考えすぎる脳と経験値の誤差

この考えすぎる脳と経験値が合わなくて苦しい。

考えすぎる脳、というより、考えることが好きで考えすぎる事を選んでいる。
考えることにすぎるも何も無いかもしれないが、わたしは、今の所考えすぎることで損をしている。

正確には、ただ考えることはたくさんしているけどそれを、自分の中にしまい込むばかりで、誰かに聞いてみたり、実際に見たり行動したりしていないから、沢山考えたし悩んだのに実際のところはよく分からない…となっている。

考えすぎる脳を持ち合わせてしまったものの、経験値が足りないために考える材料が足りなくて、いくら考えても矛盾が生じたり不自然になったり違和感がある。ってことがあるの。いくら考えても、知らないものは知らないから、イメージのしようがない。

それで、その不自然や矛盾が心のモヤモヤになって、苦しい。

こんなに考えてるのに、なんで分からないだろう?って思ったって多分それはただの、経験不足、知識不足なだけ。

頭の中でずっとひとりごとを言い続けてるんだけど同じ人いたり、しますかね😇

わたしは、頭の中でひとりごとを言うことで、考えている。

音声として。

本を読む時も、頭の中で朗読をするように読んでいる。音声で伝わる感じ。

だから、小説を読んでいても、音で読んでるから、この同音異義語がよく出て来るけどなんかキーワードになっていたりするんだろうかとか、短歌みたいな言葉の音の調子があって、朗読したら楽しいだろうなとか考えながら読んでもいる。

考えることが好きだけど、この考えた事たちは、誰かと共有したり、発信することでやっと価値を持ち始めるものなんじゃないか?と思ってきた。

わたしは、数年前、不登校だった時に、学んだはずだ。

言わなければ伝わらない。
思うだけじゃ伝わらないって。

100回助けてと願っても届かないSOSが、1回助けてと声に出すだけで、届いたりする。

周りに、自分が困っている、苦しんでいるということすら認知されていない可能性がある。感情にのまれそうになっても、自分はこれだけは覚えておきたい。

「言わなきゃ伝わらない」


また最近、自分のことを話すのが怖くなっていた。

変な人だと思われたくなかったからだ。

なんでこんなに、変だと思われることを怖がっているのか、変なやつだと嘲笑の視線を向けられたり、狭いコミュニティから外そうとする動きが不愉快だからだ。

自分は変な人だと自覚がある。変とまでは言わずとも、少し変わっていて個性的という感じだろうか?

自分が変なことは何も怖くない。寧ろ平凡じゃなくて面白いじゃないかと思っている。

わたしは普通じゃないからとか
いかにも健全な感性
そんなのどこにでもあるから大丈夫

普遍/ano

誰かが言う変なんて
せいぜいたかが普通の変だ

 普遍/ano

この歌詞が好きだ。
自分が変だと思うのも、別にありふれた変なのだから、気に病む必要は一切無いのだと思う。

わたしを笑ってくるやつは、ずっと笑って馬鹿にしていればいい。
私だったら、変な考えでも、そんな視点があったんだー!なんでそう思ったの?って興味があるけどな。

そうは言っても周りの目が怖い。

 変なやつだと嘲笑の視線を向けられることが怖いがあまりに、変なやつだと思われないように自分をめちゃくちゃに抑圧して、普通を装うなんて、ストレスに決まってる。

わたしはもう、自分のまま生きたい。

わたしは、自分の意見や気持ちも言えない弱い女の子じゃない。

わたしは、わたしとして残りの人生を生きる。


考えすぎて、結局どれがいいか、最善策なんてないんじゃないかって身動き取れなくなる時もある。

考えることは、自分を守ることでもある。
でも、選択肢からやることを決定できないのは、ただちょっと勇気が足りないだけだ。

考えられることは、とってもいいこと。
それを有効に使わないでどうする?

寧ろ、それで自分を苦しめるだなんて、そんな馬鹿な話ないよな。

もっと、この世界を知って、人を知って、自分を知って、経験を積んで、考えすぎる脳を有効に使えるように努力するよ。

もったいないからね。


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