石段のおばあさん

 Fさんは小学生の頃、近所の神社を通り抜けて通学していた。
 ちゃんとした通学路は別にあったのだが、道路が大きく迂回し遠回りになってしまう。神社を通り抜けると、近道できて便利だったのだ。
 その神社の石段で、必ず会うおばあさんがいた。毎朝Fさんが石段の上にたどり着くと、いつも既におばあさんはいて、竹箒で石段を掃いていた。
 Fさんが石段を降りていくと、当然ながらすれ違う。近くを通るのに何もリアクションしないのも気まずく、小さな声で「おはようございます」と呟くと、いつも「おはようございます。いい朝ね」と、にこやかに挨拶を返してくれた。穏やかな笑顔が印象的な、品の良いおばあさんだった。
 そのおばあさんとは、挨拶以外の交流はなかった。しかし毎朝顔を合わせ、短く言葉を交わすのは、Fさんにとって一種の精神安定剤のような役割を果たしていたという。落ちこむ日も、嫌なことが待つ日も、変わらない柔らかな笑顔を向けられるのは、心地良かった。応援されているような、背中を押されているような気分になる。いつしかFさんは、おばあさんに身内のような親しみを感じていたという。
 今でも思い返すと温かな気持ちになる、優しい思い出だ。
 ただ、とFさんは言う。
「思い出すと、ちょっと変なんです。そのおばあさん、薄っぺらかったんです。紙みたいにペラペラ。手に持った竹箒よりも幅のない体をしてました」
 よくよく思い返すと、毎日の笑顔も、紙に描いた絵のように寸分違わぬものだったという。上げた口元の角度、目尻の皺の長さ、三日月に細められた目の形まで、常に同じだった。
 そのおばあさんと会ったのは数年間ほど。それ以降は一切会うことはなかったという。

 
 
 

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