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仕事に就く、部屋を出る、家を出るくらいなら、餓死した方がマシだと思うようになるまで その①最初の引きこもり〜外に出るまで

仕事のことを考えると、仕事に就かなくちゃ、家から出なきゃ、働かなきゃ…

社会に出なきゃ、実家から出なきゃ、そもそも実家を維持するのに働いてお金稼がなきゃ、

仕事のこと、働くこと、お金を稼ぐこと、社会に出ることを考えると強烈な拒否反応が出て、嫌になってしまう。

無理無理、そんなことするくらいだったら、ぬくぬくした部屋にいて布団の中で悶々と考えて閉じこもって、それで餓死でもした方がマシ。

という気持ちになる。

そのくらい、仕事、働くこと、お金を稼ぐこと、社会に出ることに対して苦手意識と拒否反応がある。

働いてお金を稼いで、そのお金で生きていくというシステムや、社会の中で働いてお金をもらう…というサイクルが、自分にはハードルが高過ぎて、とても越えられない、そしてそれを維持することがとてもハードルが高くて、しんど過ぎて、維持できる気がしない。

でも、両親は亡くなり、蓄えにも限りがあり、家も老朽化しているし、老犬もいる、いつまでも蓄えと自宅でこんな暮らしはできないというのは確かだ。

どんなに切り詰めようが、節約しようが、出ていくものは出ていくし、お金がないとどうにもできない。

引きこもるきっかけ、鬱になるきっかけはいつも一緒、仕事や会社員としてつまづいた時だ。

何もしていない、無職状態になると、そんな状況に、そんな自分がダメな人間だと思い詰め、また働かなきゃ、仕事しなきゃと焦るけど、気持ちと体がついていかず、行動も起こせず、自己嫌悪が強くなり鬱になり引きこもる。

これを繰り返してきた。

こういった引きこもりや鬱でどん底の状態を、大まかに数えると44歳の今まで、3回ほど経験してきて、今ちょうどその3回目にあたる。

1回目は、新卒で入った会社を辞めた後、復職しようと焦っていたときに鬱になった。そして療養、引きこもり。

この時は、まずは短時間のバイトから…と思い、ビルの清掃のバイトをしたりしていた。復職しなきゃと思いつつ気持ちと体がついていかないそんな状況で思い詰めていたとき、地元の有機野菜を使った知り合いのレストランから声をかけられ、バイトをすることになった。

そこから、運送関係のバイトをしたり、しばらく将来のことは棚上げして、社交不安は残った、未解決のまま残り、心療内科に通院服薬と、カウンセリングを受けながら、過ごすことになった。

そんな中、楽しいことだけ考えて暮らそうと思い、バイトしながら稼いだ金は、全て自分の好きなものことに使い、クレジットの支払いに終われることもありつつ、実家暮らししながらフリーターをしていた。

通院服薬カウンセリングは続けていたが、楽しいことだけ考えることにしていて、自分の内面や、社交不安には真正面から向きあえず、向き合わず、逃げていたり避けていたり、見ないようにしていたと思う。

ただ、この時は楽しいこともあり、自分のことをひどく責めたり苦しむこともなく、海外へ旅行に行ったり、興味のあった格闘技の練習をしたりもした。

そのことは人生の中でも、新鮮だったり楽しんだことと言えるかもしれない。

しかし、転機が訪れる。というか、自分で、このままでいいのだろうかと思い始めたのだ。

その時は、主たるバイト先は、運送屋の物流倉庫だった。重い荷物を運んだり、力仕事だったのだけれど、煩わしい人間関係も少なく、体を使った仕事は精神衛生上、健康的にも良かった気がする。

が、派遣社員という立場で働いていると、いろいろ理不尽に思うことや、立場の弱さを感じることも多く、また、その時は二十代で周りにもフリーターのような人間もたくさんいたけれど、30歳を目前にして、ずっとこのままでいいのか?、なにかずっと続けられる仕事をした方がいいのではないのだろうか?、立場の弱い派遣社員ではなく、正社員という立場で働いた方がいい、そうした方がいいのではないのだろうか?

そんな考えが芽生えてきた。

そして、仕事に就くこと、正社員として働くことを考え始めた。

だが、何をしていいかわからなかった。

もう、普通の正社員、正職員は、できないと思っていた。最初の会社で社交不安の症状が出る、社交不安を自覚してから、人と接する、人と関わる仕事、人前で何かする仕事は無理だと思った。

そうなると、一般的な仕事は難しいと思った。

自分でもできる…そうだ、自分は昔からおばあちゃんおじいちゃん子で、周りにはおばあちゃんおじいちゃんがいた。

人といっても、お年寄りや老人は、なんだか安心するし、ほっと落ち着くところがある。

だから、お年寄りと接する仕事をするのはどうだろうか?

そう思った。

そして、介護の資格を取ることにした。

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