見出し画像

ドーサ【1】 南インドの米事情

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



「本格的な南インド料理とは?」と問われて、ミールスと共にドーサを挙げる人は多いだろう。例えばこれから日本のどこかで開業しようとする南インド料理店のうち、ドーサをメニューに置かない店はほとんどないはずだ。今やドーサは、南インドを象徴する料理として日本でも広く認知されている存在となっている。

雑穀やラヴァ(セモリナ粉)といった例外はあるものの、南インドの軽食店で出されるドーサは基本的に米およびウラッド豆とで出来ている。今回はこのドーサの主原料たる南インドの「米」事情に着目したい。

南インドタミルの田園風景
タミルの田園風景


「チャパティ」の項でもふれたが、独立後まもなくインド全土を旱魃が襲い、全国的な食糧危機にみまわれた。北インドでは小麦が、南インドでは米が壊滅的に採れなくなった。その食糧危機のインドを救ったのが、北インドでは戦前の日本で開発された「農林10号」を祖とする生産性の高い小麦種であり、一方の南インドではやはり日本統治下の台湾農業試験場の調査で見つけた在来稲を祖とする「IR8」だった(IRとはインディアン・ライスの略称)。

台湾の在来稲は第二次大戦後、国際イネ研究所(IRRI)でさらに品種改良され、1960年代のインドに導入。このIR8は病気や連作に強く、悪条件下でも高収穫出来ることから「奇跡の米」と呼ばれ、のちに世界中で栽培されて当時の食糧難を救っていくことになる。これが「緑の革命」である。IR8はインド国内でその後さまざまに改良され、後継品種のIR20やIR50などは今でもタミルの市場で売られている。

この高収穫米が導入される以前、北インド同様、タミルをはじめとする南インドの各地では伝統的に雑穀が食べられていた。雑穀とはヒエ(カンブー)やアワ(ティーナイ)などで、稲よりも劣悪な環境でも育ち価格も安かった。調理法は主にクール(粉末を発酵させた粥)やカリ(粉末を水で練った団子)にして食べられていたが、薄焼きのドーサも作られていたという。今でもタミルの農村部に行くと、昔ながらの雑穀食を続けている人々は少なくない。

かまどで米を茹でる
自宅外のかまどで米を茹でる


「緑の革命」による高収穫米の導入は、一方で安い米を安定供給させることで南インド人たちを食糧危機から救い「南インドはコメ文化」といわれるまでに至らしめたが、他方で南インド人の雑穀ばなれを生じさせた。皮肉なことに雑穀の方が白米よりも健康的であることから近年では再評価がすすみ、インドは政府をあげて雑穀食キャンペーンを行っている。

「緑の革命」後、インド政府は食糧危機への反省から、米など穀物や油の政府備蓄の拡充とそれを貧困層へと配給する制度(PDS)を確立した。農家が収穫した米は市場に出まわるほか、余剰分は政府によって買い上げられる。農家としては安心して増産することが出来、政府は市場がひっ迫すると放出することで穀物価格を安定させることが出来た。ちなみに米のほか、小麦、油、砂糖、塩などが月に2回配給される。一昔前、私も街なかで十人程度の行列を見かけた。「何に並んでいるのですか?」と聞いたらそれが配給を待つ人たちの列だった。

配給される内容は、たとえ同じタミル・ナードゥ州内でも住んでいる各自治体によって異なる。ちなみにタミルの場合、配給される米はパッチャ・アルシー(生米)とプルンガル・アルシー(パーボイルド米)の二種類となる。

タミルの米
もみ摺り前のタミルの米


パッチャ米とプルンガル米の違いは脱穀時の加工によるもので、パッチャ米は収穫した稲を乾燥し脱穀した殻つきの「もみ」から、単に機械で「もみ殻」を取っただけもの。日本の農家でも一般的に行われている作業である。一方プルンガル米は殻つきのもみの状態で湯に数時間浸し、外皮の内部で発生した米ぬかが粒に十分コーティングされたのち、もみ殻を取る方法。こうすることで米粒が硬くなり割れを防ぐだけでなく、栄養価も高まり、防虫効果もあるという。色味はパッチャに比べてやや黄色く、微弱な米ぬか臭を発する。

(地域やカーストによるが)食べ方は単に茹でてライスとして食べるのはこのプルンガル米の方。大衆食堂のミールスとしてワシワシと食べられる。一方パッチャ米は主にポンガルにするか、場合によってはイドゥリやドーサ、ウタパムなど加工料理にして食べられている。ただしイドゥリ、ドーサの生地にはパッチャ米だけでなくプルンガル米も混ぜられる。

そしてプルンガル米、パッチャ米かを問わず、配給米の質は低かったという。

「臭いもあって、配給米はあんまり美味しくなかったね」

そう語るタミル人は多い。古米なども混じっていて、多少金を出してでも店で買った方がよかったという。食べ方もそのままライスとして食べるよりもドーサなどに加工して食べることが多かった。理由はウラッド豆を混ぜて発酵させ、油を使って薄く焼くドーサにすることで、質の良くない米の風味をゴマかせるからだ。また人々が配給で得た米を低額で買い取る業者もいた。彼らは買い集めた米をティファン屋に転売するのである。

これもタミル人に聞いた話だが、質の良くない配給米を発酵加工して食べる場合、その発酵の進み具合でイドゥリにするかドーサにするか変えるのだという。イドゥリは発酵したてを蒸すのが美味いとされる。挽いた米とウラッド豆とを混ぜて一晩寝かせて発酵生地を作る。発酵直後の朝がイドゥリ作りにはちょうどいい時間帯なのである。

蒸したてのイドゥリ
蒸したてのイドゥリ


しかし時間が経つにつれ発酵は進み酸味が増してくる。そうなると美味しいイドゥリは作れない。かといって毎朝毎朝新鮮な発酵生地を作るのは時間的余裕がなければならない。だから「イドゥリを毎朝作れるのは裕福な人」だとタミル人は思うのだという。そうでない家庭では、一度作った発酵生地を数回に分けて食べることになる。イドゥリにするのは発酵直後だけ。時間が経ち酸味が強くなってくるにしたがいイドゥリにせずドーサにしていたという(もちろん現在ではイドゥリとドーサの生地配合を変え、それぞれの生地で作り分けている家庭が多い)。

現在、日本国内で南インドを象徴する料理として華やかな脚光を浴びるドーサだが、タミル現地ではそのような側面もある。






小林真樹さん近景

小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/

インド食器屋のインド料理旅」をまとめて読みたい方はこちら↓


この記事が参加している募集

ノンフィクションが好き