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ビリヤニ【2】 ビリヤニの多様性

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



屋台やレトルト製品化されるなど、インド国内でも広く大衆化しているビリヤニだが、それでも「ハレの日のごちそう」というイメージがまだまだ根強く、婚礼やパーティー料理の中では主役級の座を占める。久しぶりに再会したインド人の友人から「じゃあ今夜はビリヤニでも食べに行こうや!」と誘われることも多い。スーパーのお惣菜コーナーや回転寿司チェーンの登場で大量消費されるようになった今でも、「寿司」と聞くと晴れやかな気持ちになる日本人のメンタリティーと似ているかもしれない。

バーワルチーと呼ばれる宴席料理の専門業者



広大なインドには、ビリヤニ以外にもさまざまな米料理が存在する。もともとプラオ・ポロウが伝わるはるか以前から、インドでは固有の米料理が食べられていた。前述の通り、稲作そのものはインドを経てペルシア・トルコへと伝わったものであり、米食の歴史はインドの方がはるかに古い。例えば現存するインドの古典文献、サンスクリット語文献のうち、食事情を記した『パーカダルパナ』や『ボージャナクトゥーハラ』といった料理書の中にタハリーという米料理が登場する。

サンスクリット語文献に登場するぐらいだから、タハリーとはインド由来の古い米料理の一つなのだろう。しかし必ずしも古い文献の中だけでなく、現代の街場の食堂で広く食べられている料理でもある。ただし食べる場所や状況によって同じタハリーという名前の料理とは思えないほどその完成形に幅がある。例えばハイデラバードに行くとマトン入りの肉々しいタハリーが食べられている。味も見た目もまるでビリヤニのようで、正直ビリヤニとの明確な違いはわからない。おそらく作り手自身もわかってないだろう。ちなみにサンスクリット語文献の中に登場するタハリーにも鶏肉入りのものがあるから、肉の有無だけで正統派かどうかの判断はできない。一方、西インドのプネーにあるジュレーラール寺院で開かれた、スィンディーの新年祭チェティー・チャンドを見に行った時、参拝者に配られていたのもまたタハリーだった。一口食べて驚いた。茹でたチャナー豆が乗り、黄色く色づけされたタハリーの味はなんと菓子のように甘かったからだ。

ジュレーラール寺院で配られていた甘いタハリー



完成形に幅があるのはビリヤニもまた同じである。イスラム教徒が多数派を占める宮廷の中で食べられていたビリヤニは、大衆化していく過程で当然ヒンドゥー教徒という巨大な壁にぶつかる。そこで肉食をしないヒンドゥー教徒用にカスタマイズしたベジ・ビリヤニが創作される。肉をごちそう視するイスラム教徒からみれば正統的とはいえないだろうが、衝突と変化をくり返して料理は「インド化」していく。このように、マーケットの嗜好や食習慣にあわせて料理の方をカスタマイズしていく場合もあれば、もともと存在していた米料理の名称や製法の方をビリヤニに寄せていく場合も存在する。

あれはインド北東部にあるメガーラヤ州の州都シロンを旅した時のことだった。四方を山に囲まれたシロンは文化圏としてはインドというより東南アジアに近く、インドの大都会特有のけたたましい喧騒のない、静かで風光明媚な街だった。仕入れるべき食器を探すべく階段状に広がるバザールを上り下りした私は、ふと軽い空腹を感じてとある食堂に入った。聞くと、地元に住むカシ族の米料理ジャードーがあるとのこと。鶏や豚の血をよく混ぜることで味をしみ込ませた生米を、豚肉を香辛料と共に茹でたスープに投入して作る地元の名物料理である。注文後、ほどなくしてテーブルに置かれたジャードーは、茹でた豚の分厚い脂身の甘味と相まってとても美味しい一皿だった。




食後、店主らから食にまつわる話などを聞いていると、一人の調理スタッフがジャードーを「メガーラヤのビリヤニですよ」と説明した。もし仮に、ビリヤニという料理を狭義のムスリムの料理と限定したら、豚、ましてやその血を使うなどタブー中のタブーである。しかし当の作り手本人が「これがビリヤニだ」といえば、ベジ・ビリヤニ同様それもまた新たな一つのビリヤニとして浸透していくものなのだ。「あ、なるほどね」と私は妙に納得してしまった。

シロンで食べた豚の血のビリヤニ



まったく異なるルーツを持ち、まったく別モノの米料理だったはずのものが、ある時期から「ビリヤニ」の名で売られるようになる。それが現代インドの食シーンにおける、ビリヤニというネーミングの持つバリューだろう。それに対して「それは本物じゃない」といった過度な物言いは、インドでは今のところあまり聞かれない。

インドは豊かな米文化の国であり、それぞれの地域でさまざまな米料理が育まれてきた。時代的にもビリヤニが創造されるはるか前、太古の昔からさまざまな米料理があったことが『チャラカの食卓』(伊藤武・香取薫著/出版新社)などをひもとくとわかる。それらを安易にビリヤニと解釈してしまってもいいものかと躊躇したくもなるが、何よりもインド人自身が実際にこのような「広義の」ビリヤニに分類しているケースは少なくない。

では「狭義の」ビリヤニとはどこでどんな風に食べられるのか。いわゆる「ガチ・ビリヤニ」と呼ばれるものである。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/


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