環境保護と反原発の真相から社会運動を批判する
著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ
証言:山本某
社会運動はヒステリーを演出してはじめて成立する。反原発運動も脱炭素化運動も同じだ。反原発運動では再エネ業界から資金が流れ、御用学者wikiで工作する者までいた。ポスト探しでキャリアシートを持ち歩いていた環境保護団体職員。大衆に不安を煽りながら政治とビジネスが動いていた。
(当記事は前半を除き有料です)
彼はなぜ話しはじめたのか
前回『欲望と希望を堂々と語れる環境の時代へ』と題して、環境NGOグリーンピースのアメリカでの活動を皮切りに国内で数々の運動を経験した山本氏(仮称)から話を聞いた。
インタビューは地球温暖化を問う環境運動の問題点を洗い出す目的で行われたが、環境保護団体や運動を展開している集団の悪しき体質に話題が及んだ。記事の趣旨に合わせて割愛せざるを得なかったインタビューや事前事後の会話から、団体の体質の問題や、これを利用しようとするスポンサーや報道にも今回は焦点を当てようと思う。
山本氏が筆者のインタビューに応じた理由は危機感にあった。環境保護運動の危うさが気候変動問題ではただならない悪影響を与えかねず、反原発運の愚を繰り返してはならないと言う。
「これは環境保護だけでなく世の中を動かそうとする活動や集団に共通する問題です」
と指摘しながら、彼は次のように断言した。
「(れいわ新選組の)山本太郎には社会運動の裏側がわかりやすく集約されている」
当記事を最後まで読んでいただけたなら、この言葉の真意を理解してもらえるはずだ。
なお証言者を守るため前回に引き続き実名ではなく仮称を使用し、興味深い証言であっても身元が特定される可能性のある部分は発言の要旨を整理のうえ地の文に配した。(インタビュー開始時に提案があり仮称として山本を採用しましたが、今回の記事では山本太郎が話題になっているため煩雑に感じられるかもしれません。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます)
環境保護運動から考える社会運動の構造
社会運動の例として山本氏が深く関わっていた環境保護運動を取り上げるが、そもそも環境保護運動とは何だろうか。
「たとえばグリーンピースは森林資源の乱伐や密輸、日本だったら豊島のシュレッダーダストの投棄問題を告発したり改善させるなど活動しています。こういう活動そのものは悪くない。そのうえで大きな間違いをしていて、その罪は構造的なものです」
いま日本で展開されている温暖化問題から生じた脱炭素に関する環境保護運動は、1998年の環境ホルモン騒動や99年のダイオキシン騒動の「演出されたヒステリー」を出発点にしている。
環境ホルモン騒動では3ヶ月で800件を上回る報道があったが、エビデンスに欠けていたり量の概念に乏しかったほか、誇張や嘘、安全より安心といった姿勢のものがほとんどだった。立花隆でさせ若者がキレるのは環境ホルモンのせいであると発言した。
これは環境活動家が不安の種に着火し続け、マスメディアが針小棒大に報道することで発生したパニックだった。このとき味わった旨味が忘れられず、同じ手法が10年後の原発事故でも使われた。反原発運動は「ヒステリーを演出」していたのである。
「嘘だとわかっていても放射能で鼻血が出るとか、出るのを見たと言っていました。朝日の記事*に登場した子供が大量の鼻血を流したというお母さんは左派の女優さんなのを隠していたし、記者は鼻血の証拠をひとつもあげていない」
*『プロメテウスの罠』
いまなら『プロメテウスの罠』で紹介された逸話の不自然さは知れ渡っているが2011年当時は違った。環境活動家はこうした裏事情を理解したうえで、新聞報道もあるから真実であるとして不安を煽った。
マスメディアが都合よく証言をする人を囲い込んで使い回すほか、活動家が一般人を装ってコメントをするのも日常茶飯事だったと山本氏は言う。彼も活動家として記者の問いに答えただけでなく一般人として放射能の恐怖をテレビカメラの前で喋ったことがある。
主張が世の中に広がるか否か。劇的な効果を得られるか否か。鍵を握っているのはマスメディアだ。環境保護団体や活動家がネタをつくり、これをマスメディアが報道し、活動家は報道を利用してさらに活動する。まさにマイクをスピーカーに近づけて轟音が鳴り響くハウリング現象そのものだ。
「(記者とは)お互い何が言いたいか聞きたいか察していて答えているし、察しが悪い人はおもしろいくらい記者が寄り付かなくなります。大きな団体が主催する集会は団体が告知していますが、小さな団体のあれっという活動も記者とつながっているから取材がきます。そういうのを見込まれて、こんなことやるから取材を呼んでくれと頼まれました」
このようにマスメディアは環境運動で重要な役割を演じているが金銭面で運動を支えているわけではない。スポンサーがあってはじめて団体や集団の活動が可能になる。
金銭の流れはどうなっているのだろうか。
たとえばグリーンピースは以下のように会計報告を公開している。
家計の管理ならいざしらず、この程度の内容ではほとんど何もわからないと言ってよいだろう。
グリーンピースは政府や企業からの支援を一切受けず、個人からの寄付金のみで活動していると説明している。ところがグリーンピースを脱退した創設メンバーのパトリック・ムーアによって、ロックフェラー財団などがそれぞれの思惑から資金援助をしていると暴露している。またジャーナリストのマグヌス・グドムンドソンのように「グリーンピースは環境保護団体のような顔をしているが、実は政治的権力と金を追求する多国籍企業」と批判する者がいる。
ここに最大の問題があると山本氏は指摘する。
「ロックフェラー財団は原発推進派です。でも原発推進は風当たりが強いし環境派から敵とみられます。だからグリーンピースに献金して環境派を装うのですが、グリーンピースに自分たちを殴らないでくれという意図があるのは当然です。ヤクザにみかじめ料を払うようなもの」
背景を何も知らされていない末端活動家は、わけもわからないまま暴れまくるヤクザの舎弟のようなものであり、組と親分衆にうまく利用されているだけではないか、というのが山本氏の言い分である。これが顕著だったのはシーシェパードだった。
「シーシェパードもみかじめ料が収入ですね。グリーンピースから分裂してできたからというより環境保護ビジネスがそういうものなんですよ」
シーシェパードは過激な活動で注目を集め、その過激さゆえに報道される機会が増えた。シーシェパード側も活動の様子をさらに広く伝えるため積極的にマスメディアを利用し、テレビ映りを気にするかのように運動を激化させていった。すると寄付金がますます増えた。こうして活動が過激化の一途を辿った結果、集団や企業を相手にするのではなく国家を強請るまでになった。エコテロリスト化だった。
だが国家が本気で対策を取れば勝ち目がないだけでなく、テロリストに寄付する行為は自らの身を危うくするため支援者が去って行きシーシェパードは弱体化したのだった。
いっぽうグリーンピースはシーシェパードと同一視されるのを嫌い南氷洋での捕鯨反対活動を停止した。同一視されて寄付金が減るのだけはどうしても避けたかったからだ。
環境保護団体、報道、スポンサー、一般市民。いずれが欠けても環境保護運動は成り立たない。これらのうち一般市民の危機感や不安利用して、残りの3者が演出されたヒステリーの上で繰り広げるビジネスが環境保護運動であるとも言える。
環境への危機感が演出され、マスメディアが報道することで人々が活動を知り、みかじめ料や寄付金が集まる。みかじめ料を取るのにも寄付金を集めるのにも活動の内容と程度が重要になる。スポンサーは環境問題に取り組む企業という勲章をイメージアップに利用する。こうした持ちつ持たれつがうまく行っているなら、環境団体は抗議の対象と内容を変えないのだ。変えられないとも言える。
これが環境保護運動に限らない社会運動が陥りがちなジレンマだ。
職探しと集金と工作のための反原発
では運動の内側を見てみよう。
環境問題や社会問題に純粋な気持ちで取り組む人がいるいっぽうで、そういう人さえ巻き込む欲望のるつぼが環境保護団体や保護運動にある。わかりやすい例が反原発運動だと山本氏は言う。
「反原発の内側は商売と政治と職探しで動いていました。御用学者とかエア御用学者と言ったりwikiをつくるとかネットでありましたが、再エネ関係者を名乗っていた人たちがやっていて、それはもう仕事だったのです」
反原発運動では環境保護団体だけでなく政党、新左翼、労組、企業が入り混じって、それぞれの思惑を叶えようとしていた。さらに学者や一般人の中にポスト探しや職探しのため運動を利用した者がいた。政党や政治家のスタッフに採用されたいとキャリアシートを持ち歩いている環境保護団体の職員もいた。
山本氏が例に挙げた御用学者wikiは人々の怒りを煽る目的でつくられたが、ここに学者の派閥意識や怨念が反映されただけでなく、再エネ関係者が原子力発電とその関係者をいかに貶めるか腐心していたのだった。再エネのメリットを正々堂々と訴えればよいはずだが、匿名で学者たちを吊し上げていたのは道理を説明するより大衆の感情に作用させたほうが効果があったからだ。
環境保護団体を名乗って財団等から支援金を得た男もいた。団体ですらない実績ひとつない男が支援金を得られたのは、NPO法人や企業家の協力があったからだと言われている。彼は被災地に入って自治体を騙しただけでなく地域住民やボランティアに詐欺を働いて姿をくらました。とうぜん活動資金名目の支援金数百万円は持ち逃げされたままである。こんな男にどうしてNPOや企業家が協力したのだろうか。袖の下を受け取ったとも強請られるようななことを反原発運動でやっていたとも噂された。
ここまでひどい話が次から次へ発生したのは反原発運動くらいのものだが、他の環境保護運動も清廉潔白とは言い難いものだという。ちなみに恋愛や性愛を求めて運動に参加してトラブルを起こした人々の話は割愛したが、これも社会運動ではありがちなものらしい。
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