![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12699980/rectangle_large_type_2_27f6912d5193f78f71ec5208474bdef5.jpeg?width=800)
空港
最近はわりと平気になったけれど 「空港」は苦手
わたしの頭の中に刷り込まれているイメージ
「空港 = 別れ」
幼い頃は 風来坊だった父親を見送り 兄たちを見送り その度に「泣いた」
高校を卒業して上京する時 見送られるのが嫌で どの便か教えてなかったのに 何故だかバレて たくさん「泣かれた」
当時付き合っていた彼氏とも 涙で別れた( ; _ ; )
それでも 上京した年には何度か帰省もしたけれど だんだんと足が遠のくように…
何故なら 誰かしらに「泣かれる」から…(T▽T)
21歳の時に 沖縄へ帰る友人を見送りに羽田へ
その日は もうひとりの友人と朝まで飲み その足で彼女の手荷物を車に乗せてから 空港へ向かう予定だった
が!彼女の家に着いて驚いた! まるで荷造りされていない!
飛行機の時間が迫る中 慌てて荷造り(((╹д╹;)))
ゆっくり別れを惜しむ間もないまま ギリギリ出発時間に滑り込んだ
飛行機が飛び立つまで 2人でずっと見ていたのだけど ふと気がついたんだ…
もしかして わたしの空港嫌いを知った上での 彼女の優しさだったのかなと。。、
そうかな?と語りかけたら 友人も無言で頷き ふたりで泣いた
そして吐いたw(単なる飲み過ぎ(T▽T)
その後はバカンスで ワイワイ自分が出掛けるばかりだったので さほど抵抗もなかったのだけど
後に 息子の父親となる人は ジャーナリストだったので 出迎えたり見送ったりと日常となる
この男とタイへ飛んだ時 わたしの父親は泣いたという
自分が「泣かせてばかり」だったくせにね!
おまえを乗せた 銀色の翼を
何もできずに 見送った日から
信じることから 必死で逃げながら
錆付いた胸 割れるのを感じても
再び会える日を 俺はずっと待ってた
~柳ジョージ「娘よ」~
父がよく聞いていたらしい曲(◦︎'︶'◦︎)♬︎.。
程なくして わたしは男友達にタイの空港まで迎えに来てもらい お腹の息子と共に 日本へ帰国することになったのだが…
ーそれが わたしが「空港」を利用した最後ー
そしてある日
彼が日本へ戻ることは 二度と出来なくなった事を聞かされた(2004年9月 没)
以来 再び空港からは足が遠のいていたんだ
なのに不思議だ^^
twitterを始めたら 海外へ飛び回っている人ばかり見つけてしまう( *´艸`)
わたしの「空港呪縛」が解ける日も 近いかも知れない
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?