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あらかじめ決められていたことを、何も知らないかのように


思い返せば、人生でいちばん最初に自分のお金で買ったCDはスピッツの「ルキンフォー」だった。


ファンと認定されるには遠いくらいの距離だけど。まるで白いお城の一番上から太平洋を抱きしめるような、青々したさわやかな旋律が素敵で、制服のままCD屋に初めて一人で行ったのだった。


その3年後、私は学校に行けなくなってしまう。

部屋でぽつねんとしている時に、かつて自分で買った「ルキンフォー」を改めて聴いてみた。

ルキンフォー
めずらしい 生き方でもいいよ
誰にもまねできないような

3年前、気づきもしなかった2番のこの歌詞が一瞬で味方になってくれた。”普通”から逸れていても、誰にもまねできない生き方にOKしてもらえて強く励まされた。

その励まされ方は「頑張れ!」みたいなガッツポーズの部類ではなく、そっと風に乗せてくれるような応援。遠い未来から「大丈夫」と言ってもらっているような祈りに近かった。


生まれる前や、死んだ後、宇宙、前世、時間の流れ。どうしても昔から「目に見えないもの」に思いを馳せやすい。そういうことを考えてもよいのはおおよそ小学生くらいまでで、中学生くらいになるとだんだん私のような「見えないもの」を追い続ける生き方は、「変わっている」と片づけられる。それでも、私の頭の中にはいつも、見えないものへの疑問と愛情がふつふつ湧いている。

そして、スピッツの音楽に触れれば、それらに対する「答えみたいなもの」に触れられるのだ。風や空、夢、時間、神様。彼らの音楽には私がずっと追い求めている「形ないけどそこにあるもの」が描かれている。

これらに関連する気がするけれど、もうひとつ、私がスピッツを好きな理由に、時間軸が少し変、ということが挙げられる。

それが最も顕著なのが「運命の人」というPVだ。一番大事なサビのシーンで、(もう死んでしまった設定のスピッツ4人が)生きている時を回想する走馬灯のような場面が登場する。実のところ、この世は虚構で、あの世が真実、と言うように。

草野マサムネさんは、きっと未来から今を見ることができるんじゃないかな、と思った。これは天国目線というのだろうか?

「空も飛べるはず」のPVなんか、ずっと見ていると、天国に行ったおじいちゃんとおばあちゃんに画面上で本気で出会える気がして、私は優しい気持ちになる。

毎日私たちが見ている時計とは違う、もっと壮大な秒針を草野さんは持っていて、それを歌にして贈ってくれているんではないかな、なんて思ってしまう。あらかじめ決まっていることを、何もしらないように生きている私たちに、優しいたおやかなヒントをくれている気がしてならない。

他にもたくさんスピッツの好きな歌はあって、「猫になりたい」を聴けば母のお腹に戻った気持ちになるし、「みなと」を聴くと自分のひとつかふたつくらい前の人生を思い出せそうな気がする。

他では感じることのできない、時間の逆戻り現象。出会えるはずのない何かに絶対出会えるから、スピッツは不思議だ。

「ルキンフォー」にするすると導かれたのは、未来を知っているスピッツからのエールだったように思えてならない。今も、励まされ続けている。

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