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現実感をなくして失うもの フェミニズム運動の例から

著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ

ドン・キホーテと風車

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ドン・キホーテと従者サンチョは旅の途中で居並ぶ巨大な風車と出会います。ドン・キホーテは風車を巨人と思い込んで闘いを挑んで突撃し、衝突の衝撃で跳ね返されて原野を転がっていきました。現実を知っているサンチョはドン・キホーテに冷静な指摘をしますが、彼は魔法使いが巨人を風車に変えてしまったと言い張ります。

ドン・キホーテの狂気は物語だからこそ人間の滑稽さや悲哀などの味わいを笑いの中に醸し出しますが、身近な人がドン・キホーテのような感覚で現実の世界を見ていたらどうでしょうか。

ドン・キホーテは騎士道物語にかぶれて冒険の旅に出ましたが、社会運動に没入して現実感がなくなり架空の世界と相対あいたいしている感覚に陥る人たちがいます。現実感が失われることで、彼ら彼女らは過激になって他人を傷つけがちです。

それはまるで風車を巨人と信じて突撃したドン・キホーテそのもののようにです。しかも傷つけられた誰かは、痛みを感じ血を流す生身の人間です。


社会運動と現実感の喪失

前回、SNS内でフェミニズム運動に没頭したAさん(女性 / 50代)が情緒不安定になって夫Bさん、息子Cさんとの関係がぎくしゃくし、さらにSNS上での「男児は生まれてくる価値がない」という一連の発言によってCさんをとことんまで傷つけている件を取り上げました。

閉ざした


BさんとCさんはカウンセリングによって「男児は生まれてくる価値がない」という発言が家族に向けられたものでないと理解しました。こうした過激な発言や行動は抽象的な男性像という実在しない存在に向けられたもので、いわゆる「主語が大きすぎる」発言や行動です。何らかのできごとに感情が刺激されているのは間違いないのですが、実際には存在しない偶像と闘っていることからわかるようにAさんには現実感がなくなっています。

現実感がなくなり、架空の世界と相対している感覚に陥るのはフェミニズム運動に限ったものではありません。

原発事故のあと反原発運動に没頭した人々もまた、現実に起こったことを社会に問いかけるのではなく、次第にカタカナ書きのフクシマに象徴される非現実的なものと闘いはじめました。これが放射線デマ、被曝デマと呼ばれるもので、ドン・キホーテで言えば風車と巨人の関係にあたります。

こうなると主張が現実から離れて行くだけでなく、原発事故以外のできごとに対しても現実感が希薄になり心が壊れた者が少なくありません。ある高齢者は嫌がらせを繰り返したあげく警察沙汰になり、素行を家族に知られて家庭内隔離に至りましたが未だ心を治療できないままです。

現実感が失われ心が壊れた彼らが、反論する人を陥れたり危害を加えた様子をドン・キホーテに例えるのは牧歌的すぎるほどで、実際に被害を被った筆者2名にとっては現実と映画(創作物)の違いがわからなくなり刃物を振り回す通り魔と何ら変わらないものでした。

社会運動は個人の身の回りで発生する問題と違い大きなテーマを扱います。大きなテーマも身の回りの出来事と同じ複雑なディティールを描くものの集合体ですが、これらすべてを一つひとつ体験して実感するのは無理です。わかったつもりになって大雑把に出来事を把握し、大雑把な主張をしているうちに、現実のなかにいたはずの自分が大雑把な別の世界に移動してしまうのです。

さまざまな社会運動があったことを思い出してください。その後、多くの方が想像する以上に深刻な後遺症を参加者に残しています。軽症や無傷で逃げ切れたのは一握りの幸福な人々です。

現実感を無くす


運動のための運動

フェミニズム運動に没頭したAさんは、自分が抱えていた問題以外のものに怒りの感情を掻き立てられています。AさんのSNS上での発言は他人の身に降りかかった出来事や他人が指摘した問題への怒りに満ち、彼女自身の問題はどこかへ行ってしまったかのようです。

最近、漫画やイラストに描かれた女性像が性的であると問題視する運動が続いています。Aさんも大いに怒り、イラストを掲載しないよう抗議する活動に参加しています。しかしイラストが性的であること、たとえば胸が大きく描かれているなどといった指摘は、Aさんが抱えていた当初の問題とは似ても似つかないものです。

Aさんは父母の不仲と関係していた祖父の存在や、小中学校で嫌がらせをされた男子に癒えない怒りを抱き続け、後に自分が何者にもなれなかったのは男性のせいであると思うようになりました。

胸が大きな女性を描いたイラストの掲載をやめさせたり、短いスカートや腹が露出した衣装をなくしても、Aさん個人の問題はいっさい解決されません。こうした抗議活動が成功したのち、連鎖反応で解決するとも思えません。Aさんが抱えた問題の細やかで複雑なディティールが、そのまま抗議活動で取り上げられることもないでしょう。

そしてAさんが抱えた複雑な問題はいつまでも解決されず怒りが続くだけでなく、ますます増幅されて行きました。

運動のために運動で貢献しているだけなのです。

Aさんは現実感がなくなり架空の世界と相対あいたいしているだけでなく、いくら運動に没頭しても心に積もった怒りが癒やされないことすらわからなくなり、自分自身の現実も見えなくなっています。これは運動にとって好都合なことで、参加者が禅寺の修行僧のように個々の問題に静かに向き合ってしまっては運動で数の力を示すことができません。

現実感を失うのは社会運動に没頭することの宿命であると同時に、運動を指導するリーダーの思惑そのものでもあるのです。

運動のための運動


代償として失うもの

フェミニズムの運動に限らず、指導者と参加している人では立場も影響もまるで違います。さらに役得で参加している人と、共感から参加している人の間にも違いが生まれます。

労働組合で考えてみましょう。

労働組合に上部団体から派遣されている活動家がいたとします。社員組合員は賃上げや労働環境改善を訴え、指導的立場にある活動家も同じ主張を経営者に叩きつけるでしょう。活動家は活動の原理と戦術を与えて組合員を鼓舞して、ともに頑張ろうと励まします。ところが会社が倒産しました。活動家の目的は労働運動の拡大と個別のフォローなので痛手を負うことなく団体へ戻って行きます。いっぽう社員組合員は活動が敗北しただけでなく帰るべき場所も消え去りました。

さらに腰掛け気分で組合活動に参加していた者と、感情的になるほど深入りしていた者では同じ局面にあっても影響の受け方が違います。

フェミニズム運動で指導的立場にある人はどのような背景を持った人々でしょうか。運動に同調していっしょに怒りの声をあげたり、反論する人々に攻撃をしかけている人の真の目的はどこにあるのでしょうか。こうした人々はAさんのように参加している人と同じでしょうか、かなり違うはずです。

Aさんが代償と自覚しているかは別として、家族である夫のBさん、息子のCさんとの間にかんたんには修復できない大きな亀裂ができてしまいました。またAさん自身も、周囲の世界だけでなく自分自身の現実さえ見えなくなっています。

皮肉なことですが、BさんとCさんがいる家庭があるから自分自身の現実さえ見えなくなったAさんが支えられています。いま夫のBさんが家族が崩壊することだけは避けようとしていますが、息子のCさんはそこまで努力する必要はないと考えることがあるそうです。

被曝デマに騙され、周囲の世界だけでなく自分自身の現実さえ見えなくなって家族を捨てて自主避難した例では、もてはやされたのちに生活の土台から崩れて音信不通になった人がいます。

さまざまな運動を例に挙げたように、フェミニズム運動に限って現実感が失われるわけではありません。また社会運動そのものを悪と決めつけるものでもありません。社会運動は人をドン・キホーテに変える可能性が高い、という事実があるだけです。


後始末の段階へ

なぜ私たちがAさんの事例やそのほかの難問に関わるのか。それはフェミニズム運動を破壊するためではなく、そのような大きくて雑な目的より目の前にある人間同士の困りごとのほうがよっぽど大切で見捨てられないからです。

私たちは反原発運動からの放射線・被曝デマや自主避難者の問題を経て、陰謀論や反ワクチン運動に染まった人と関わってきました。運動が盛り上がった段階で何かに気づいて引き返したくなる人がいましたが、運動が壁にぶつかったり衰えはじめてから参加者個々の問題が吹き出しはじめるのが通例です。

フェミニズムの基本的な概念に問題がなくても、運動が目指した方向に壁があれば停滞を余儀なくされて当然ですし、第二次世界大戦中の大本営発表ではないのだから全戦全勝の圧倒的戦果が続くはずがありません。一部から聖戦視されていた反原発運動が現実感を失ったことで内部から溶けて行き、細分化の過程でエゴや反社会的な存在が炙り出されたような事態がはじまりつつあるのを今フェミニズム運動に感じます。

仮にそうでなかったとしても、社会運動は人をドン・キホーテに変え、SNSなどから見えない場所でAさんのような難問が発生して、解決に苦慮している人々がいることから目を逸らしてはなりません。

理解のない夫と離婚した。これはこれで構いません。大人なのだから自らの人生の主人は自分自身であり、人生に責任を負うのも自分です。しかしAさんのケースでは怒りの原因は夫のBさんにはなく、息子のCさんを一方的に傷つけています。どのような結末を迎えようとも、運動そのものも指導的な立場にある人も、隣でシュプレヒコールを挙げている人も後始末をしてくれません。その気さえないないのが社会運動というものです。

そもそも論として反原発運動、反原発から派生した反差別運動、次にフェミニズム運動の指導層へと活動の重心を移動させた政治的集団と人が多いとは思いませんか。それぞれの活動の栄枯盛衰のあと、指導層が参加した人の心の後始末をしてきたでしょうか。

微力ながら私たちが後始末をしています。そして、多くの人が破滅の手前でセルフケアできるようにこうして記事を書き続けているのです。

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