見出し画像

【実話】芸は身を助けず。(詐欺師のような同級生。)

 入学してから二回目の「文化祭」の近づいたある日、よそのクラスとなった、生徒会の実行委員のナミヨが私に接近して、こう言った。
「あなたはデザインがうまいから、こんどの文化祭のポスターを、とくにあなたに頼もうと思う」
 期末試験が一週間後に迫っていた。
 試験前の数日というのは、私にとってはとても大切な期間だった。
 なぜならそれまでずっと、その一夜漬けで必要な学力を仕入れてきたと言っても過言ではなかったからだった。
 雑用が学校生活のために必要なのはわかっていたが、ただそのタイミングがいつも悪かった。
 私は勉強があるから断ろうとしたのだが、それでもナミヨは
「ぜひあなたにお願いしたい」
「あなたはとてもうまいから」
などと言って押してくる。
 私が逃げ腰でいると、それでもナミヨは
「あなたがいい作品を描いてくれれば私も嬉しいんだから」
と、なおも迫った。

 しかし、いくら依頼されても嫌なものは嫌だった。
 文化祭のスローガンがあまりにも欺瞞に満ちていたからだった。
――「限りなき理想郷(ユートピア)を求めて」
 しかしこの学校が理想郷かどうかは火を見るよりも明らかだった。私という車はエンストを起こし始めていたからだ。そんな企画には加担したくない――。
 しかし、「これはたっての私のお願いだから」という、ナミヨの強い押しに負けてしまい、結局は引き受けざるを得なかった。
 私も偽善に協力するのは嫌だったが、「友達」のためなら描いてもいい、と思った。
 〆切は、またもや(以前にも、ゼッケン用のステンシルを巡って、よく似た注文があったのである)試験開始日の直前に設定された。わずか十日後である。
 思わず「早すぎる!」と言ったら、
「〆切に遅れたらもう採用いないよ。だから急いで」
とのことだった。
 それで私は急遽、万難を排してポスター制作に取り掛かった。もちろん、試験勉強抜きである。

 十日後、私はナミヨのいる二組の教室に、仕上げた作品を届けに行った。
 するとナミヨは届けた作品を碌に見もしないで、こう言った。
「作品が集まらなくて、〆切が五日後に延長になったんだよね。それで、もう一枚描いてくれないか?」
 私はここで初めて、作品が「集められていること」を知った。
 五日後といえば、期末試験の真っ最中である。
 せっかく描くなら、最高の作品を描こうではないか。
 選ばれなくては、今までの努力が水の泡だ。
 結局その期末期間中は、ほとんど勉強することはできなかった。

 五日後、試験の合間を縫って、私は二枚目の作品を届けに行った。
 するとナミヨは、〆切のさらなる延長を口にした。
「作品がまだ集まらないんだよね。もう一枚」
 そこで私は心意気から二枚描き、彼女のところへ持っていった。
 その後も似たようなリクエストがあったが、私は徹夜が重なっていたこともあり、休息を必要としていたので、四度目のお願いは断った。

 しばらくしてナミヨが、今度の文化祭のポスターの意匠について“相談”に来た。
「じつは私も応募するのだけど、二色刷りで三色刷りの効果を出すには、ここの緑はこれでいいのだろうか」

 四回目の〆切はチマチマ延長されることもなく、試験後しばらくして採用された作品が発表された。
 もう少しゆとりを持って〆切を設定してくれれば、じっくりと満足のいくまで作品に取り組めたのにな、と思った。

 数日後、たまたま美術室とその準備室の掃除をしていたおり、応募作品と思われるポスターがたくさん積まれているのを見た。
 それら一枚一枚を丹念に見ていったが、それらの中になぜか、私の作品は含まれていなかった。
 私はなにげなく、その辺の引き出しを開けた。
 すると、私が徹夜して描いたポスターの一枚だけが無造作に四つ折りにされて入っていた。
 そして他の三枚はどこにいったのかもわからなくなっていた。

 私はそのポスターを持って、選考に加わったという先生に見てもらった。
 するとその先生は
「心当たりがないですね」
と言い、その他の行方は
「知らない」
と言い、〆切についても、
「試験の直前やその期間中に設定するはずはない」
とのことだった。

 私はナミヨに抗議しようとした。
「あの、ポスターのことだけど……」
 するとナミヨは私の言葉を押さえて、教室中に響くような大きな声で、こう言った。
「自分の作品が、選ばれなかったので、そういう言いかたをしているんでしょ」
 彼女に真相を尋ねようとしたのだが、
「選ばれないから文句を言うなんて、ずるい」
ということで、ついに、取り合ってもらえなかった。

(以上、拙著『平行線――ある自閉症者の青年期の回想』(遠見書房版)pp.57-60より(改行等を調整のうえ)転載したものです。)

 なお、これには後日談がある。
 今から数年前ぐらいのこと(正確な日時は忘れた)、今はもう撤退した近所のスーパーで試供品が配られていた。
 私はそれを受け取って飲み干したところ、突然、上から“雨”が降ってきた。
 驚いて周りを見渡すと、私のすぐ隣で、ある人が飲みかけのコップの中身を私の頭上に目掛けてぶちまけたのだった。
 そしてその人は、試供品を配っていた業者の人に向かって、意味不明な日本語でガミガミと激しい言葉で噛み付いていた。
 どこかで見覚えのある人・聞き覚えのある物言いだなと思ったら、それが、上記の記事(と、それを収めた私の手記)に出てくる、“ナミヨ”(仮名)だった。
 数十年振りの再会だったが、なんかとてもヤバい感じがしたので、私は慌ててその場を離れた。
「三つ子の魂、百まで」というのは確かに本当なんだなと思った。

 でも、この出来事が元で、《学校というのは腐れ縁を作る場所》というのが自分の中で確定した。
 まあ、いきなりコップの中身をぶっかけられたら、一昔前の自分ならパニックを起こしてもおかしくなかったが(その代わり、一瞬フリーズしたけど)、私の手記『平行線』を読んでいただいた方にはおわかりの通り、高校時代の私は、実に変な奴に絡まれ続けていたのだと思う。
 例えばそういうこともあるので、自閉症の人がまともな学校生活を送ることができるようにするためには、人間関係を誤学習しかねない、そうした変質者から守ってくれる何等かのサポート(相談の場など)が必要不可欠だと思う。
 とくに、生徒会(際限)によって行われるいじめや悪事については、なおのこと、そのように言えるだろう。
(なお、この「生徒会(際限)によるいじめ」については、もっと知られてもいいと思うし、いじめ問題を巡る言論の中で議論されることがあってもいいと思う。)

 本稿のサブタイトルで「詐欺師のような同級生」と書いたが、普通の詐欺師はモノや金銭を奪っていく。
 でもこの“詐欺師”は労力やエネルギーや、そして試験直前の貴重な時間、更には(もし試験前の勉強に打ち込めていたなら取れていたであろう)成績や内申といったものを奪っていった。
 思うに、少なくとも学校では、友達に喜んでもらおうとするなどといった馬鹿げた考えは捨てて、もっと自己中になったほうが良い。
 なぜなら周りは自分の敵(か、敵に調略された人たち:この記事もご参照のこと)ばかりで、騙したり、嵌めたりする人たちが、生徒会や学級委員といった権力を悪用し、その場を支配しているからだ。
(そして、そういう活動に積極的だった人たちの内申点が、その活動の中身の良し悪しは関係なく良くなるというのも、またおかしな話なのだが。)◆

#学校 #学校生活 #生徒会 #いじめ #文化祭 #自閉症 #発達障害 #障害者の社会参加 #人間関係 #対人関係 #ASD #コンテスト #ハラスメント #嫌がらせ #詐欺 #友達 #フレネミー #春日部東高等学校

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?