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運動は手段が目的になったとき最大化する

著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ

反原発、しばき隊からツイフェミへ続く反省なき社会運動について。さらに集団で騒動を起こす人たちについて。たとえばワクチン忌避を煽る運動も。これらは頸を切られた鶏がひたすら走り回るような暴走ぶりをみせる。

何も言えなくなったあの頃

いまから7、8年前になるだろうか。あきらかに空気が変わった。

その頃まで在日韓国・朝鮮人問題を騒ぎ立てる側に「言いたいことはわかった。たしかに目に余ることがあるのは知っている。そんな経験もした。だけどやりすぎだし、主語が大きすぎだし、極端すぎる話をしていないか」と思っていた。街頭やネットで活動する人々に眉をひそめている人々もいた。

「やりかたと言いかたがあるだろう」ということだ。

これは主に在特会(在日特権を許さない市民の会)の活動に対するものであったが、彼らが生まれた土壌は活動によって活性化し賛同者がとめどなく増殖していた。永住許可を得ている者だけでなく他の在住者への影響も出ていた。

だから、これら在日問題を煽り立てる運動にカウンター勢力が活発化してきたことを当然の成り行きだと思った。このような抵抗勢力が生まれるのは初めてだったかもしれない。そして反響も大きかった。

ところが流れは瞬時に一変して朝日新聞の言葉を借りるなら「どっちもどっち」、ニューズウィークふうに言うなら「法をないがしろにして暴力を振るうなら新たな憎悪の連鎖を生むだけ」というげっそりと辟易した気持ちになった。これは筆者だけの感慨ではなく、冒頭に書いたように社会の空気が変わった。

こうした気持ちをSNSに書いたり、実態を写真や言葉で伝えるだけで「黙れ」「レイシスト」「身元を暴いてやる」と脅された。身元を暴かれたり、職場などに嫌がらせをされたり、政治家の街宣車で押しかけられたりと、彼らに恭順の姿勢を示さないとダメなのかというありさまになった。

異論どころかわずかな考え方の違いや提案さえ封じられたのだった。やりすぎを諌めただけの人たちや、議論を深めようとした人たちがレイシストではないのに攻撃の対象にされた。

壮絶で凄惨だった。運動の理念がどこかに行ってしまったかのように、威嚇や暴力など実力行使が目的化していた。当時は組織名からして「しばき隊」だったが、中指を立てて刺青をほこらしげに晒して余人をしばくことが目的になっていたのだ。刺青がないものは、刺青をした者や権力をほしいままにした学者や著名人の威を借りる狐となって暴れた。名称をC.R.A.Cに変えても変わらず暴走を続けたのはご存知の通りだ。

現在のツイフェミがとても似ている。

さすがに刺青をつかって威嚇する人が街宣車で押しかけてくるような話は聞かないが「物言えば唇寒し秋の風」といったところだろう。現に筆者は記事とデータの公開をやめろと強要された。そういうことまでが社会運動とされている。


運動は参加者を制御できなくなる

ここで、
・対レイシスト行動集団
・しばき隊
・野間易通
・在日特権
に対する興味と関心度と
・フェミニズム
への興味と関心度
を重ね合わせたグラフを見てもらうことにする。
いずれもGoogle trendを利用した。

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この記事は上掲の図がすべてと言ってよい。

野間易通氏らの民族差別への抵抗は2010年頃からあったと理解している。これがしばき隊として組織化されたのが2013年だった。このとき冒頭に書いた在特会へのカウンター勢力が出てきてとうぜという思いがあった。しかし、この気持ちが長続きしなかったのは前述の通りだ。

幻滅と絶望への決定打は、同年6月の刺青を晒した動画や乱闘事件だったろう。この頃から「しばくことに生きがいを見出す者」が多くなったのではないかと疑念が湧く。

反差別へ移行して行く人々を間近に見ていた人物は「反原発より強い力で人が集まってくる気がした」と言っている。立てた中指、刺青、乱闘で相手を黙らせるしばきへの憧れをもった人が、反差別運動に共感して一気に集結したということだろう。

当時について関係者は2013年3月のカウンター行動がもっともすばらしかったと言い、こうなると活動初期に理想に達したあとは堕ちるだけだったのかもしれない。

野間易通氏の「差別に反対し、日本社会の公正さを守る」「単なる罵倒や罵声はヘイトスピーチではない」といった理念は世間から羊頭狗肉と見られるようになって行く。2013年の半ば以降にメディアから「どっちもどっち論」や「暴力が新たな憎悪の連鎖を生むだけ論」が登場したの実に象徴的である。

2013年の半ばに、高橋直輝(添田充啓)氏による「男組」の結成と「猛烈にしばきを開始」した結果の暴行事件があった。男組をしばき隊や後継のC.R.A.Cと同じものとするのは正しくないが、公安はしばき隊とともに活動する団体と認定している。

男組に対して「暴力団のようだ」「あんなことをしていてはどこにも正当性がない」という声がカウンター側にもあり、前述の証言者は「反差別と言いながら町のチンピラ以上の暴力や脅迫をしているのだからどうしようもない。誰も手をつけられなくなっていた」と言っている。そして男組を嫌って反差別運動から離れた人もいた。

男組登場から2014年初頭までがしばき隊および反差別運動のピークだった。以後、荒ぶって話題になるものの話題性と影響力は減り2015年には清義明氏によって『「しばき隊」とはなんだったのか』というコラムが書かれている。この1ヶ月前にはすみとしこ氏が描くイラストに端を発した個人情報無断リスト化の事件があり、同月にはリンチ事件として知られる北新地ベース事件が発生している。

運動が劣化し続けるなか暴力的な手段を競う状態になった結果が、この個人情報無断リスト化事件(F-Secure事件)だろう。「携帯からなら一発で特定。PCからProxyかましてても追い込みかけるよ。セキュリティ業界の総力あげるからな」と業務で知り得た情報を公開した。

しばき隊やC.R.A.Cの関係者は毛沢東の文化大革命と比較されたらたまったものではないと言うだろうが、文化大革命での紅衛兵の暴走を思い出さずにはいられない。毛沢東にさえ制御不能になった都市の紅衛兵を農村に送り出して捨てたのが悪名高き下放政策である。

反差別運動とフェミニズム運動は近しい関係だったこともあり、反差別運動の混乱と崩壊によって人員がフェミニズムを掲げるTwitter上の運動に移動して行った。影響力を失った反差別運動と入れ替わりに「しばき」体質を引き継いだツイフェミの活動がはじまったのだ。

「伊藤詩織さんを馬鹿にする一コマ漫画をフェミたちが批判しているのを見て、Facebook事件の意趣返しをはじめたなと思った」と証言者は言っている。だが、この運動は静かに続いたものの派手に着火しなかった。

反差別運動は開始早々に手段が目的化する飽和点に達し運動の規模が最大化した。いっぽうツイフェミは2019年後半から急激な規模の拡大がはじまり2020年2月のラブライブ炎上から2021年の戸定梨香炎上で頭打ちになった感がある。

ツイフェミは2017年にはじめた現実の女性(伊藤詩織氏)のMeTooに関わる運動から、2015年の碧志摩メグ、のうりんタイアップ批判に舞い戻って萌えキャラだけでなく描く人や使用する人を攻撃することで参加者を増やし、手段の目的化を加速させて行った。

フェミニズムには女性の権利を守る、獲得するという理念と目標があったはずだ。手段のひとつとして女性蔑視につながる表現物を批判していたのではなかったか。しかしいずれも形骸化して、萌えキャラ、萌え絵などの制作者や使用者をひたすらしばくことが目的になった。

ツイフェミもまた手段の目的化で規模と影響力が最大になったのだ。理念より手段がもたらす結果に魅力を感じる人が多く、その手段だけを得たい人もまた多い。目的を失って手段だけが暴走するのだから、とうぜん過激化の一途をたどることになる。

いまやツイフェミのほぼすべてが、手段が目的と化した人々と言っても過言ではない。


手段を目的にしたい人たちのための社会運動

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以前からツイフェミは反差別からの人員が移動して現在のかたちになったと指摘してきた。


反原発運動から反差別運動へ人員が移動した。反差別運動からツイフェミに人員が移動した。もちろん反原発や反差別運動から去った人もいたし、ツイフェミに合流しなかった人もいる。だが人員の移動は考え方や行動を確実に伝播している。

反原発運動と反差別運動の問答無用がポリティカル・コレクトネス化した結果「しばき」という手段を生み、これを継承したツイフェミは

1.宗教的な規範や戒律
日本キリスト教婦人矯風会の北原みのり氏に代表されるモラル。

2.政治的立ち位置
左派・社会主義の太田啓子氏に代表される立ち位置。

3.これらによる正義意識
1と2が同居した奇妙な正義意識で、本来はポリティカル・コレクトネスとは言えないものだが参加者らにとっては政治的な正しさと信じられているもの。

フェミニズム6年間のたたかいはいったい何だったのか、より。

といった“宗教的な規範や戒律を左派の言葉で理論武装した正義意識”で武装している。

反差別運動が崩壊していく最中さなかと崩壊後に大挙してツイフェミに移動したの者たちは最前線で拳を振り上げていた活動家ではなかった。周辺にたむろしておこぼれの正義を振りかざしていた層がツイフェミに移行した印象があるだけでなく、アカウントの経歴からそう判断せざるを得ない人が目立つ。

フェミニズム6年間のたたかいはいったい何だったのか、より。(ツイフェミが侮蔑語であるという指摘があるためツイッター・フェミと言い換えている)

上掲の図はツイフェミ前史から現在に至るまでの変化と、変化の折々で参加した人の特性を表している。

日本キリスト教婦人矯風会と反差別運動が出会い独自の正義意識が成立すると、この正義を利用しようとする人々が参加。石川優実氏や相対する青織亜論氏が目立つようになり騒然とした空気が漂うと、愉快犯や釣りアカウントが加わった。愉快犯や釣りアカウントもまた手段を目的化している勢力である。ツイフェミの活動が劇場化の一途をたどると、正義の利用派と炎上そのものを利用したい人々がさらに増加した。

いま古くからのツイフェミ層が残っていたとしても、手段を目的化した運動に異議申し立てがないようなので現状に納得しているのだろう。

手段が目的化しているなら、当初の目的が死んでもひたすら運動らしきものが続く。むしろ運動がはかどっているように見える。ますます魅力的に感じる人が現れて参加者が増える。反原発運動も反差別もこうして崩壊していった。

もう一度、文化大革命と紅衛兵について考えようと思う。毛沢東は都市の紅衛兵を農村に送り込む下放政策をとり、毛が死に四人組が失脚して文化大革命は終わった。だが、もし紅衛兵たちの暴走が、頸を切られた鶏がひたすら走り回るように続いていたらどうなっていたか。

ツイフェミの抗議スタイルを今さら誰も変えられず、変えようとすればオピニオンリーダーであっても攻撃の対象にされ、その発言は無視される。暴走を終了させられるリーダーはいない。頸を切られた鶏がひたすら走り回るような暴走が続いたらどうなるかと言えば、いま既に始まっていて終わり方だけがわからないという状態にある。






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