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愛とは 祖父が私に残してくれた<ギフト>

むうです。
続き。


祖父が亡くなってから

「あのハグはなんだったのか」

とぼんやり考えることがあった。

当時祖父は勘違いをして、
本当は私ではなく、晩年よくしていた<いとこ>にハグしたかったんじゃないか。

そんな風に思うことがあった。

私は祖父に「大好きだよ」と声をかけていながら
横目で母を見ていたのだ。

そんな自分が憎くて
後ろめたさを感じていた。


私は、小さい頃からずっと
母の愛を欲しがっていた。

祖父が私に与える愛に対して
「お母さんがよかった」と密かに思っていた。

昔と変わらず、そう思う自分に気づき、嫌い、
「祖父のハグは、私へじゃない」と
どこかで思いたかったんだろう。


でも今は違う。

例えあの時、祖父が呼んでいたのが
いとこだろうが、祖母だろうが
「私が受け取ったのだから」と。

ずっと祖父は私に愛をくれていた。
いつだってだ。
それを受け取っていないのは<私>だった。

欲しい相手に
欲しい愛を貰えなくても
愛ある人が傍にいた。

旦那くんに対してもそうだ。
たくさん貰っているのに、
結婚してからも満たされない時期があった。


私は愛が分からなかった
「愛なんてもらったことない」し
「そんな綺麗ごと、あるわけない」と思っていた。口にするのも嫌だった。


愛は「もらえる」もの、
「私が欲しい形」じゃないと愛じゃない。
そうでないと、愛されていないのだと思っていた。

でも祖父の死や、あのハグをきっかけに
なにか私の中で、気づきが起き始めていた。


祖父のハグは、なんだったのか。


「受け取って。知って。
 あなたにはもう、愛があるんだよ。」

そう伝えたかったのだと思う。
全て、無条件の愛。それがあのハグだ。

愛はもっと根源的なもの。
そして愛は、人によって表現が違う
だからどんなカタチでも
本当は既に、みんな貰っているんだ。
たくさん自分を通して
見てきたところだから分かる。


誰かの<貰えなかった>と思った
その痛みにも。
きっといつか癒しがくる。
そう信じたい。


小さい頃、傍にいてくれたこと
私という存在をないことにせず、
想ってくれたこと


それが
私の心から欲しかった愛だったし、
祖父に与えてもらっていたことに
ちゃんと気がついたから。


おわり。

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