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インドに行ったら、変わったのは、人生観だけじゃなかった話

インドは、海外旅行の行き先として誰もがその国の名前を知っているし、雰囲気もなんとなく想像できます。

日本とは異なる文化が色濃く発展し、幸運にも行くことが叶ったならば、観るもの聞くものは新鮮な驚きに変わります。

いつしか「インドに行けば、人生観が変わる」というキャッチフレーズが浸透し、異国情緒あふれるインドは、旅人たちの憧れの旅先になったのではないかと思います。

かくいう僕も、そんなふうに憧れていた旅人のうちのひとりでした。いつかチャンスがあったらインドに行ってみたいと、憧れを募らせていました。

社会人になって数年、夏休みにひとり旅をするようになって、ようやく馴れてきたかなと思い、憧れていたインドへの旅を決めました。いまから10年ほど前のことでした。

往復のフライトは、機内食がレストラン並みに美味しいと評判の、エアインディア。日系の航空会社の方が言葉も通じて便利なのですが、言葉よりも食を取りました。

噂通り、美味しい機内食でした。インドならカレー、当然です。こんなに美味しいカレー、毎日でも食べたいくらいでした。サラダも新鮮、デザートもしっかり甘くて、いい旅の始まりだと興奮気味でした。


初日のニューデリーはどこに行っても人人人、喧騒という言葉が相応しい雰囲気そのものでした。夜に着いたこともあり、ホテルから出ることなく眠りにつきました。

翌日の早朝、屋上から街を眺めてみようと部屋を出ると、ホテルの廊下や屋上で寝ている人たちがいました。

ホテルの従業員にしては多すぎます。

確かに通りには人が溢れていたし、暑い時期でもありました。家に帰るのをやめた人や、家がない人が寝ていたのかもしれません。足音を忍ばせて部屋に戻り、しっかりと施錠して「忍者ハットリくん」が放送されていた、ディズニーチャンネルをぼーっと見ていました。

部屋を出て、ツアーの迎えの車を待つ間、通りに出ていた屋台で朝食にしました。確か朝食付きの宿泊プランだったはずですが、前日のチェックイン時に、フロントの近くにいた人から声をかけられて、勝手に観光ルートを提案されて、見学施設の予約をさせられそうになった経緯がありました。

フロントで朝食の質問をすると、面倒臭いかも…と思っていたのでした。ただ、いまこうして写真を見ると屋台もなかなかです。お腹、壊さなくてよかった。

インドでは英語が通じるのですが、発音のクセが強く、特に”R”が巻き舌になっていたのが印象的です。写真の英語”ピクチャー”は、”ピクチャル”でした。

屋台で飲んだお茶がチャイかどうか確認したくて、店主に尋ねると「モラ?」と返されました。

それは、巻き舌発音のmore?でした。ただでさえ言い値でお金払って不信感あるのに、もう飲めない!と思って「ノ!」と断りました。

インドでの初めての朝食は、3分で終了しました。

旅程の前半はツアーを申し込み、観光の定番であるゴールデントライアングルと呼ばれている地域を回りました。(ゴールデントライアングル:世界遺産や観光スポットが多いインド北部の都市、デリー・アグラ・ジャイプールを結ぶと三角形になることから)

3日間、ガイドさん付きで回ってくれるのですが、ピークを外して予約したことが奏功し、ツアー客は僕ひとりでした。

ツアー終了時に、日本で買った扇子を贈りました。運転手さんの扇子には、北斎が描かれていたのですが…。

ジャイプール

ジャイプールは別名ピンクシティと呼ばれているとか。統治していた王様の趣味で、街中が濃い目のピンクで染められています。街の入り口には、風の宮殿と呼ばれている建物が立っていました。

光の具合もあり、オレンジ色が強いピンクといった印象でした。ちょうど写真に映り込んでいるおじさんが着ている感じのピンクを想像していたので、節度のある王様でヨカッタ…となぜかホッとしてしまいました。

ハンドメイドが盛んな土地柄で、テキスタイルの布を作っているおじさんを見かけました。スタンプで柄を重ねて行くようで、手際良く模様を広げていました。

夕方、ホテルに向かう車中、ガイドさんから「占い興味ある?ハンドの占い、やってみる?」と聞かれました。ハンドの占い…それはきっと手相占い。手相占いといえば、手の平を見せて何やら言われるのだろうと考えていました。

それまで、インド以外の国で、盛んに営業活動に出会っていたこともあり、占いと称して宝石を売りつけたり、謎のお守りを買わされたりするのではないかと用心していました。

しかし、異国で占ってもらうことにも興味があったので「(手元にあった)日本円で2,000円で!」と価格交渉を済ませ、ホテルのロビーで占ってもらいました。

占い師のおじさんは、僕の手を広げ、じっくりと見たあと、ボールペンを取り出し、躊躇なく僕の手の平に書き込み始めました。何か印をつけては、うーんと唸ってみたり、ボソボソっと説明してくれたりしました。

おじさんのハンドの占いは、〜しなさい、という行動指針ではなく、あなたは〜のようです、みたいな性格診断的な内容でした。何を言われたのかほとんど覚えていませんが、エメラルドを身に付けよ、と言われたことだけは覚えています。

翌朝、街なかにあるラッシー屋台へ。インドで一番美味しいと言われているそのラッシーは、素焼きのコップで飲みます。飲み終えたコップはその場に叩きつけて割り捨てるのが作法でした。簡単な器なのに、かすかに模様があってセンスのある容器でした…捨てるのもったいなかった。

世界遺産、アンベール城へ。観光用に象のタクシーが並んでいました。以前、タイのアユタヤ遺跡でも乗ったことがあった象タクシー、実際のところ、とても揺れます。

ガイドのおじさんと象の背中に相乗りして、城内へ向かいます。背中は揺れるのですが、大きな椅子がつけられていて、観光客はそれなりにゆったりと過ごせます。揺れる背中で頑張って撮った象使いの背中は、お気に入りの写真です。

城内はとても広く、建物もたくさんありました。広い池のような場所には庭園のような施設があったり、鏡の間と呼ばれていた、たくさんの鏡で装飾された部屋もありました。そんな建物群のなかでも、ピンクシティの中枢に相応しい、ピンクルームがこちら。

これはかわいい!…とはいえ、ガイドのおじさんと見ているのですから心中複雑です。美しさや美味しさ、驚きを分かち合えないこと、これはひとり旅の辛いところです。

ガイドさんの英語も片言に近いので、お互い会話もなかなか弾みません(笑)インドの建物は、ところどころイギリスっぽさも感じられる雰囲気があり、ここの装飾もまた丁寧で素敵でした。

街なかの靴屋さんで、ラクダ皮のサンダルを買いました。もう10年ほど経ちますが、いまだに夏になると履いていて、革がとても丈夫で履きやすいです。大きなカメラをぶら下げて旅行していたので、ちょっと構えただけで、みなさんポーズ取ってくれるのありがたかった…。

大体、ランチはいつもこんな感じのカレーセットでした。ドーナツを蜜に漬けたような、頭が痛くなりそうなくらい甘いデザートが、とても印象的でした。インドの人は、甘いものも好きなのです。

ジャイプールの次はアグラという街へ。アグラには、あの世界遺産が待っていました。

アグラ

インドといえば、真っ白なタージマハルを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。僕のタージマハル初出は、算数か数学の教科書にあった写真でした。確か「対称」という単元だったように記憶しています。右と左で同じ図形になっている、そんな説明でした。

アグラ地方でよく使われた赤い石で造られた門をくぐると、目の前にあの光景が広がりました。

まず驚いたのは、建物がとても大きいことでした。白い大理石で作られたという建物の、その美しさにも驚かされました。これが世界遺産の醍醐味。そして、よくよく近づいてみると、その造形は、僕の想像を超えていたのでした。

壁面は、白一色ではなく、赤と緑の大理石が装飾に使われていました。床面もツルツルの大理石で、冷たくて快適でした。(観覧が土足厳禁の建物もあるため、靴袋を持っていくと便利です。)

僕は、長方形に近い建物だと思っていたのです。正面に見えている部分が長辺で、側面はもっと簡素で短くなっていると想像していました。

しかし、違いました。

ほぼ完全な、正方形でした。

(実際には、正方形の角の部分が削られたような八角形)

つまり、どの面も正面と同じ見た目なのです。その姿を知って欲しくて、角の部分(正方形の右上に当たる部分)から写真を撮ってみました。

さすがインド、数学の国ですね…。

タージは「王冠」、マハルは「宮殿」(ともにペルシア語)ということですが、実際の目的は、王妃のお墓でした。ヒンズー教では、亡くなった人のためにお墓を作ることは一般的ではないらしいのですが、権力者であり愛妻家であった王による、最大限の愛情表現だったのでしょう。

物悲しさよりも、抑えた派手さに感動して、王妃のような風格を感じながら、この建物を見上げていました。夕焼けのタージマハルもまた美しいはず。

建物の中には、眼光鋭いおじさんが何人もいて、頼んでもいないのに近づいてきてガイドを始めます。薄暗いので懐中電灯で天井を照らして、あれが光るとか、あそこに花が書いてあるだとか、この下に棺があるだとか、勝手にしゃべるのです。それを、親切なおじさんだなぁ…と聞いていると、お金をせびられることがあるので、僕はずっと「ノーセンキュー!」と言い続けていました。

最近はセキュリティが強化されたようで、カメラの持ち込みもできないのだとか。そういう意味では、自分の写真として残っているのは自慢でもあります。


デリー

ゴールデントライアングルの最後は、デリーでした。僕はあまり詳しくなかったのですが、ガンジーといえば、インドの現代的な英雄です。彼のお墓があるからと、向かった先にあったのは、とてもシンプルな墓所でした。

前日にタージマハルを見ていたこともあって、こんなに質素なのか…!と驚きつつも、彼の意思があったからこそ今のインドがあるのだとガイドさんが話しており、大切な場所だと実感しました。

タージマハルよりも前に建てられた、フマユーン廟は赤と白の大理石が美しい建物でした。こちらは、亡くなった夫のために妃が建てたとのことで、これがタージマハルのお手本になったとされています。タージマハルと比べて、かなりゴテゴテしている印象でした。

デリーに限らず、街中で車の窓をコツコツと叩かれることがありました。ギョッとして外を見ると、そこには小さな子どもが手を差し出していました。物乞いでした。小さな子どもの物乞いは、ほかの国でも出会ったことがありましたが、いつだって心がザワザワして馴れません。

ツアーはここで終了。ガイドさんたちとお別れして、いよいよ翌日からは、本当にひとり旅が始まります。インドといえばガンジス川。その川のほとりの街に向かいました。

バラナシ

時代によってはベレナスと呼ばれていた街は、ニューデリーから国内線のLCC、スパイスジェットで向かいました。出発時、搭乗客を待って1時間遅延し、到着時には機体不良で前の扉が開かず、後ろの扉から降りるなど、まさにスパイスが効いたフライト。日本の航空会社の定時性って凄まじいんだなと改めて感じました。

空港から程なくして、ガンジス川沿いのホテルに到着しました。荷物を置いて、カメラと共に散歩へ。その時に撮ったのが、この写真でした。

一人の男性が、川に浸かって祈りを捧げています。

その奥には、人がたくさん乗った小舟が水面を漂っています。

時刻は夕方の頃だったと思います。空気はむっとして暑かったのですが、なんとなく物寂しい雰囲気と、広大な川に圧倒されました。

男性が小舟に関係しているわけではなさそうですが、いま考えると、小舟では「葬い」が行われていたのではないかと思います。川は、インドで聖なる川として考えられているガンジス川で、そこでは日々の沐浴だけでなく、死者を流す(火葬)こともされているようでした。

ホテルの窓からは、ガンジス川に沿って立ち並ぶ建物が見えました。チェックインの時、フロントの人から告げられたのは「窓は開けてはいけません」でした。こんなに蒸し暑いのに、なぜ?と思って部屋に行き、禁を破って窓を開け顔を出しました。

すぐそばに、猿がいました。

猿は、窓が開いている部屋に入って荷物を物色するらしく、虎視眈々と狙っていたのでした。怖すぎる…。

夜、ガートと呼ばれる岸辺のあちこちで行われる祈りの儀式(アルティ)は圧巻でした。輪の中心の男たちは、ファイヤーダンスのように、火を振り回していました。賑やかな音楽が鳴り、歓声が響く、いわゆる「心静かにお祈りする」雰囲気を想像していた僕には、とても衝撃的な場面でした。

祈りが終わると、そこにいたみんなが立ち上がり、クルクルと回り始めました。きっと意味があるのでしょうけれど、不思議な光景でした。

突然後ろから肩を叩かれて、写真撮って!と言われ、何枚か撮りました。写真に撮られるのは好きなようで、カメラを見ている目が穏やかで、人懐こいのが感じられます。みんな元気かな。


翌朝、ガンジス川の日の出を見るために、サンライズクルーズに出かけました…と書いたものの、予約を忘れていて、早朝からフロントの係員を叩き起こすように呼び出して、なんとかボートを出してもらったのでした。

太陽は反対側から上っていました。ボートからみる街並みがあまりにも美しくて、ついつい見入ってしまいました。


整然とした美しさではなく、日が上ってくる光が、命の始まりを告げているようで、この”人が作ったツギハギ”のような街並みには、いくつもの命があることを見せてくれるようでした。

その反面、ボート乗りへのチップがかなりかさむのではないかという、しょうもない気持ちが湧いてきて、不安でもありました(笑)

昨晩、お祈りをしていた場所も通りました。朝日を浴びながら沐浴をしようと、大勢の人が集まっていました。時々、観光客らしい姿もあり、別のガートでは日本人の学生らしき2人がパンツ一枚で、真っ白な肌を晒していました。

クルーズの後、僕もガンジス川に入ってみました。せっかくインドに来たのに、ガンジス川に入らないのは勿体ない!などと意気込んでいたのですが、濁った水や近くに火葬場があるなどと聞くと、かなり怖くなってしまい、膝下だけ…。

濁っていたので足元がおぼつかないし、川に入ったあとお腹を下したとか、肌がボロボロになったとか怖い話を聞いていたので、かなり迷いました。でも、この機会を逃すともう入れないと思い、意を決して。

チャポン・・裸足の足の裏は、砂のようなものに触っている感覚がありました。

水はとてもぬるく、匂いはありませんでした。流れを感じられるほど速く流れていないこともあり、目線が少しだけ低くなって水面に近くなると、とても穏やかな気持ちになりました。

川から出てホテルに戻る途中、座っていたおじさんに声をかけられました。おじさんは、顔をこっちに近づけろというジェスチャーをしたので、顔を向けると僕の額に粉をつけたのです。「お前、マホメットに似てるな。」…それは昔の王様?と突然のことで戸惑っていたら、おじさんが「バクシーシ!」と呟くので、僕はムッとして額の粉を慌てて拭いました。

バクシーシとは、喜捨(施し)のこと。チップと言わずに、バクシーシと言っていることが多いと知っていたのですが、やはり衝撃でした。

部屋に戻り、慌てて足を洗いました。その後、痒みが出たり、皮膚が剥けることもなく、初ガンジスを終えることができました。

時折すれ違うのは、人だけではなく、牛もいました。

その日は、バラナシの近くにある、サルナートに向かいました。迎えに来たのはバイクで、ヘルメットも渡されず、背中に大きなバックパックを背負っていたこともあり、落ちたら死ぬかもな…と、必死でした。

サルナートは、ブッダが初めて説法をした場所なのだそう。寺院の中には、日本人画家による壁画があり、見入ってしまいました。

サルナートからバラナシに戻り、街を散歩していたら、家々の屋上から、細い糸が空に向かって伸びていたのです。あまりにも細くてよく見えなかったのですが、よくよく観察すると、その数がとても多く、その糸の先を見上げてハッと気がつきました。

それは、凧でした。

風がある日の夕方、子どもたちが揚げていたのです。お祭りでもお祝いでもなく、バラナシの日常の風景がそこにありました。夕暮れに向かうぼんやりとした空に、静かにはためく小さな凧、思わず泣きそうになる景色でした。

バラナシ最終日、朝の散歩をしていたら、視線を感じました。それは一人の男の子でした。きっと肌の色も違うし、カメラを下げていたのが気になったのかも知れません。カメラを向けると、ニコリとしてくれました。

インド旅行のために、初めての一眼レフを買って持っていっていたのですが、カメラを向けると思いのほか笑顔になってくれる人が多くて、とても幸せでした。

朝ごはんに立ち寄ったカフェにいたイケメン。彼は、店員でもないし、お客でもありませんでした。いったい何者なのか分からなかったのですが、日本語を勉強している大学生でいつか日本に行きたいと、英語で話してくれました。元気でしょうか。

朝ごはんは、どこでもたいていこんな感じで、揚げた薄いパンとおかずとチャイ。

バラナシでは、日本人が好きだというインド人の若者に何度も絡まれました。騙されそう…と思うたびに「ごめんね」といって彼らから離れるのですが、また次の日も別の場所で見つかったりして、毎日のように顔を合わせていました。

ひとり旅っていつでも緊張感あるのですが、特にインドは良くも悪くも、かなり緊張感がありました。その分、景色だとか食事だとか、感動の幅が大きいような気もします。

それにしても、毎食のようにカレーを食べていたので、いいかげん飽きてきました。カレーって美味しいから毎日でもイケる!なんて誰が言ったのでしょうか。

ニューデリー

またもスパイスジェット(インドのLCC)で、バラナシからニューデリーに戻ってきました。ニューデリーは栄えているので、なんでもあります。

いよいよインドでの夕食は最後になりました。もうツアーでもなく、個人行動だったこともあって、いい加減カレー味にも飽きてきたので、なにか違うものを食べたい…と思っていました。調べてみると、近くのショッピングセンターにマクドナルドのマークを発見。

インドで、ケチャップ味のハンバーガーを頬張る姿を想像しながら、勇んで向かいました。

店に入ると、いわゆるご当地マックとよばれるような特徴的なハンバーガーが多くありました…というか、インドでは牛を食べないので牛肉を使ったハンバーガーが無く、むしろすべてご当地マックでした。

中でも、ビッグマックのような、何層にもなった分厚いハンバーガーの写真があり、maharajah-macの文字が・・マハラジャ・・気になる。

せっかくのインド、一番大きなハンバーガーを頼もうではないか、とマハラジャのような気分を装って購入。写真のとおり大きなものが出て来ました。

インドにもビッグマックがあるんだなぁ…。日本でもあまり食べたことのないビッグマックを想像しては、味への期待が高まりました。

写真を見て今更気がついたのは、当時テンションが上がっていたのか、うっかり冷たい飲み物を選んでいたようです。お腹、壊さなくてよかった。

行きの機内食のカレーに感激して、本場のカレーやナンを食べ続け、夜はタンドリーチキンをいくつもお腹に収め、時々ラッシーで喉を癒やし、毎日毎日カレー味を食べ続けていました。

いくら本場とはいえ連日のカレー味、さすがに飽きてしまった僕の舌は、マクドナルドのケチャップを、チーズを、マスタードを求めていたのです。

ガブっと、ひと口食べて、気がつきました。

あ、ここはインドだったんだ。

ケチャップや、マスタード、ピクルスなどの香りが絡み合った、あの味…ではなく、「カレー」…!…ずばりインドの味だったのです。マハラジャ恐るべし。

誰にともなく、あさはかだったひとり旅の発想を詫びました。

帰国便のフライトに向けて、空港に移動する道のりは夕焼けでした。ひとり旅の緊張感を抱えつつも、なんとか無事に帰れそうだという安堵を感じながら、インドでの体験をあらめて反芻していました。

そのどれもが、自分の想像を超えたものばかりで、海外の文化や人の違いを、身をもって経験できた思いがしました。

世界は広い、というかインドは強かった。たった数日間なのにこんなにも驚くことが多いのかと、自分の無知を知った思いでした。

空港でチェックインをして、待合室でも何か落ち着かずぼんやりとしていました。いよいよ搭乗時刻が近づいて、目まぐるしくも楽しかった旅に黄昏を感じながら、搭乗口に向かっていました。

途中、見慣れた緑色の女神のマークのコーヒーショップがありました。ふと思いついて、チャイティーラテを買いました。緊張しながら英語でオーダーするのも、これで終わりかと思うと、少し寂しいものです。

いかにも外国らしいと感じた、商品の出来上がりを知らせるための名前を、オーダー後に聞かれるのも、日本に帰れば体験できなくなることでした。

名前は?

I'm KAZUYA.

飛行機に乗って、チャイを飲んだら、ようやくこの旅行が終わった感じがするなぁ…。

しばらく待ってカウンターに乗せられたカップには、オーダー時に告げたはずの名前が書かれていました。


KAZUNYA……?

え?……カズヤの、ズとヤのあいだに“N“が入ってる。


・・かずにゃ?

「インドに行けば、人生観が変わる」

人生観どころか、名前が変わっていました。


黄昏の空に飛び立ったエアインディアの機内で飲んだチャイ、もといスタバのチャイは、旅の間に飲んだチャイのどれよりも香りが強いものでした。

旅の終わりを告げるはずのチャイ…ごくごく飲んでいたら、機内食が配られ始めました。もう馴れに馴れた、カレー臭。エアインディアで往復すると、決めたのは、この僕でした。

機内食はもちろん…

チキンカレー……わずか1週間の旅行でしたが、1年分のカレーを食べたような気分で飛行機を降りました。

我慢できずに、空港内にあったラーメン屋に駆け込んで、日本の食文化の多様性に感謝しつつ目まぐるしいインドでの景色を思い出しては、ズルズルと醤油味の麺をすすって、帰宅の途に就きました。


もう二度と経験できないであろう、ひとりの旅は、名前だけでなく、間違いなく僕の人生観を変えてくれました。


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