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《8050問題》の先にあるもの。

 拙著『自閉女(ジヘジョ)の冒険』のpp.172-182で書いた出来事のうち、紙面の関係で書けなかったことを補足する。
 まず、あの時の集まりというのは、発達障害研究の大御所であるS先生が、当時活躍していた幾人かのアスペルガー当事者の成人に声掛けして、
「発達障害のことで研究して欲しいテーマがあったら伝えて欲しい」という趣旨で集まったものだった。
 この前年に母親を亡くしたばかりの私は、当然のことながら、「親亡き後と本人の老後」というテーマを伝えようと思った。
 ところが、私が挙手して当てられて、そのことを発言しようとする度に、
「それは、わたしー」と言って割り込み、私の発言を何回もしつこく制止した人がいた。
(集会の最中に彼女の行なった物理的嫌がらせ(?)については、すでにそのページで書いた。)
 そうやって彼女は、何度も私の発言に割り込み、制止したので、結局私はその件では一切、発言させてもらえなかった。

 集まりが終わった後、彼女は手招きで、
「ここに座れ」とジェスチャーをしたので、私は彼女の指定した場所に座った。
 すると彼女はいきなり私に、
「あなた、いくつ?」と問うた。
 私が正直に当時の年齢を言うと、彼女はその数字に数歳、上乗せした数字で、
「私、○歳。」と言った後、彼女はこう、私の耳元で怒鳴った。
「老後のことは私のほうがずっと深刻なのよ!」
 私はこの時、
(ああ、この人、自閉症の聴覚過敏のことはぜんぜん理解わかっていないんだな)と思って、必死にパニックを堪えた。
(あるいは、じゅうぶん理解っていたうえで、敢えて……の線もあるけど。)

 しかし私は、S先生が、研究して欲しいテーマを挙げて欲しいと言われたから、そのようにしようとしただけなのに、なぜ、(S先生ととても仲がいい)その人からそのように言われなければならないのか?
 これは私の偏見を伴う憶測なのだが、もしかしてS先生は、成人当事者の老後や親亡き後には端から取り合うつもりはないので、発言させまじとして、彼女という“刺客”を差し向けたのではなかろうか?(いや、そんなことない、か)
 とりわけ、親を亡くした直後で、もう一方の親を亡くすかもしれない……と、途方に暮れ悩んでいる人を攻撃したうえ、悪者に仕立て上げるというのは、やはり(全てではないにせよ)日本の社会というか市民たち(or人間全般?)が基本、冷酷で鬼畜だからこそなのだろう(たぶん)。

 でもそのような訳で、今から22年前は、発達障害当事者が親亡き後や老後の問題について語ろうとすることは、支援者からも、研究者からも、また、仲間である筈の他の当事者からも、酷く忌避され嫌われて攻撃されるという、無慈悲な現実があった。
 翻って今(2021)はどうだろう。
 今年3月に発刊された、ひきこもりに関するある書籍には、15人の共著者が名を連ねているにもかかわらず、親亡き後や老後に踏み込んだ記述は皆無で、唯一、ひきこもりと老後を考える当事者発のプロジェクトがあるとする、わずか4行にも満たない記述があるだけだった※。

 それにしても、なぜ、支援者・研究者の動きは、かくも、まどろっこしいのか。
 研究者は、ある程度データが揃わないと発言できないというのは仕方がないとしても、少なくとも支援者サイドは、目の前で悩んで困っている成人当事者に対し、せめて話を聞くぐらいのことはしても良かったのではなかろうか?
(とくにその集まりは、話を聞くフリ(アリバイ作り)をして、実際には発言を封殺しただけに、タチが悪いと言うしかない。)
 そのことに対する自分の気持ちを、私は『自閉女(ジヘジョ)の冒険』の「おわりに」の↓この文章に込めた(同書p.217)。

 願わくは、すでに親を亡くしたり、そうなることを不安に思っている発達障害・ひきこもり当事者やその家族が、足を引っ張られたり悪者にされることなく、安心して相談できる《心の駆け込み寺》のような場所、肩の荷を降ろせるところ、ニーズを支援者や研究者や行政に知ってもらえる機会が必要だと思う。

 蛇足も含めて話を戻す。
 要するに、例のその人の言わんとしたことは、
「老後のことは年下のあんたは黙ってろ」ということなのかもしれないが、
 見方を変えると、その人もまた老後のことでとても悩んでいたので、あのとき私の発言しようとした内容が、意図せずも、その人の“地雷”を踏んでしまった可能性はある(だとしたら、ごめんなさい)。
 だからS先生も、もし研究テーマを成人当事者から募るというのであれば、多少面倒でも、例えば、一人ひとりにアンケートをとる、という方法のほうが良かったかもしれない。
 このS先生がやらかしたように、当事者らを一同に集めて発言させるというやり方では、ただでさえ成人当事者たちは往々にしてシリアスな問題を抱えているのだから、ある当事者の発言が、それを聞いていた別の当事者の不安を煽る、パニックを誘発する、フラバを起こす、あるいは逆鱗に触れる、などということになりかねないからだ。

 ただでさえ、私のような障害を持っていると、思ったことや考えを、すぐに言葉にすることが困難だ。
 だから、(S先生に限らず)支援者もマスコミも、アスペ成人当事者の座談会、あるいはフリートークなどといった障害特性を無視した企画は、なるべく控えて頂きたいと願う。

 でも、そういう訳で、S先生は「アスぺの人には攻撃的な人はいない」と公言なさる一方で、実際には非常に攻撃的で憎悪の塊のようなそのアスぺの人と懇意にしているし、その人の著書である絵本の帯にコメントすらも寄せている。
 また近年、S先生は「第四の発達障害」として「虐待」を挙げることで、「自閉症は親の育て方・しつけのせい」という、専門家発の世の中の誤解と偏見に対峙し必死に闘ってきた世代の当事者やその高齢の親たちを苦しめている。
 結局のところ、いつの時代も、専門家らの無責任な言説に翻弄されるのは、当事者たちとその親達である。
 そのような訳でこれからも、気の重い日々が続きそうである。◆

(2022.1.15加筆)

※『ひきこもりの理解と支援』高橋雄介編、遠見書房(2021)、p.166

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