水の中

 Fさんは地方都市に住む30代の主婦。3歳の娘さんがいる。
 
 その娘さんが、まだ2歳だった頃。食事中に、コップの水を飲みながら「あお」と言った。
 「青?青色?」聞き返すと、「うん」と答える。だが、周囲に青色の物はない。「なにが青なの?」再び聞くと、「おみず」と答えた。ああ、絵本か何かで水が青色だと覚えたのかなと思い、Fさんは「そうだねえ、青だねえ」と笑いかけ、その場は終わった。
 しかし、別の日。またコップで水を飲んでいる時に、娘さんが、今度は「ピンク」と言う。「ピンク、おみず」と笑っている。もちろん水は透明だ。Fさんは首を傾げた。
 さらに違う日には、「おみず、チカチカしてる」、他の日には「ニュルニュルする」などと言う。
 一体なんだろうとは思ったが、幼児の言うことだ。さほど気に留めずにいた。
 
 だが、ある時。いつものようにコップを手にした娘さんが、「おみず、あかい」と言った。口に含んで「ザラザラするー」と笑う。いつものことだとは思ったが、ザラザラというのが引っかかった。もし何か入っていたらよくない。念のためコップの水を確認したが、やはり普通の透明な水だ。なんだ、やっぱり想像だったのね、とコップを返した。
 しかし、数時間後。蛇口を捻ったFさんは驚いた。水が赤茶色に濁っている。
 慌てて確認したところ、どうも近所で行われた突発的な水道工事の影響らしい。流し続ければ水はすぐに透明に戻ったし、また娘さんが飲んだ水は健康に問題はないだろうとのことだったので、Fさんは安堵した。
 ただ、不思議だったのは娘さんのことだ。まるで濁り水を予言したかのような言葉。偶然だろうとは思ったが、妙に気に掛かった。
 また、ある時。娘さんが「トゲトゲがいっぱいある」と、コップを見ながら笑った。「えー? トゲトゲ?」と聞き返すと、うん、と笑いながらうなずく。水を飲み、「のど、トゲトゲがとおるー」と楽しそうに手足をバタつかせている。  
 Fさんの目には、相変わらず無色透明の、普通の水にしか見えない。しかし、娘さんはトゲトゲと、はしゃぎながら体をくねらせている。
 Fさんは、なんとなく嫌な気分になった。だが、何をすればいいのか、そもそも何かする必要があるのか分からない。「トゲトゲがおなかにいる」と、はしゃぎ続ける娘さんを、ただ見守った。
 数日後。テレビのニュースを見たFさんは驚いた。
 上流にある工場が、基準を超える化学物質を含む排水を流していたというのだ。
 幸い、漏洩した化学物質は人体に有害なレベルではなく、また、工場との距離はかなり離れていたため、Fさんの家庭には影響がないと思われた。不安になる理由はなかった。
 しかし、Fさんには娘さんの言葉が思い返されてならなかった。あの「トゲトゲ」という言葉。あれは水の中にある化学物質を指して言ったものではないだろうか。以前の濁り水の時もそうだ。あの時も水中のわずかな濁りを察知したのではないか。
 この頃、Fさんにはひとつの推論があった。
 つまり、娘には水道水の中に混入している、通常では見えない物質が見えているのではないだろうか――。
 
 現在、娘さんは3歳になっている。相変わらずコップの水を見ては、通常ではあり得ない色や感触について口にするそうだ。
 今では、Fさんは努めて気にしないようにしている。あまりに日常的で気にしていたら身が持たないし、もし娘さんの目に何か見えているとしても、人体に有害なレベルになればどこからか知らせが来るだろうと考えたからだ。 
「でも、ちょっと気になることがあるんです」 
 最近、娘さんが頻繁に口にする言葉があるという。
「魚がいるって言うんです」 
 それも一度や二度ではない。今では、ほぼ毎日のように口にする。
 その「魚」についての言いようが、なんとも薄気味が悪いのだそうだ。
 初め、娘さんは「海からたくさんお魚がきてるよ」と言って、コップを示した。海から来た魚がコップの中を泳いでいる。幼児らしい想像力豊かな発想だと、Fさんは微笑ましく思った。いつもの不安になるような言葉ではなかったことに、心のどこかで安心もした。
 だがその後、娘さんは夕食に出された焼き魚を見て、「お魚のなかに、さっきの小さいお魚がいっぱい」と笑った。「焼いたお魚の中に?」Fさんが聞くと、「焼いたお魚は死んでるけど、小さいお魚は元気!」と答える。Fさんは、なにやら薄寒い感覚を覚えた。
 それ以後、娘さんは色々な場所で「小さい魚」を見るようになった。近所の側溝を流れる排水、淀んだ水溜まり、雨水の溜まった鉢植え。家の中ではシンクや風呂場の排水口。リビングの観葉植物。あちこち凝視しては「小さいお魚が泳いでる」と笑う。また、スーパーに行くと、魚、肉、野菜などを指差し「小さいお魚がいる」と指摘するようになった。およそ水のある全ての場所、時には水と無関係に思える物にまで、小さい魚を見る娘さん。
 Fさんは次第に不安になった。
「そんなにお魚がいるの? どんなお魚?」
 ある日、尋ねてみると、
「海からくるんだよ!」
と、元気よく答えが返る。
「海のお魚?」
「うーん……、海にいるけど、ちがう」
「どうやって海から来るの?」
「雨といっしょにくるの。ほかにも、荷物についてきたり、いきものといっしょだったり……いろいろ!」
「雨の中に入ってるの?」
「うん! ほかの中にもいるよ!」
「他の中?」
「スーパーのお魚とかお肉とかおやさいとか、あとペロにも」
「ペロ?」
 Fさんは、ぎょっとした。ペロは近所で飼われている犬だ。娘さんとは散歩の途中でよく出会う。ペロの中にも小さい魚がいるというのか。
 しかし、娘さんは笑顔で更に言った。
「ママの中にもいるし、Mちゃんの中にもいるよ!」
 自分の名前も上げて、ニコニコと嬉しそうにする娘さん。Fさんは、ゾッとした。
「ママとMちゃんにも……?」
「うん! だんだんふえてるの」
「体の中で?」
「そうだよ。ちょっとずつ入ってきて、そこに住んで、出ていかないの。だから、ふえるの」 
 娘さんは少し悲しそうな顔を作った。
「あのね、お魚さんは、さみしいんだって。たくさんいるけど、気づいてもらえないから。だからね、みんなの体に入るの。そうするとね、いっしょになれるんだって。いっしょになると、うれしいんだって。だから、だんだんふえるの。いつか、もっとたくさん、もっといっしょになったら、みんなとあそべるんだよ。みんな、おかしくなるんだよ!」
 手を叩いて喜ぶ娘さん。Fさんは言葉を失い、ただ見つめることしか出来なかった。
 それからも娘さんは「小さい魚」を目撃し続けた。
 そして、ある日。Fさんがキッチンで洗い物をしていると、リビングから娘さんが大声で呼んだ。
「ママ、テレビに小さいお魚さんが、いっぱいでてる!」
 急いで駆けつけると、テレビには海が映っていた。
 海中にビニール袋や、使い捨てのストロー、ペットボトルなど、様々なゴミが沈んでいる。水に揺られ、漂うゴミ。
「ほら、お魚さん、泳いでる!」
 しかし、どこにも魚の姿はない。
 画面が切り替わった。今度は海洋上に黒い帯のようなものが広がっている。カメラが近付くと、それは黒光りする油だと分かった。座礁した船から流出した油が、粘りつくような黒い膜となり、波打っている。
「ここも、お魚さんいっぱい!」
 画面には、黒い油に覆われた水鳥や魚が、哀れな姿を晒している。魚はいるにはいるが、とても活動できる状況ではない。だが娘さんは「お魚さん、元気だね!」とはしゃいでいる。
 どうやら海洋汚染についての番組らしかった。その後、画面は家庭や工場から海へと排出される有害物質について解説に入った。生物に悪影響を与え、時には死を招く有害物質。ゴミや薬品が海に流れ出る場面が、何度も映し出された。しかし、どの汚染場面を観ても、娘さんは「お魚さん、いっぱい!元気!」と嬉しそうに笑うだけだった。
 
 Fさんは悟った。 
 娘さんが言っている「小さい魚」。それは、人が海に垂れ流した有害物質から生まれたものだ。
 人が海に流したゴミや油、薬品。それらの物質から「小さい魚」は生まれる。小さい魚は海水と混じり合い、蒸発して空に上がり、雨とともに陸地に帰る。雨と一体となり、陸地に降り注ぐ。また、海水を吸収した魚に入り、陸へ運ばれる。陸地では、雨や水を吸収した植物や動物にも入る。やがては、水や動植物を口にした人間の体内にも入る。その過程を繰り返し、段々とあらゆる場所に蓄積されていく。
 「小さい魚」は、有害物質が地球の全てを汚染していく様を表しているのだ――。

「でも」
とFさんは言う。
「有害物質そのものではないと思うんです」
 有害物質に限りなく近く、実際成分は同じかもしれないが、それでも物質そのものではないと思う、とFさんは主張する。
 それには理由がある。
 先日、Fさんは夕飯の支度中に、包丁で指を切ってしまった。傷口に赤い血が盛り上がる。慌てて蛇口から水を出し、指を入れた。血が水と混じり合い、シンクの中を流れていく。
 と、一筋、ほんの数センチの血が、流れる水の中から飛び出した。重力に抗い、空中に飛び上がった。が、一瞬で力尽き、また水の流れの中に落ちた。そして、水と共に排水口に消えていった。その一瞬の動き。それはまるで、水面を跳ねる魚の動きのようだったという。
「その時、血は私に向かって跳ねたんです。私の指先、傷口に向かって。ええ、確かにそうです。あれは意志のある動きでした。あの血は、血に入っている小さい魚は、私の中に戻ろうとしたんです」
 「小さい魚」は意思を持っている。ただの物質ではない。思考して生きる、生物だ。Fさんは、そう感じたのだという。
 意思のある、目に見えないほど極小の、有害成分で構成された「小さい魚」。
 彼らがどのような生物で、どんな影響を地球や人体にもたらすのか。この先、どうなるのか。全ては不明だ。彼らはFさんの娘さん以外には見えないし、誰も存在に気付かない。しかし、確かに存在する。そうFさんは確信している。
 もし、それが事実なら、小さい魚は、誰も知らないうちに世界に広まっていくのだろう。誰もが無自覚であるうちに、ありとあらゆるものに侵食していくのだろう。全てのものの外側にも、内側にも。彼らは彼らの意志で全てと一体になる。気付いた時には、もう遅い。
 
 今も、Fさんには小さい魚は見えない。血の一件以来、その存在を感じる出来事にも遭遇していない。
 しかし、たまに想像するという。
 夜、布団の中で目を閉じるとき。体中を血が巡っているのをイメージする。自覚することは出来ないが、人間の全身には血が巡っている。それは事実だ。体の隅々まで、絶えず血は流れ続けている。そんな紛れもない事実であっても、人間は実感することが出来ない。
 ならば、その血の中に、何か得体の知れない生物がいたとしてもおかしくはないだろう。それを実感出来なくとも、彼らはいつも血の中を流れている。
 体中を小さい魚が泳いでいる。Fさんは、よくそうイメージする。そして、思う。
 自分はどこまで魚と一体になっているのだろう、と。



 

 
 
 
 




 

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