悩み

自分が幼い、未熟だって思う反面、もう子どもには戻れないんだとも思う。

17歳か〜そういう年頃ね〜
なんて言われたらそれまでかもしれないけど。私の葛藤や悩みを単に“そういう年頃”ということで処理されたくない。

こんな気持ちすら子どもだねって思われちゃうかもしれないけどね。

周りに相談出来る人が居ない、と思っていたけど、友達も家族も恋人もネットで繋がっている人だって、きっと相談を聞いて欲しいと言ったら聞いてくれる人は居ると思う。

問題が解決しなくても、話を聞いてもらうだけでも楽になるよ!

と言ってくる人が理解出来なかったし、嫌いだった。

この考えが理解出来ない理由がわかった。
私は、誰かに相談をして、肯定してもらっても、アドバイスをもらっても辛いんだ。

聞いてもらうだけでも、辛い。
だけって、だけじゃないじゃん。
人の悩みを聞く事は私にとっては少なくとも“だけ”では無い。

友達や家族、恋人が辛い思いをしていれば、私も辛い。
でも、1番辛いのは本人だし、私は辛がる必要はない。だからそうやって少し受け持った辛さはひとりで抱える他無いのだ。

自分がそうだから他の人もそうかもしれない。こんなこと言っていたら何も出来ないんだけど、きっと自分のためなんだ。痛みが分かるから自分みたいに傷つきやすい人を傷つけたくない。

だから相談は出来ない、と思った。
けど、ひとりで抱え続けるのも無理がある。

最近、カウンセラーさんに話を聞いてもらいたい、カウンセリングを受けたい、受けた方がいいと考えていた。

自分の考え方で自分を不幸にしないために自覚/改善をしたいけど、それをサポートしてもらうのは精神科の仕事では無いと気づいた。

病院の先生には、今私が困っている症状を抑える処方をしてもらうだけだと割り切ることにした。精神科は私を人生の底辺から引き上げる手を差し伸べてくれるけど、その手をとって自力で歩き出すかは本人次第だ。

でも、自分では劣等感と不安感に苛まれて悪循環、自暴自棄になりかねないからカウンセラーというプロの力を借りたくなったのだ。

こんなカウンセリングを受けることを納得させるためみたいなことを考えていたけど、本当は誰かに話を聞いてほしいだけなのかもしれない。

カウンセリングはカウンセラーさんにとっては仕事だ。守秘義務があるし、お金を払うので、聞いてもらって申し訳ないな💦なんて思う必要が無い。しかも知人に相談する時のように相手への感情が邪魔して自分の本音を隠してしまうことも無いだろうと思うから。そんな他人に相談したい。


私がすごく悩んだ末に無難な答えを出した事が、他の大人にとっては大したことない事でそんなに悩むことなく片付けてしまえること。

大人だな、さすがだなと思う反面私が悩んだのはなんだったんだろう?と腹が立つこと。

私は未熟だし、世間知らずだ。だけど年相応の許容範囲内だと思うし、今までの行動や思考を辿ると当然の事実だと思う。

この文章の最初の方に書いた、“そういう年頃”という言葉だったり、「それはおかしい」「まだ経験したことがないから分からない」といった言葉に、対抗する手段が無いのが悔しい。

私が「そういうことじゃないよ!」なんて言ってもまともに取り合ってもらえないだろう。ただ、こどもだと思われるだけだから。

こういう言葉たちはあながち間違いでは無いかもしれない。だけど、合っているとも限らない。

それなのに無知故に、「そうだね」としか言えない、自分のことも自分で守れない自分が悔しい。

無知、知識不足を埋めるための経験によって、無知が露呈して自分の未熟さを実感して苦しい気持ちになるのなんとかならないかな。

自分の未熟さを自覚できるだけまだ良いか。

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