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ナン 【3】 ナンをもとめて何千里

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


パキスタン国内に絞ってみても、さまざまなナンが各地に存在する。
パキスタンの西端ペシャーワルにいくと、独特の民族衣装に身を包んだパシュトゥーンの人たちが下町といわず街の至るところに店を出し、大きなタンドールでナンを焼いている。彼ら職人はナンバーイー(ナーンバーイー)と呼ばれ、パキスタン国内ではパシュトゥーン人は「ナン焼き上手な人たち」と認識をされている。街の人々は腕のいいナンバーイーのもとに行き、日々のナンを買うのだ。

パシュトゥーン人のナンバーイー



ナンバーイーの作るナンは何種類かあるが、とりわけ洗濯板のようなガッディーでタンドールの内側に貼りつける、1メートル弱はあろうかという巨大なダステギーと呼ばれるナンはド迫力だ。日本のインドレストランで提供される大きなナンとは形状こそ違えど、その大きさを誇示する点は共通している。もちろんレストランのようにカットしてしまったら、客が抱えて持ち帰るのにかえって不便となるため1枚ものの「ノーカット」ナンを売るのは実利的でもあるのだが、見栄えの点からもナンバーイー店頭には、まるで目印のように巨大なナンがぶら下がっていて壮観だ。

このパシュトゥーン人ナンバーイーの手によるナンが、実は現代インドにおけるレストラン料理としてのナンの登場に一役買っている、という説もある。デリーの高級インドレストランの嚆矢こうしとされ、「バターチキン発祥の店」として名高いモーティー・マハルの創業者、クンダン・ラールは英領時代のペシャーワルに生まれた。地元の食堂で下働きしていた彼は印パ分離独立の際にペシャーワルからデリーへと移住。やがて自らの店モーティー・マハルをはじめたラールは、ペシャーワル式にパシュトゥーン系のナンバーイーの作るナンを出した。また現在では著名なインドレストランとして名をはせ、インド中に支店を持つカリーム・ホテルでも、当時パシュトゥーン系のナンバーイーを雇っていたという話がある。独立後のインドで、このようにしてインドレストラン料理のひな型が作られていき、その流れの先に、客に誇示するような日本のインド料理店の大きなナンがあるというのは興味深い話である。

一方、同じパキスタン国内でも、カラチやラホールなどにある食堂で提供されるナンは小ぶりで円形をしている。とりわけ朝のパヤやニハリに柔らかいナンは欠かせない。外縁に沿って無地の土手を作り、その内側には指、またはターパーと呼ばれる金属製のハンコのような押し型で模様をつける。ウズベキスタンのノンほどの厚みはないが、直径といいどことなく共通点を感じさせる外見である。

シュリーナガルもまた独自のナン文化をもつ地域である。シュリーナガルではナン屋のことをカンドールワーンと呼ぶ。朝まだ明けきらぬシュリーナガルの寒い朝、カンドールワーンのもとを訪ねると、地元の人々が暖を取るように窯の前で手をかざしている。そこではチョウトやラワサといった豊富な「ナン類」が売られていて、地元の朝の食卓に上る。カチカチに固まったバターを苦労して塗ったチョウトとアツアツの紅茶の組み合わせは、質素だが心温まるシュリーナガルの定番朝食となっている。

シュリーナガルのカンドールワーン


かたや気温の高い南インド、ハイデラバードにもユニークなナンが存在する。暑い炎天下の下町を歩くと、部屋の真ん中に大きな穴が開いただけの殺風景な店がこつ然とあらわれる。穴のかたわらには小さなピーラー(座椅子)が置かれ、よく見ると穴に見えたそれが床下に埋めたタンドールであることがわかる。額に汗しながら職人が焼いているのがチャール・コーニー・ナンと呼ばれる四角く整形されたナンである。

ハイデラバードのチャール・コーニー・ナン


長方形など四角く見える形状のナンはペシャーワルでも見られるが、ここまで意図的に四角形にしたものではなかった。あるいはイギリス伝来の食パンを模したものだろうか。このチャール・コーニー・ナンは持ち帰り専用の街中のナン屋だけでなく、シャーダーブなど有名なムスリム食堂でも厨房内のタンドールで作られていて、ニハリなどの料理と共にサーブされている。

カラチで食べたナン。ニハリと共に朝食べる。


タミルなど本来ナンが文化圏ではない地域であえて頼んでみるナンも面白い。行く先々の店に入り、(オーダーするかどうかは別にして)メニューを読むこと自体が好きな私は、タミル・ナードゥ州マドゥライという濃厚なタミル文化圏真っただ中で「ナン」の字を目ざとく見つけるや、好奇心の赴くままに注文してみた。出てきたそれは不自然なほど分厚く、油が塗布され重厚感がある、楕円形に整形されて真ん中から二つに切り分けられていた。そこには「南インド人が考える北インド料理」のイメージが反映されていて、味はともかく大変興味深いものだった。

タミル・ナードゥ州のナン。バナナの葉の上にのっている。


このように、ナン単体をフォーカスしてインド亜大陸全土を旅してみても、大いなる多様性を肌と胃袋で体感出来る。日本でありふれたナンがこれほどまでにバリエーションがあることを知るのは、食べる喜び以上の貴重な経験となるだろう。




小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/


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