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【新刊試し読み】 『やがてすべては旅になる 壊れた自転車で行く四国一周』|小林みちたか

『死を喰う犬』で第1回わたしの旅ブックス新人賞を受賞した小林みちたか氏の受賞後第一作『やがてすべては旅になる 壊れた自転車で行く四国一周』が2023年9月13日(水)に発売されたことを記念して、本文の一部を公開します。


本書について

ある夜、突然襲ってきた死への誘惑。
その危険な衝動から逃れるために、著者は四国一周自転車の旅に出る。
途中、自転車が壊れるというアクシデントに見舞われてしまう。

壊れかけた自転車を漕ぎながら旅を続けるうちに、脳裏に蘇るこれまでのつらい記憶と旅の断片。
過去と現在が交錯していく中で、著者はこれまでの自分と真正面から向き合うようになっていく。

果たして無事に完走できるのか、そして、前向きな心を取り戻すことはできるのか——
過酷だが自然豊かな四国路を舞台に、壊れかけた心の再生を綴った異色の自転車旅行記。



試し読み

プロローグ 東京

 心臓が締めつけられるのは、決まって夜だった。たしか父は四十九歳のとき胸の血管が破裂した。
 このところ寝つきが悪かった。
 そこへ数日前から、芸能人の自死のニュースが澱のように頭にこびりついていた。ふと彼はどんな風に死んだのだろうかと考えてしまう。そのたびに心臓が締めつけられるようになっていた。
 今夜は妙に長い。徐々に胸の圧迫感が強くなる。天井がグーッと迫ってくるような息苦しさを覚えた。そういえば、子どもの頃もこんな感覚によく襲われていた。
 僕は寝るのをあきらめ、布団から出てデスクの前に座った。誰もいない部屋で電気もつけず、スマホを見るでもパソコンを立ち上げるでもなく、ただただ真っ暗な部屋の中で呆けたようにイスに座っていた。
 ーー三冊目の本を書いていた。
 つまりこれまで本を二冊書いているわけだが、日頃はコピーライターとして企業の広報宣伝の文章やインタビュー記事なんかを書いている。三冊目の本といっても出版社から執筆依頼があったわけではなく、書きたいから書いているだけで、書かなくても誰かに怒られることもない。
 そもそも本を書きはじめたのは、ここ数年のことだ。
 きっかけは、父だった。
 生まれてこの方、父から褒められた記憶がない。大学に受かったときも、「まぐれだ」と吐き捨てられた。大学受験を知らない父は浪人生のプレッシャーなど知る由もないだろうが、あまりに悔しくて、十九にして涙を流してしまった。
 実際のところ、父は長年患っていた血管系の疾患を抑える劇薬の副作用で、感情の制御が利かなくなることがあった。そこへ僕の反抗期が重なり、十代の頃は父との口論が絶えなかった。ときには口論を超えた衝突さえあった。先の発言も反抗を盾に僕が父の期待を裏切りつづけた延長線上にあり、父に罪はない。付け加えれば、後日、父は僕の進学先の教育環境などを調べ、わざわざ片道二時間近くかけてキャンパスの見学にも行ったそうだ。できたばかりの学部だったので、世間知らずの末っ子の行く末を心配したのだろう。
 ともかく。
 父から褒められたいという渇きは、僕の最大のコンプレックスだったように思う。だから父が要介護5となり、もはやそう長くは生きられないという状況になったとき、物書きの端くれとして本の一冊でも書けば父が喜んでくれるのではないか、あわよくば褒めてくれるのではないかと考えたのだ。
 ただ、人生とはそう思い通りにはいかない。
 とある賞に引っかかり本を出版できたのは、父の一周忌を終えた後だった。ならばせめて母にと願ったが、その頃には母もすでに大病を患っていて、数ページを読むのがやっとの状態だった。
 運よく二冊目も書くことができたが、発売されたのは母のちょうど一周忌の頃で、結局、一番読んでほしかった人たちに読んでもらうことは叶わなかった。
 その事実が心にぽっかりと穴を空けていたことに気がついたのは、三冊目を書いている最中だった。
 あーそうか、もういないのか。
 自分にしかできない仕事なんてないが、親孝行は子どもにしかできない。
 もう何をしても両親に届くことはないという当然の状況をここにきてようやく理解したように思う。
 だからかもしれない。
 これまでなら、たとえ難民キャンプでお腹を空かせた子どもたちのニュースを見ても、「まったくひどい話だ」と同情した五分後には「さてランチは久しぶりにあそこのカレーにするか」と切り替えられたのに、自分が平穏に生きていることを後ろめたく感じてしまう。というよりも、世の中には悲惨な暮らしを強いられている人たちがたくさんいるのに、お前だけズルいぞとバチがあたりそうで怖いのだ。
 残酷で空虚なニュースばかりが目につき、後ろめたさと恐怖と世の中への失望がどんどん大きくなる。周りからのちょっとした言葉に傷つき、それは過去に自分が周りを傷つけてきた報いだと自らを責めてしまう。
 追い討ちをかけるように、苛烈な言葉で僕の人間性すら否定するような著書への嘲笑を思いがけず目にしてしまい、心臓が止まりかける。見えないパンチほどよく効く。
 そこへきての三冊目だった。
 書いても書いても自分の文章が陳腐に感じ、ものすごく無意味なことをやっているような気がしてならなかった。
 自分がひどく無価値な存在に思えたーー
 真っ暗な部屋でしばらくイスに座っているとやがて胸の圧迫感がおさまり、今度は背後から波に飲まれるような抗い難い圧力が全身をぎゅーっと締めつけてきた。
 生きていく気力をごそっと抜かれるような無力感。
 何もかもがめんどーに思えてくる。傷つくことにも、怯えることにも疲れた。
 やがてものすごく残酷な感情がせり上がってきた。
 意識と行動が乖離しているのか、左手が自分の首をつかむ。隆起した喉仏を手のひらに感じる。
 おいおい自分の手じゃ無理でしょと笑い飛ばしたいが、首から左手を離そうという気が起きない。
 クローゼットのノブが目に入る。こんな低い位置でもネクタイを使えばできるのかという考えがちらつき、だから報道は慎重にしないといけないのかと妙に得心した。
 こんなこと、はじめてだった。
 やりたいこともやらなきゃいけないこともわかっている。それらが思うようにいかないことにも慣れている。世の中の理不尽さも知っているつもりだ。幸せを感じることだってたくさんある。
 絶望するような状況じゃない。
 なのに、息が苦しい。
 そうか。
 理性を飛び越えていくから、衝動なのか。
 未知の領域を垣間見た気がしたーー
 目をつぶり妻と幼い娘の顔を思い浮かべた。口角を持ち上げて無理に笑顔をつくった。そしてゆっくりと首から左手を引き離した。
 「やばいなあ……」
 思わず言葉が漏れた。
 その音を耳から受け取ると、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
 デスクの時計に目をやると布団を出てから一時間近くがたっていた。



目次

プロローグ
1 東京―松山―新居浜―四国中央
 夏がはやすぎる/みんなのオアシス/ゴーライフ
2 四国中央―高松―東かがわ
 絶望的トラブル/リタイアの誘惑
3 東かがわ―徳島―日和佐
 めぐり合わせ/わかれ道
4 日和佐―室戸―高知
 ふし穴/ばばあ!
5 高知―土佐―四万十
 アフター9・11/雨の森/峠の向こう
6 四万十―足摺―宿毛
 ジョンマン/急がば止まれ
7 宿毛
 警戒レベル4/暗黒の時代
8 宿毛―八幡浜―双海
 寄り道/やがてすべては旅になる
エピローグ



著者紹介

小林 みちたか
1976年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。2000年朝日新聞社入社、04年退社。広告制作会社、国際NGO団体を経て、11年よりフリー。東日本大震災のボランティア活動を綴った『震災ジャンキー』(草思社)で第1回草思社文芸社W出版賞・草思社金賞を受賞。北インドのラダック地方を旅した私小説的紀行『死を喰う犬』(産業編集センター)で第1回わたしの旅ブックス新人賞を受賞。その他に、東北の太平洋沿岸部を旅した作で『第9回子どものための感動ノンフィクション』優秀作品を受賞。




やがてすべては旅になる 壊れた自転車で行く四国一周
【判型】B6変型判
【ページ数】240ページ
【定価】本体1,430円(税込)
【ISBN】978-4-86311-380-0


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