敏感さと鈍感さをあわせ持つ
こんにちは!
「他人の感情に"鈍感"なのか、"敏感"なのか。」
コミュニケーションにおいて、他人の感情に敏感であることこそが正解であると世間では認識されています。
たしかに考えれば簡単で、相手が今何を考え、どう思っているのか、それを敏感に感じ取ることができれば、円滑で良好なコミュニケーションをとることが可能だからです。一般的に、このような人たちを"コミュニケーション力"があると呼びます。
しかし、果たして敏感であることだけが正解でしょうか?2つの点でそうとも言えないと考えます。
敏感であればあるほど自分を傷つける
1つ目は、敏感であればあるほど"自分への負担が大きくなる"ということです。
いわゆるHSPに代表される「繊細さん」と呼ばれる人たちは、とても"つらい思い"とその優れた個性をあわせ持っています。他人の感情を敏感に感じ取るからこそ、自分を制約し、ときに生きづらいと感じさせるのです。
他人への理解には限界がある
2つ目は、そもそも他人の感情などすべて理解し得ないということです。
いくら感情に敏感であっても、その認識が間違っていることもあれば、それによって相手との距離がひらく場合もあると思います。私たちは他人に対して少なからず偏見があります。しかし、それは人の持つ想像力によって、目の前の他者の苦しみへの共感を生み出し、様々な場面で「彼ら」を「われわれ」に変える役割を果たすのです。
”鈍感さ”は決して悪ではない
では反対に他人に対して鈍感であるとどういったことが起こりうるでしょうか。相手の感情を無視して自分の意見ばかりを押し通す「KY」だけが生まれてしまうのか。
そうとも言えません。自分の考え、自己主張をはっきりと相手に伝えることができます。他人の意見に流されず、自立した存在として認識されるかもしれません。
まとめ
このように考えると、敏感・鈍感どちらに傾きすぎるのもよくなく、どちらもよいバランスで保つことができると一番いいと考えます。
ときには敏感に相手の態度・感情から何かを感じ取り、ときには鈍感に反応しないことを心がける。この2つを自分の中に共存させることがこの今の世界を生き抜くには必要なのかもしれません。
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