【ルーツ旅🌺実家の謎の解明①】あなたは両親のなれそめを知っていますか?
突然ですが、あなたは自分の両親がいつ、どのように出会って結ばれたのか、その経緯を知っていますか? 知っているという方は、祖父母、さらに曽祖父母についてはいかがでしょうか。
彼らが出会って結ばれなければ、あなたはこの世に存在しません。そう考えると、「なぜいま、自分はここにいるのか」という問いに対する答えは、明らかに彼ら(ご先祖)の歴史の中にあるといえるでしょう。
なぜ私が自分のルーツを探す旅に出ようと思ったのか。その理由はだいぶ前に書きましたが、知らない方が多いと思うので、ここに簡単に書いておきます。
私が自分のルーツを調べようと思った理由は、2つの謎を解くためでした。1つめは、なぜ自分がこんなに奇妙なのかという、自分自身についての謎。
2つめは、なぜ実家があんなにおかしなことになったのかという、実家の家族についての謎です。今回は、実家の謎が解明できたので、それについてまとめてみようと思います。
きっと私が真実にたどり着くまでの経緯が、いま自分自身や家族について悩んでいる人にとって、その原因を探る何らかの助けになるんじゃないかと思うからです。
▼私の両親の出会い
第1話で書いたように、私の父は、奈良県内の貧乏子だくさんの家庭に生まれ、中学卒業後、祖父のあとを継いで大工になりました。
性格はいわゆる職人かたぎで、口数は少ないですが、時々、怒り始めると手が付けられなくなることがありました。特に、高校を卒業している母にコンプレックスを抱いていたのか、しばしば母にきつく当たっていました。
それでも、私は父のことが嫌いではなく、単に怒りっぽい人なんだなと思っていました。私はわりと神経が太いほうで、あまり色々なことを気にしない子どもだったのです。
内向的な父とは対照的に、母は外向的で明るい性格でした。いつも優しく穏やかで、母が声を荒げるのを聞いたことがありません。さまざまな習い事をして、料理や編み物が得意でした。
しかも母は、目鼻立ちが整った、パッと人目をひく美人でした。ある程度年をとった方なら、原節子似といえばわかってもらえるでしょう。そんな母のことが、父は自慢だったようです(ちなみに私は父親似です……💧)。
そんなふたりの出会いは、お見合いです。高校を卒業して会社勤めをしていた母が適齢期になったとき、誰かの紹介でお見合いの席が設けられました。父はひとめで母を気に入り、結婚したいと思ったようです。
最初のデートは、ヒッチコック監督の『鳥』という映画で、たくさんの鳥が人を襲って怖かったと、母から聞いたことがあります。
結婚式は、それから数か月後の11月3日。ウェディングドレスを着た母と、タキシード姿の父の白黒写真が残っています。式場の庭で、たくさんの親戚に囲まれたふたりは、幸せそうに見えました。
▼3人の子どもに恵まれたが……
その後、ふたりは3人の子どもに恵まれました。1人目は私の姉です。結婚の翌年に生まれた姉は、幼いころ母にそっくりで、目がぱっちりした可愛い子どもでした。
2年後に、2人目が生まれました。この子については、性別も含めて詳しく書けません。ここに書いたことがバレたら、私が大変な目にあうこと間違いなしだからです。そこで、Vという仮名にさせていただきます(ハリーポッターのヴォルデモート……💧)。
私が生まれたのは、Vの誕生から1年半後。そう、私は3人きょうだいの末っ子なのです。
私の子ども時代は、特に大きな問題がなく、普通の暮らしをしていました。学校から帰ると、いつも母がクッキーやマドレーヌなど手作りのお菓子を用意してくれていて、私はそれを食べてから友達の家に遊びに行きました。父が町会長をしていたので、休日には近所の人達と一緒にイベントや旅行に参加したりと、今から思うと本当に平和な時代でした。
雲行きがあやしくなってきたのは、小学5年生の時。叔父が病死し、その妻が後追い自殺をしたため、いとこ2人がわが家に引き取られました。
▼きょうだい2人が精神障碍者に
こうしてわが家には、1歳ずつ年の違う子どもが5人、一緒に暮らすことになりました。そりゃもう、母は大変でした。一時期は朝、お弁当を5個作っていましたから。おまけに従兄は、バイクを乗り回す不良で、母は学校からしょっちゅう呼び出しをくらっていました。
私は、前に書いたとおり、おおざっぱな性格だったので、そんな暮らしでもあまり気にしなかったのですが、私と違って繊細な姉は、徐々におかしくなっていきました。高校1年生のとき、学校でいじめにあって不登校になり、ずっと布団をかぶって泣いたりわめいたり笑ったりして、どんどん精神が不安定になっていきました。
世間体を気にする両親が、姉を病院に連れて行ったのは2,3年後のことで、その頃にはもう、完全な回復は見込めなくなっていました。
また、きょうだいのVも、大学に進学・就職したものの、仕事に追われて精神のバランスを崩し、実家に帰ってきました。
私は18歳で大学進学のために家を出て、それからずっと東京で暮らしています。幸い、仕事でも結婚でも、家族のことがネックになってあきらめたということは一度もありません。
しかし、実家ではしょっちゅう信じられないようなトラブルが起こるため、私は頭を痛めていました。
私のきょうだいについては、次の記事に書いています。
▼私には何も見えていなかった
その後、母が亡くなり、3年後に父が亡くなりました。
私は現在、障碍を抱えた2人のきょうだいをサポートすることが自分の役割だと考え、さまざまな手続きをしたり実家の維持管理をしたりして、彼らの暮らしを支えています(ちなみに、障害年金を受給しているので、経済的な負担は大したことはありません)。
以上が、私の実家の家族のストーリーです。まとめると、
これが長年、私がみてきた家族の姿です。
「うちの実家がおかしくなってしまったのは仕方がないことで、誰が悪いわけでもない」
私はずっと、そう考えてきました。
しかし5年前、私がルーツ探しを始めて、色々なことを調べていくうちに、つい最近、なぜ私の実家がこんなにおかしいのか、本当の原因がわかったのです。
ここまで書いてきた私の家族に対する理解は、根本から間違っていました。
「誰も悪くない」なんて全くの間違いで、明らかにそこに、悪意のある2人の存在があったのです。
本当の原因は、両親が結婚する前の出来事にありました。私が生まれるはるか前に、ある人の悪意が原因で悲劇の種がまかれ、数十年かけて増殖し、うちの実家をむしばんだのです。
それがわかったのは、両親の死後、ふとした出来事がきっかけでした。
(続く)
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サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。