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人は見ているのだ。

その日、私は子ども達を学校に送り届けた帰り、長渕剛のとんぼを熱唱しながら帰宅した。
もちろん出だしの「おーおーおーおおお、おおおおおー」から長渕剛になりきった。眉間にしわを寄せ、上目遣いで前方を睨み付けながら、頭は上下に動かし、拳も握り力強く歌っていた。

大熱唱したおかげで気分はスッキリ。がに股歩きをキメながら、車から降りて颯爽と家の中に入った。
とんぼがまだ脳内に残っているうちに筋トレでもしようかと、トレーニングウェアに着替えたら、ケータイ電話が鳴った。

息子の友人ママからだった。
なんだろう?
あ、誕生日会の参加の連絡してなかったから、そのことだ!そう思いすぐに電話に出た。

私「ごめんなさい、息子が誕生日会に参加できるかって連絡ですよね?」
知人「そうそう、これそう?」
私「もちろんです。連絡するのすっかり忘れちゃって申し訳ありません。息子はすごく楽しみにしてます!」
知人「了解!じゃあ、今週の土曜日に。それから今日も熱唱してたわね(笑)」

見られていた。
しかも今日もって言ってた。

熱唱する私を見て、舌を出して笑っていたんだ。一瞬「うまい事いうわ、自分」と思ったのもつかの間、あんな姿を他人に見せてしまった恥ずかしさで冷汗が出た。このすっからぴんのからっけつ女に、久しぶりに恥ずかしいという感情が湧いた。

そう、私は車で歌うのが好きだ。だからといって、いつでも熱唱するほど心は強くない。
人に見られたくないから、信号で停車中は歌わない。走行していて、対向車が来た場合だっていったんやめる。
万が一気持ちが昂りすぎて歌うのをやめたくない時は、腹話術師のように口を動かさずに歌うようにしている。
でも周りに見られる心配がない時は本気だ。ハンドルの下でちまちまと振り付けなんかしない。顔を前後に突き出してリズムをとって肩を揺らし、ハンドルはバシンバシン叩く。歌うのだって口だけじゃない、腹式呼吸なんて当たり前、顔面で歌うのだ。

そこまで気を遣うのはなぜかって?それは私もいつも見ているからだよ。
バックミラー越しの、後続車観察はわたしの大好物だ。
鼻くそほって食べる人だっているし、人形としゃべっている人だっていた。
子どもの頃は、股間丸出し運転しているおじ様もみた。
入れ歯をひょろっと口から出して、入れ歯に付いた食べかすをペロンと舐めていた若いサラリーマンさんだって見た。

そう、人は見ているのだ。

分かっていたはずなのに、最近の私は思い切り油断していた。
子どもを送り迎えする道路は法定速度80キロ、そして信号はない。車間距離だって相当とっているし、80キロのスピードですれ違っても歌う私は見えないだろうと思っていた。いったいどこで見ていたんだろうか・・・それよりも80キロのスピードなんだから運転に集中しろよ!!

でも、そんなことよりも・・・私はいったいどんな顔で熱唱していたんだろう。

知りたい。

いや、むしろを知らなくてはならないだろう。

意を決して、全身鏡の前に立ち、あの時の自分を再現してみる。
「おーーーおーおおおお、おおおおお」と叫びながら、拳を下から上にあげ、眉間にしわをよせた私。

その姿は予想以上におぞましかった。
顔が想像以上の出来上がりだった。

例えるなら、鳥のヒナ。

こんな顔していたはずがないと、何度か繰り返し、自分の顔を凝視してみたけれど。
何度やっても鳥のヒナ
4回目くらいに鳥のヒナだったと確信したあと、膝から崩れ落ちるという体験を初めてした。絶望。

音楽の力って凄い。
脳と音楽はつながっているんだろう。どんな音楽を聴くかによって気持ちだって左右される。泣きたい時には、わざわざ悲しい思い出のある曲を聞いて号泣する人もいる。フッと、青春時代に聞いていた音楽を耳にしたら、頭の中に昔の記憶があふれてきたり。
それにドラマの感動シーンに音楽がなかったら、きっと感動する度合いは減ってしまう。だから音楽を聴いて歌っていると、歌に入り込んでしまう。車の中で熱唱していた私は、自分が長渕剛風のかっこいい女子になったつもりでいた。でも実際、音楽なしで歌う私は鳥のヒナだった。
長渕剛ファンが見たら顔面を勝ち割っていたことだろう。私ならそうするもの。

その日の夜、私は夫にこの話をした。
普段車で熱唱する私に向かって「やめてくれ!」と激怒しているのに、哀れに思ったのか「マスクつければいんじゃない?」という名案を提案してくれた!(実はみんな知っている方法だった笑)

これでもう堂々と歌える!そう喜んだ。そして問題は完全に解決されたものだと、誰もが思っていた矢先の出来事。
マスクをつけて歌うようになってから、もう数週間くらいたったのだろうか?

今朝、子ども達を送り出した後だ。マスクをつけた私は歌った。
朝が一番、歌いたくなる。だって子どもたちは全員学校!帰宅したらお1人様タイムがまっているのだもの!今日はモーニング娘の気分だった。
マスクをつけて熱唱しながら帰宅。
日本の未来はwow wow wow wow♪と駐車場に入ろうとしたところで、外で洗濯を干していたお隣さんに声をかけられた。

「ハーイ!」

・・・あれ、声が聞こえる。

あ、窓、全開。

ああ、なんで私ってこんなに可哀そうなんだろう。
音が漏れるという考えが全く浮かばなかった。見られることばかりを警戒していたせいだ。

ハーイと普通に返事すればよかったのに「ごめんなさい」と謝った。咄嗟に謝る日本人とは私のことだ。

でも違うの、今日は自分に謝ったんだ。こんな私でゴメン、自分。

歌声が相手に聞こえていたのかは定かではないけれど、引っ越したい気持ちでいっぱいになった。


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