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辛かった新卒会社員時代

新卒会社員時代はとにかく辛かった、嫌だった。

会社に行きたくなかった。

何が嫌だったのか…。

特にひどいパワハラがあったわけではないし、特別にひどいブラック企業だったわけではない(でも、残業代は出ないし、全くブラックではないかというと今の基準だと怪しい。そもそも、当時はブラック企業という言葉や概念はなかった。)

まずは本当に仕事ができなかった。

特に営業という仕事ができなかった、苦手だった。採用と職務内容はディレクター職ということで、顧客とデザイナーの間に入り、スケジュールの調整や進行、売り上げの請求などの事務仕事をするという仕事内容。

そして、新人は顧客がいないので、部署の先輩からいくつか顧客や仕事を回してもらいながら、新規の顧客を開拓するというのがまず初めの仕事だった。

しかしながら、社内の中でも、本当にあ、無理だ、合わない、一緒にやっていけない…ついていけない…という体育会系でイケイケの人たちの中での業務に加えて、その顧客もこちらの社風にマッチした、エステ業界やブライダル業界飲食やベンチャー、若い起業家などのイケイケ系の会社で、社員も男女イケイケだったり華やかだったり、今でいう陽キャ、一軍みたいな人たちばっかだった。

心の中で苦手だなーと思ってもそれを表に出しちゃいけない、うまくやらないといけないと思っていた。それがしんどくて。私の場合、苦手意識を持つと、その影響をモロに受けてしまう。動揺してしまう。

でも、幼い頃から、常に自分の居場所に苦手な人、叔母やら幼馴染の親だのがいて、そこに気を遣ったり、顔色を伺っていたり、嫌いで苦手なのに離れられない、セットで居場所や家族や友人についていたので共存しないといけなかった、少なくともそうしなくてはと幼い頃の自分は思っていた。

それはその後も色濃く続き、それが社会人になって、仕事として苦手意識を持つ人と接することになり、一気に生活、仕事に影響が出てしまった。

苦手意識や緊張を隠そうとすれば隠そうとするほど、私の挙動はおかしくなり、それを客観的に自分で見て修正したり制御しようとして、さらにおかしくなる…

そうなると、対面していても、仕事の内容や仕事の話なんか上の空で、自分の挙動がおかしくないか、苦手意識や緊張が表に出てないか、そればかり気にしていた。

これは、今に至るまで続いている、特に異性として意識したりすると、嫌われたくない気持ちが強いのか、余計に挙動を気にしたり、相手にどう見られるか気になって仕方なくなり、緊張してどっと疲れるということがつづいている。

そんなこんなで仕事どころではなく、当然ろくに簡単な用達やお使い、ご用聞きもできないか精一杯の状態で、毎日ぐったり疲れていた。

そして、いつしか、対人恐怖、のちに精神科で社会不安障害と診断される状態に陥っていき、そのことで、自分はまともに人と接せられない、人と接するのが苦手だと思い、社会人としてやっていけない、何の仕事もできない、社会でやっていけない…という思考回路に至り、それは今でも残っている、このときからの社会に出ての挫折経験として引きずることになる。

対人恐怖、社会不安障害は苦しく、社内にいても、目の前に上司がいたりすると、なにか見られている気がして緊張したり、意識しておかしくなってしまったり、上司の前で電話をとったりすると、電話対応が変でないか、聞かれている気がして緊張した。

上記のような社会不安障害火や対人恐怖のような様子を、上司などに咎められたり、きつく叱責されたりなどはなかったけれど、時に揶揄われたり笑われたりした。

それは、それまで、学校などでは割と成績も優秀であったりして、人に見下されたり笑われたり、揶揄されることに慣れていない、そうされることが受け入れられない、そんな自分が受け入れられなかった、受け入れられない自分にとっては辛い体験だった。

そのような感じで、人と接するというディレクター職、営業職として最低限のことに苦手意識と苦痛を感じていた中、さらに自信をなくす出来事があった。

あるとき、自分の所属していた部署の、大先輩デザイナーさんから、お使いを頼まれた。

デザインカッターだかなにか、小物を東急ハンズまで行って買ってくるという、本当になんてことのない小間使い…のはずだった。

しかし、東急ハンズの売り場に行き、たくさんの商品が照明の明るい店内に、細々と、大量に並べられている売り場につくと、頭がクラクラするような気がして、大量の商品の情報量に圧倒され、眩暈がした。

後で知ったのだけれど、んHSPの特徴として、大量の情報や、照明の明るさなど刺激に対する耐性が弱いらしい。

でも、その時はそんなことは知る由もなく、また、些細なことでも上司に頼まれた仕事であったので、気分が悪くなりながら必死で目的の商品を探した。

このこと、簡単な、それこそ子どもの遣い程度のこともサッサと済ませられない、サクッとできなかったことは本当にショックだった。

先述した、対人恐怖の症状や状態、簡単な遣いすらできないという社会に出ての現実に、自分は打ちのめされ、根拠のない自信や理想は打ち砕かれ、自分はこの会社で、それどころか社会でやっていけない、ダメな人間だ…という思いを、社会人になってすぐにに抱くようになっていた。

そんな思いを抱きながら、我慢して通っていた社会人生活は地獄だった。

会社に行くときに利用していた埼京線のホームで、電車を待っている間、何度も胃がムカムカして空ゲロを吐いた。

電車が来るたび、会社へと向かう逆方向に乗って行ってしまいたかった。

それでも、すぐに辞めなかった、辞められなかったのは、新卒は3年は我慢して続けろ…という、今となっては時代錯誤も甚だしい、古い、けれども当時はまだ根強く残っていた常識に縛られていたからだと思う。

そんなに続けられない…と思いながらも、辞める勇気がなかった。

レールから外れる勇気がなかった。

会社の中で落ち着くのは、誰もいない、1人きりになれる、誰の目も気にしないでいいトイレの中だけだった。

仕事中、便意もないのに、仕事が取れない、やることがないのにデスクに座っていることにいたたまれず、トイレに日に何度も籠った。

仕事もろくにできず、成績も上げられず、じぶんの仕事を作ることもできず、言われたことも満足にこなせない自分にとって、入社した会社での、社会人一年目の生活は、地獄のようだった。

そんな我慢も長く続かず、2年目が近いたころ、とうとう私は会社を辞めることを決めた。

つづく

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