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鷗外とその家族③ 於菟と志け

 鷗外の二番目の妻・志けと、前妻の子・於菟(おと)との関係を思う時、いつも心苦しいような、やるせないような気持ちになる。

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 森於菟は1890年林太郎(鷗外)が29歳のとき、最初の妻・赤松登志子との間に生まれるが、生後すぐに父・林太郎が家を出て、そのまま両親の離婚が成立。

 その後鷗外は約十年の独身時代を経て再婚するが、義理の妹弟、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、類(るい)は鷗外の晩年の子供だったこともあり父から溺愛され、三人とも父との甘い思い出を書き残しているが、於菟の幼い頃の父は三十代で血気盛ん。陸軍省での仕事も文筆も精力的にこなしていた。
 家にほとんどいない父に代わって於菟を養育したのは、祖母の峰だった。峰は維新間もない頃、津和野(現在の島根県)から上京した一家を取り仕切り、鷗外を育てた賢母として知られている。多忙な父とは時折散歩に出かけ、年に何度か食事に連れて行ってもらうような間柄だった。


  於菟が12歳の時、父と、18歳年下で美女の誉がたかかった志けの縁談がまとまり、母親ができることを小躍りして喜んだ。
 婚礼の日、若く美しい母は廊下をいくのに手を引いてくれたが、帰る時には夫の背中を追ってスタスタと行ってしまった。
 まだ二十歳そこらの志けは子供に愛情を注ぐよりも、自分がめいいっぱい愛されたい性分だった。
 また於菟の方も、母親に憧憬する子供心を残しながらも、物事を怜悧に観察する年頃にさしかかっていた。不調和の兆しはこの時すでに現れていた。


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 その後二人の関係は良好、険悪の二元論でとらえらないまま、同じ敷地内(家は別々)で生活することになる。


 残念なことに、志けは好き嫌いがはっきりしており、於菟の容姿が気に入らずあまり可愛いとは思えなかった。加えて志けが森家に入ったあとも、家の実権は以前として鷗外の母・峰が持ち、志けは家計を持たせてもらえず、不満を募らせてヒステリーを起こすようになっていた。
 義母と衝突し、夫に不平をぶつける志けは、鷗外と於菟が一緒にいると機嫌を悪くした。そのために父子が会う時は気を遣わなければならず、これは鷗外の晩年、於菟が成人しても続いた。同じ敷地内に住んでいるのに、論文をみてもらうために父親の職場まで出向かなければならなかった。

 志けを構うわけではないが、彼女の行動は必ずしも悪意に裏付けされたものではない。家庭内で自分の立場が悪くなるのを顧みず感情を爆発させたり、悪びれもなく於菟の器量が悪いと言ってしまうのは、見方を変えれば裏表がないわけで、於菟を嫌って積極的に意地悪をするようなことはなかった。

 於菟のあまり物事を悪く捉えることのないフラットな性格は、義母のこうした率直さに一定の理解を示しており、その誠実さを認めていた部分もあった。自身の外出時には祖母・峰でなく志けに長男を預けていったし、志けの方も自身の初孫にあたる真章(まっくす)を猫可愛がりしていた。


 それでも於菟が志けに大分気を遣って均衡を保っていたのは否めない。於菟一人なら自分が我慢すればよかったが、結婚してからは、妻・冨貴と志けの折り合いが悪く、苦労した。於菟一家と志け一家は同じ敷地に住んでいたが、志けは秋田県出身の医者の娘で、自身も大学で医学を専攻した冨貴に「あのずうずう弁の女」と敵意を剥き出しにし、そうかと思えば鷗外の死後、急に自分や子供達の将来が心配になって於菟夫婦を頼ってきたりと、アップダウンの激しい関係が続いた。
母と妻の間柄に悩まされた鷗外、そして義母と妻との間で苦しんだ於菟、この父子は疎遠な関係ながらも、優柔不断なところはそっくりで、結局この二家族の緊張関係は、冨貴の決断で於菟一家がよそへ移り住んだことで決着がつく。この時志けは大変なショックを受けたという。

お互い、相手の善いところを認めて気にしつつ、かと言って心から打ち解けることはできない。でも、どこかで頼りにしている…そんなもどかくてはがゆい関係は、志けが死ぬまで続くことになる。


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 於菟の美点は、父母の愛情を受けて育った妹弟たちと自分を比較せずに、自然な態度で家族に接したところだ。妹の茉莉の洋行に付き添った時は、兄として嬉々として世話を焼いたし、志けが亡くなった時は赴任先の台湾から飛行機でかけつけ、喪主として長男の役目をはたした。そういう生来の平坦さは、生前の志けの氷のような心を少しずつ溶かしていったように思う。幼い頃、生母をなくした於菟は生涯にわたって母親や兄弟を追い求めいたのかもしれない。


 於菟は自身の著作の中で志けに対し継母や義母でなく、単に「母」という言葉を用い、その複雑な性格を一言で断じることない記述の中に、苦い思いと淡い気持ちが見え隠れしている。

 自身の容姿に自信がなかった於菟が、成人してから交わした母との会話があった。その会話の中で、ある共通の知人の容姿のよさが話題にのぼった。前述のように小さい時の於菟をかわいいと思っていなかった志けは、あの人は整っているだけで中身がない。人間、歳をとればそれが顔に現れる。その点、於菟ちゃんの昔は見られるもんじゃなかったけど、今はいい顔になったわよ、と返した。悪気は全くないが、思慮に欠ける、だけど相手に対する愛着がないとも言えない、志けらしい発言である。於菟がこの言葉を、いいように捉えていればいいのに、と思う。


参考図書:
父親としての森鴎外 (森於菟、ちくま文庫)
鷗外の遺産 2 母と子 (小堀鴎一郎, 横光桃子 編、幻戯書房)
鷗外の思い出 (小金井喜美子、岩波文庫)
森鷗外の系族 (小金井喜美子、岩波文庫)
鷗外森林太郎 (森潤三郎、丸井書店)

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