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LGBTとか関係ない

もらすとしずむ ドラム担当の吉村ロデム。

photo by kana tarumi

彼女のバンド、Siraskaを主とした写真展が先日まで原宿のデザフェスギャラリーにて開催されていました。

そんな思い出話。

先ずは写真展に際して彼女から投稿された文章を以下にそのまま転載します。

(みんな!ちょっと長いけど読んでくれ)

『L・G・B・T🏳️‍🌈』

とか言っちゃうとなんか『社会問題風』『問題提起的な感じ』『もしくはパリピなノリ?』になっちゃって私はそういうのちょっとニガテなんだけど、やっぱ普通に生きるには不便があるので、分かりやすいその言葉を使って「私たちはここにいるぞー!」と、この機会に社会にアッピールだーーーーー・・・とか思ったわけじゃないんだけど、こんな写真を撮ってみました。(以下ブログか一個前の投稿を参照)

みんなが思ってる以上にLGBTはそこら中にいるし、「出会ったことない、テレビや漫画の中のものだよ」て思っているなら、きっとまだまだ日本じゃ友達にすら言いにくいという現実があるからだと思います。(もちろん人に言う必要がない、隠したいって人もいて、それは個人の自由だと思いますが)

私もこんだけSNSで言ってるけど、やっぱ「この人には言いたくても言えないなー。言ってもわかんないだろうなー」と思うこともあります。

すぐ下ネタやセクシャルなイメージをつけられたり、イジってナンボの面白いものだと思われたり。男はこうだ、女はこう言うもんだ、と型にはめられたり。
逆に「LGBTの人はオシャレ!才能ある!やっぱ人と違うわー」みたいに思われることも多々。
あ、あと「ブスで男に相手されないから女に走った」とか「百合は綺麗なもの」とか言われて気分悪かったりするよね・・(*´Д` *)💢





ということで、
皆さんが知っている、この人畜無害で、これといった特徴のない、漫画のキャラでもTVショウの面白ポジションでもない、国に税金を納めるイチ一般市民の私たちが、こうやって写真を介して人々の目に止まることは、
何だか意義のあることなんじゃないかと思いました。





そもそも私はLGBTなんて言いたくない。プライベートでは自称することはまずありません。私はさはらさんを好きになったのであって、セクシャリティに当てはめられるのは嫌です。
この写真も最初に言った通り、そんな深い意味はなかった。
「ただ二人の写真が一枚でも増えるなら良いね」と思ったぐらいです。

なのでいつかそんな言葉も使わなくて良い日がくればいいなって願っています。





長々と書いたけど、
こう言った、写真やSNS上での地道なアクションによって、みなさんと、みなさんの周りの人々の間で少しでもLGBT(というか私みたいな人間)のことが話題に上ればいいなと思っています。
あと、「得体の知らないものにどう接して良いかわからん」って人も多いと思うので、そう言う人にはゆっくり慣れていって貰えればもうちょい世の中に浸透するかなぁて。そしたら社会も変わるかもしれない。

さらに言うと
嫌い!キモい!でも全然良いと思うんですよ。ただ、LGBTであることは無害だし、みんなと変わらない、たまには誰かを傷つけてしまったりもするだけのイチ個人だと言うことだけ知って頂ければいいなって思います。

とりあえず日本じゃ同性間では結婚できないことすら知らない人も結構いるので、これは問題提起です。

Q.同性婚が出来るようになってあなたが困ることはありますか?

以上!ここまで読んでくださって有難うございました。(さらにブログまであるという地獄)

引用ここまで


「結婚」って「尊厳」ってなんだろう?

筆者の私、田畑“10”猛もパートナーと共にギャラリーへ足を運んで観に行きました。

かれこれ知り合ってから10年以上経っているので何だか改まったロデムの姿を観るのは今更ながら気恥ずかしさもありつつ、実際に観てみると素直に人間として美しいと感覚しました。

中でもメインに飾られた作品よりもファイルされていた写真のリラックスした姿を見て、結婚って何なのだろう?と自問自答すると同時に、社会制度として「同性でもパートナーと認める仕組みになれば良いのに」と思いが過ったのです。

___最近、高円寺の応援演説で再び炎上した杉田水脈氏は「生産性のない人たちに税金を投入する必要などない」という“いつぞやの論文”を省みることなく「私は差別などしていない」と言い切り、“事”→“怒り”の本質を理解出来ていないどころか「論文を読めば分かります」と言って聞きません。杉田氏を擁護する連中も同じく。

「子供を産まない=生産性のない」と人を指しながら吐く無理解な言葉に対して、人間の尊厳を護らなければならないと警鐘を鳴らす叫びが、無理解故に届かないのです。悲しいなぁ…


LGBTがどうとか、そういう話ではない

全ての人間には尊厳があり、人が人を愛することに優劣などなく、当たり前に等しく歓迎されるべきであると考えます。

「全文読んで下さい」と宣う杉田氏の論文の段落(一節なら「切り取りだ」と言われかねないので丸っと紹介。…て、コレは論文なのか?)。

前後の文脈を読んだとてLGBを指して「不幸な人」としてハッキリと書かれています。
全文読んでも揺るがぬ事実です。

私はロデムを「不幸な人」「不幸な人生」だとは思ったことはありません。

“みんな”だとか“普通”だとか、ロデムも、お相手のさはらさんも、そういう類いに属する「ごくごく自然で、みんなと同じように幸せなふたり」にしか見えないからです。

メチャクチャ幸せそうやん。

でも「普通じゃない」「みんなと違う」とするのは決まって“聞く耳を持たない人”なのです。そういう人ほど指摘されると、

「私は耳を傾けて人の話を聞く」だとか、
「私は差別などしていない」とか一点張り。

悲しいくらいに無理解です。それこそ趣味趣向の範疇で「私は受け付けられない」ならそれで良い。ロデムも曰く、それは個人の感想だから。

ちなみに私は彼女たちの愛の形には然程興味がなく(苦笑)(何故ならごくごく自然に受け入れているので)、寧ろ彼女たちのナチュラルな立ち振る舞いに対して、立場として置かれている現状の異常さとのギャップに興味を唆られるのです。よくない意味で。何とかならないかな、と。

こんなに“いい感じ”なのに。


思い込みは退化まっしぐら

話変わって。

私 田畑“10”猛 は人間の、特に日本人が抱く「普通」とされる思い込みを「0」にしたいと考えていて、SNSで繋がり続ける普通という思い込みだったり、音楽に関する凡ゆる常識とされる思い込みに関しても、一旦「0」に出来ないかと考えています。

よく「0から1にするモノづくりのアイデア」とは言いますが、筆者は「1から0にすることがスタート」だと考えています。

“当然”だったり
“常識”だったり
“普通”だったりするのは決まって「1」以上だとされる思い込みが生んだ“在りモノ”なのです。

“在りモノ”をバラバラに分解して、「1」未満にしてみる工程にこそ、新たな「1」を生み出せるのではないか。

そして新たな「1」見たことのない「1」を示すことが出来れば、思い込みによる「1」にプラスして思考の幅が広がると思うのです。つまり現状では「0」だから足しても足されない。

だから社会で生きる以上、社会的に認められる「0」であることと「1」であることとは天と地ほどの差があり、「1」として認知されることで社会はより高度な進化を遂げるし、反面「0」として認識されればされるほど停滞どころか退化を余儀なくされるのです。

何故ならこの世界は、日本だけで成り立つ世界ではないからです。日本の社会が世界から遅れをとればとるほど優秀な人材は日本を離れていくでしょう。優秀な人材は愛国心だけでは繋ぎとめられないし、愛せる国として進化する道への挑戦こそが真の愛の姿ではないかと筆者は考えます。

例えばアイドルでもバンド界隈でも、偉そうな古参のファンが、新規のファンを“ニワカだ”と揶揄して排することがそのアーティストの退化に直結するのです。

どう考えたって仲良くした方が良いんです。

古参も新規もLGBTも多種多様な人種でも宗教家でも何でも、犯罪を犯さなければ仲良くした方が良いんです。個人の好き嫌いは別に。

「仲良く」ってのは認め合うこと。どちらかが一方的にベタベタすることとは違い、お互い気持ちの良い距離を保つことです。

ロデムの生き方やこうした幸せそうな姿を観ていると、特にそう思います。ちなみに彼女をバンドに引き入れた理由は「シンプルに人間としてもドラマー🥁としてもカッコいいから」でありますし、彼女の性的志向がどーとかは全く関係ありません。




___


こうして幸いにもnoteで発信出来ることは良いことですし、いつかnoteでもっと色んな「思い込み」に向けて疑問を持ったり、アイデアを共有できればなと期待しています。

最後に、今週末、4/27土曜日にnoteのアーティスト達と我々が共演するイベントがあるのでもし良かったら遊びに来て下さい。仲良くなっていいと思います笑

良い思い出になればいいな。



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