想像で言っているのではない。運動の背後にいつもいた安保闘争の残党たちが、怨念を延々と語っていたのだからまちがいない。これが彼らにとっての政治であり、運動であり、人生だった。

 だが、これではあまりに不細工なのでリベラルを隠れ蓑にしてきたのだ。

 60年安保世代なら60年前から、70年安保世代なら50年前からの恩讐を維持して変わることを拒んでいるのだから、隠れ蓑としてのリベラルはなんとも石頭で保守的な思想としか言いようがない。「あれもアベのせい、これもアベのせい」にとどまらず「すべて統一教会とずぶずぶのせい」と言い出して、素人兵ともども保守的どころか陰謀論者に成り果ててしまっている。しかも白昼堂々と基本的人権まで破壊しはじめた。

 リベラルの死11年めの、リベラルの完全なる死である。

 


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