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ビリヤニ【1】 本物のビリヤニとは何か?

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


「ビリヤニ用のハーンディーください。今度新しいメニューで出すので」
そんな電話が増えたのは、ここ2~3年のことだろうか。とりわけインド料理店を経営しているネパール人店主あたりから、こうした依頼が多くなった。

インドにおいてビリヤニはハーンディーやデーグといった大鍋で作られる。こうしたイメージから、レストランのサーブ用にミニチュアのハーンディー皿が作られるようになった。現代でも少し高級なレストランにいけば、サーブ用のアンティーク仕様にしたハーンディー皿でビリヤニが出されることが多い。こうしたインド本国の食器文化が日本のインド料理店にも反映されるのである。

北インドの食堂のビリヤニはハーンディーに入れて提供された


インド食器屋をやっていると、注文をもらう皿や道具類の偏りによって国内のインド料理店のトレンドが何となくわかってくる。今年は間違いなくビリヤニだろう。例えばこの夏、コンビニ大手のセブンイレブンがエリックサウス監修のビリヤニを出したことが話題になった。ほかにも輸入食材のカルディでは炊飯器で炊いたご飯に混ぜるだけというビリヤニの素を発売している。あとはレトルトパウチ食品のビリヤニとか、松屋あたりで販売されればさらなる一般化が進んだといえようか。

それにしても、こうした商品が出るときまって「こんなのは本物のビリヤニじゃない」とか「本場で食べられているものとは違う」などという声が上がる。では本場で食べられているビリヤニとはどのようなものか。インドのどこを旅すれば美味いビリヤニに出会えるのか。今回はそれをテーマにしたい。

ビリヤニは米料理である。南インドでは米でなくキャッサバ芋や米の麺で作られた「広義の」ビリヤニが存在するが、あくまでも米の代用であり、狭義には米料理を指す。諸説あるが稲は現在の中国雲南、あるいはインドのアッサムあたりを原産地とし、やがて中国内陸部で水田農耕が開発された。その一方が東方の日本にも伝播。一方西方に目を転じると、インドからペルシア、トルコへと伝播していく「米の道」が存在した。ペルシア語で米を「ベレンジ」と呼ぶが、その語源はサンスクリット語だとする説が有力だ。米はまた7~8世紀にアラブ人商人によってインドから海路ヨーロッパにも伝えられた。当時イスラム教徒の支配下にあったスペインに稲作技術が導入され、のちにパエリア文化が花開く。一方、ペルシアからトルコでは米を炊き込み調理したポロウ、プラウが誕生。これがのちのビリヤニの源流となっていく。

参考:「週刊朝日百科・世界の食べもの①米とイモの分化」
「コラム ヨーロッパのコメと稲作」上林篤幸


11世紀以降数世紀にわたり、インドは中央アジアや西アジア圏のイスラム教勢力の侵略をうけるようになる。やがて1526年、ティムール朝の末裔であるバーブルによるムガル帝国が成立。ティムール朝はもともと現在のウズベキスタンからイランにかけての広範囲な地域を支配していた。だから成立直後のムガル帝国の宮廷内には地元のインド人ではなく、ペルシアやトルコ系の学者や詩人、中央アジアの軍人らが出入りし、首都こそデリーだったものの、その内部にはペルシアや中央アジアの文化が色濃く漂っていた。

第三代皇帝のアクバルの治世から、地元インドの文化を取り入れるようになる。ギー(精製した発酵バター)をふんだんに使ったキチュリー(米と豆の粥)が宮廷内の厨房で作られるようになったのもこの時代。ペルシアや中央アジア圏で食べられていた、マサラを多用しないポロウやプラオが「インド化」してビリヤニが創造されたのもこの辺りの時代ではなかろうか。もともとインドを介して西方に伝わった米が、やがてポロウやプラオ、あるいはフィルニーなどの米菓子などの調理法をともない還流する形でインドに再上陸。ただしビリヤニという「インド化」をしなかったプラオもある。それは今でも同じプラオという名のまま、やはり広くインドに浸透している。

夕闇せまるデリーのジャーマー・マスジドでムガル帝国の栄華を偲ぶ


仮にもし、「本物の」ビリヤニが存在するとしたら、この時代のビリヤニこそがそれに該当するのだろう。時代の異なる現代においてそれを完全再現したからといって、究極のところそれは「本物の」精巧なレプリカでしかない。願わくば300年前の宮廷を旅して、皇帝主催の晩餐会でご相伴に与りたいものである。

ちなみに語源となったとされる「ビリヤン」とは、ペルシア語で「火を入れる」といった意味らしい。特に子羊や若鳥を鉄板で炒めたりする場合に、肉の中心までよく火の通った、いわゆる「ウエルダン」になることを指すという。しかし教えてくれた都内のイラン料理店JameJamのチャラバンディさんによると、必ずしもイランではよく使われる言葉ではないとのこと。「ホテル」などの英語がインドで誤用され「食堂」を指す言葉として一般化したように、これもまた誤用が一般化したペルシア語なのかもしれない。

Jame-Jamで食べたポロウ


時代が下り、ムガル帝国の勢力圏が拡大すると、広げた領土の各地でタイプの異なるビリヤニ文化が花開いていった。宮廷の中だけの料理が、時代を経るにしたがい具材や調理法を変えながら大衆化していく例はインド料理にはよくある。ビリヤニはその最たるものだろう。

では次に、実際にインドの人たちがビリヤニに対してどんなイメージを持っているのかを探っていきたい。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/



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