女子大生のSさんの家に、昔、一体の人形があった。Sさんが小学生の頃だ。 人形はピンクのドレスを着た可愛らしい西洋人形だった。金髪の巻毛に、水色の目。口元には仄かな微笑を浮かべていた。 その人形は、玄関の靴箱の上に飾られていた。朝の登校時、夕方の帰宅時など、玄関を出入りする度に目に入る。 家に連れてきた友達などは、気味が悪いと怖がることもあったが、Sさんはその人形が嫌いではなかった。毎日その前を行き来するので、生活の一部、あるのが当然、という感覚だった。ある種、家族
Kさんの家では猫を飼っている。 数年前、彼女が高校生になったばかりの頃、両親が保護団体から譲り受けてきた。 それまで家族の誰も猫を飼った経験がなかったため、最初は戸惑いの連続だった。しかし今では、すっかり家族の一員として馴染んでいるという。 その猫が、妙な行動をとることがあるらしい。 「いや、妙というか。行動自体はよくあることなのかもしれないですけど」 ふいに、空中の一点を見つめだすのだという。 「急にリビングの天井を見上げて、じっと凝視するんですよ。何もな
Fさんは小学生の頃、近所の神社を通り抜けて通学していた。 ちゃんとした通学路は別にあったのだが、道路が大きく迂回し遠回りになってしまう。神社を通り抜けると、近道できて便利だったのだ。 その神社の石段で、必ず会うおばあさんがいた。毎朝Fさんが石段の上にたどり着くと、いつも既におばあさんはいて、竹箒で石段を掃いていた。 Fさんが石段を降りていくと、当然ながらすれ違う。近くを通るのに何もリアクションしないのも気まずく、小さな声で「おはようございます」と呟くと、いつも「おはよ
寺に通じる山道があった。 少年だった頃のおぼろげな記憶だ。 父方の実家があるのは、鄙びた田舎だった。 見渡す限り、低山が並ぶ土地。斜面が幾重にも重なり、その合間合間に家が点在する。そんな集落だった。 父の実家の裏にも山があった。 その裏山に、寺に通じる細道があったのだ。 人ひとり通るのがやっとの幅の、藪の中に続く道。踏み分けた跡で、ようやく道と分かるような、獣道に似た細道だった。 それは離れの裏から始まり、裏山の山肌をぐるりと回り、向こうにある寺
R君が小学生だった頃。 彼の通う小学校では、五年生時に林間学校が行なわれていた。 行き先は、空気が綺麗な山間地域。ハイキングやバーベキュー、キャンプファイヤーなどをして親睦を深め、夜は十人ごとに一部屋で雑魚寝する。一泊二日の楽しい行事だ。 R君も五年生のとき、林間学校に出掛けた。 いつもは学校でしか顔を合わせない友人たちと、ずっと一緒。山の空気は清々しく、苦労して起こした火で焼いた肉は美味しい。星空の下でのキャンプファイヤーも盛り上がり、おおいに楽しんだという。
女子大生のAさんは、外出時には必ず傘を持っていく。 「いつも鞄に入っているんです。ええ、必ず。降水確率0%でも」 重くはないかと問うと、もう習慣ですから、と朗らかに笑う。 何故そんな習慣ができたのかと聞くと、妙な答えが返った。 おはじきの雨が降るから。 それが原因だそうだ。 数年前、Aさんが高校生のころ、その現象は始まった。 ある夏の夕方、予備校の玄関をでたところで、急な夕立に出くわした。丁度そのとき傘を持っていたAさん。慌てて傘を開き、天に向けた。
Aさんが、そのアプリを知ったのは、仲の良い友人からだった。 Aさんの高校の同級生であるBさんは、ファッションや美容に詳しい。常にアンテナを張り巡らせ、多方面から最新の情報を仕入れている。 そんな彼女が、ここしばらく興味をもっているのが、ネット上に多くあるリラックスアプリらしい。 心身の健康を促進するためのリラックスアプリ。フィットネス、マインドフルネス、癒やされる動物画像、睡眠導入音。身体と精神を癒やすためのアプリは多岐にわたる。 Bさんは、そんなアプリを日々試
ただ立っているだけ、とUさんは言う。 最近、Uさんは頻繁に同じ夢を見るという。 「立ってる夢なんだよね」 どこか知らない場所で立っている。ただそれだけの、特に何も起こらない夢だという。 夢のなかでUさんは立っている。 そこは薄暗い小部屋だ。妙にリアル感のある夢で、壁についた染みの形まで、はっきりと見て取ることができる。 部屋には仄暗い光が満ちている。天井付近に格子の嵌まった小さな窓がひとつだけあり、そこから細く太陽光が入っている。光源はそれだけで、部屋は日没
Yさんは、都内でラーメン屋を営んでいる中年の男性だ。 彼の店舗兼住居は、大きなターミナル駅に近い繁華街にある。 駅の西口を出て、賑やかな表通りを真っ直ぐ進み、脇道に入って、何度か曲がったところ。そこに彼の店はある。彼の父の代からそこで営業している、周辺では古株の店だという。 そんなYさんには、不思議に思っていることがある。 Yさんは生まれも育ちも今の家。ずっと同じ場所で暮らしてきた。 自然、長年にわたり、街の移り変わりを眺めることになる。 巨大ターミナル駅の
不思議なことは起こっていない。 幽霊、妖怪、その他オカルト。いわゆる「超常現象」と呼ばれることは何ひとつ起こっていない。 なのに不思議だと思ってしまう。あれは怪異ではなかったかと振り返る。 そんなことが、誰にでもひとつくらいはあるのではないだろうか。 Bさんの話。 彼は中学生のころ、ある地方都市の一軒家に、家族とともに暮らしていた。 周囲は、同じく一軒家やアパートなどが立ち並ぶ住宅街。昔ながらの雰囲気がほどよく残る閑静な住宅街だったという。 ある夏の深夜。
Bさんは、散歩を趣味としている会社員の男性だ。 しかし、最近は仕事が忙しく、なかなか散歩の時間がとれない。それで彼は、会社からの帰り、少し寄り道をして帰るようにした。 それはいいのだが、このBさん、なぜか墓地の中を歩くようになった。なんでも人がいない静かな場所を歩きたい、しかし物騒な目に遭いたくない、と色々考えた末に、霊園をぶらぶらするという考えに至ったのだという。 夜の霊園。最初は多少薄気味悪いとも思ったが、慣れると快適だった。 木々に囲まれた静かな空間。月の
Fさんは地方都市に住む30代の主婦。3歳の娘さんがいる。 その娘さんが、まだ2歳だった頃。食事中に、コップの水を飲みながら「あお」と言った。 「青?青色?」聞き返すと、「うん」と答える。だが、周囲に青色の物はない。「なにが青なの?」再び聞くと、「おみず」と答えた。ああ、絵本か何かで水が青色だと覚えたのかなと思い、Fさんは「そうだねえ、青だねえ」と笑いかけ、その場は終わった。 しかし、別の日。またコップで水を飲んでいる時に、娘さんが、今度は「ピンク」と言う。「ピンク
Kさんの叔母さんは、リサイクルショップを経営している。 取扱品は、古着やバッグ、アクセサリー等のアパレル関連品。 叔母さんの目利きがいいのか、若い女性客を中心にそこそこ繁盛しているという。 人気があるのは、やはりハイブランド品。また、アウトドア、スポーツ系のカジュアルブランドもよく捌けるそうだ。 そして、近年はフォーマル、パーティードレス、小物など、フォーマルな場でのアイテムも、じわじわ需要が高まっているという。 そんな商品のなかで、奇妙なバッグがひとつある
「ヤダリアスって知ってる?」 唐突に言ったのは、Bさんだった。 その時、Aさんたちは大学のカフェテリアで、仲の良い友人どうし、気の向くままに雑談をしていた。バイトのこと、恋愛のこと、最近ハマっているもののこと。思いつくままに語り、話題が幼い頃の思い出になったときだ。唐突にBさんが皆に尋ねた。 聞き慣れない単語にAさんは首を捻った。見回すと、他の友人たちも不思議そうな顔をしている。 「そっか。やっぱり知らないか」 「なんなの? その……ヤダ? って?」 少し残念そう
今夜もまた遅くなった。 深夜の道をトボトボと歩く。 「会社の近くに越したらいいんじゃないか? 朝は遅くまで寝られるし、夜は趣味の時間がとれる。男の独り身なんだから、気軽に越せばいいさ」 仕事だけが人生じゃないんだ、と引っ越しを後押ししてくれた同僚は、私が今のアパートに越すなり、更に多くの仕事を押し付けてくるようになった。 おかげで今日も深夜帰宅だ。 街灯が寂しく照らす道は、いやに長く感じられる。足取りが重いからだろう。街灯と街灯の間の距離すら遠く感じる。
友人のHさんは鍼灸師をしている。鍼や灸で人体のツボを刺激し、肉体や精神の不調を改善する仕事だ。 Hさんは腕が良いと評判の鍼灸師で、次から次へと患者が押し寄せてくる。常連の中には、生涯Hさんの施術しか受けない、と決めている人も多いらしい。 何故、そんなに人気なのか。 Hさんには人体の気の流れと、それが溜まる場所、つまりツボが、はっきりと見えるのだそうだ。 元々、鍼灸というものは、人体の気や血の流れを診て施術するものだ。ただそれは、まず先に問診や脈診などによって患者の状